トンネルの合間の「5秒」に桜700本、西九州新幹線で唯一駅がない町が乗客を歓迎したら… 写真家が集まる人気の撮影スポットに

 桜が満開となる中、山あいを通過する新幹線「かもめ」=3月30日、長崎県東彼杵町

 佐賀県と長崎県の約66キロをつなぐ西九州新幹線が昨年9月に開業した。新幹線「かもめ」が2県の6市町を走るが、中心部を通らない長崎県東彼杵町(ひがしそのぎちょう)は沿線自治体で唯一、駅が設置されなかった。トンネル工事で山が削られる一方、新幹線は通過するだけ。計画が決まった当初、地元には素直に歓迎できない雰囲気があった。だが、1人の住民が13年前に発起人となり、トンネルの合間に桜の苗木を植え始めた。新幹線が最高速度なら、5秒程度で通り過ぎるわずかな山あいの空間。「乗客を歓迎したい。一瞬でも桜を見つけてくれたらうれしい」と思いを込めた。新幹線開業後初めての春、満開となった桜を見るために、全国から写真家や観光客らが集まっている。(共同通信=佐藤萌)

 東彼杵町は佐賀県との県境にあり、人口約7千5百人の小さな町。大村湾に面し、江戸時代から明治にかけて捕鯨業の拠点として栄えた。新幹線は町の山間部を南北に縦断する。西九州新幹線は全長の約6割が山中を通るトンネル区間で、大がかりな工事が東彼杵町でも必要だった。

 副町長も務めた坂本地区の川添要介さん(74)は新幹線の工事が始まる前、景観が損なわれることに抵抗感があったという。山あいの棚田に囲まれ、静かな里山らしい風景が地元の良さだった。トンネルは山を貫通し谷間に約370メートルの高架橋がかかる。さらにトンネルの構造上、南側の山肌は頂上までコンクリートで覆われる。

 川添さんは「線路が通るのは仕方がないが、見慣れた山が突然はげ山みたいになってしまうのはさすがに想像できなかった。何とかできないかと思った」と振り返る。副町長だった当時、景観を守るよう工法を工夫してもらえないかと、施工会社に話し合いにも行った。

 トンネル工事のためコンクリートで覆われた山肌。土手に植えた桜は満開になった=3月30日、長崎県東彼杵町

 ただ、新幹線建設は一大プロジェクトで、多くの自治体と事業者に関係する。「地元の景色のことで、変更できる内容ではないと分かった」。施工会社からの説明で、トンネルの強度を保つため必要な工事だと納得もした。

 坂本地区でトンネル工事が始まったのは2009年ごろ。川添さんの自宅の目の前が、線路の建設予定地になった。「まさか、こんな田舎の家の前を新幹線が通るなんて。信じられない出来事だった」と語る。「工事は長丁場で10年近くかかる。せっかく新幹線が通るなら、皆で楽しみたい」。桜の苗木を植樹し、育てることを思いついた。地元で楽しむだけでなく、県境の町で乗客を歓迎できるとも考えた。

 桜の下で語る川添要介さん=3月30日、長崎県東彼杵町

 自治会の協力を得て線路脇の土手に500本を植えた。苗木はすべて川添さんが寄贈した。同級生が参加したり、お茶農家の知人が茶摘みの合間に草刈りに来てくれたりと、地区の住民が総出で手伝った。川添さんは「後の世代が、やってよかったと思えることを残したかった。この思いを皆で共有できたと思う」と話す。トンネル工事を担当した施工会社らも寄贈し、桜は700本ほどに増えた。

 2021年3月にトンネルが完成した際、お祝いとして地域に伝わる伝統神事「浮立(ふりゅう)」を披露。地元の住民で横笛や太鼓、鐘を演奏した。浮立は、江戸時代に参勤交代で通過する大村藩一行の歓迎に使われた歴史もあるという。川添さんは「人が遠くへ往来するという意味では、新幹線と参勤交代も似ているのかな。昔からお出迎えやお見送りをしてきた場所。伝統も継承したいね」と語る。

 新幹線の安全を祈願し伝統神事「浮立」をトンネル内で披露する坂本地区の住人=2021年3月21日、長崎県東彼杵町(川添要介さん提供)

 新幹線開業から約半年がたった今年3月下旬、坂本地区では桜が満開となり見頃を向かえた。桜が立ち並ぶ土手には、お花見を楽しむ親子連れの姿もあった。のどかな時間の中、1時間に1回ほど新幹線が行き交う。「ゴー」という音がトンネルの奥から聞こえてきたかと思うと、新幹線が顔を出しあっという間に通り過ぎる。

 川添さんによると、写真の撮影スポットとして注目を集め、桜が咲いてからは連日、カメラを携えた多くの人が来るようになった。長崎県佐世保市から撮影に来た会社員の蒲地順二さん(57)は「仲間内で話題のスポット。四季折々、風景が変わるのでまた来たい」と充実した様子だった。

 川添さんは全国各地から訪れる人が増え「うれしい」と喜ぶ。お薦めの撮影場所を聞かれ、遠方から来た人とつい世間話をするのも楽しい。「もとは自然豊かで美しいけれど誰も来なかったような場所。大きな工事で景色が変わり、出会いもあった。不思議な縁です」。感慨深げに今年の桜を見上げた。

 花見に訪れた家族連れと話す川添要介さん(左)=3月30日、長崎県東彼杵町

© 一般社団法人共同通信社