シティポップなCMソング!中原めいこ「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。」  ポスト・ユーミンとまで称されたアーティスト

有線から流れる「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。」

1983年から1985年まで文京区の高校に通っていたのですが、放課後にたむろする場所は、神保町の「プラージュ」という喫茶店でした。このプラージュはスパゲティがプラス100円で倍の量盛られて出てきたので、放課後はよくプラージュで大盛りを食していました。

大盛り目当てで通っていたこの喫茶店ですが、もうひとつ目的があり、それはピンク電話から有線放送に電話をかけてリクエストすることでした。

10円玉ひとつで自分のリクエストした曲が、お店のスピーカーから流れてくる快感は、今でも何となく思い出すことができます。当時よくリクエストしていたのは、小林麻美「雨音はショパンの調べ」、戸川純「レーダーマン」、そして中原めいこ「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。」でした。当時高校2年生だった自分は、特に将来について深く考えることもなく、友達と喫茶店でこんなことばかりしていたのです(笑)。

シティポップブームで再評価される中原めいこ

ということで、今回のコラムの主役は、当時有線でよくリクエストをしていた中原めいこなのですが、彼女は、昨今のシティポップブームで再評価されているアーティストでもあります。自分が中原めいこを知ったのは、1983年に発売された3枚目のアルバム『mint -ミ・ン・ト-』の直前だったと思いますが、情報源は “GB” と呼ばれた『ギター ブック』という雑誌でした。

“ポスト・ユーミン”と呼ばれていた彼女はそれだけでかなり気になるアーティストでした。

中原めいこは1982年シングル「今夜だけDANCE・DANCE・DANCE」でデビュー。セカンドアルバムの『2時までのシンデレラ -FRIDAY MAGIC-』(1982年)が昨今のシティポップブームでもっとも評価されているアルバムなのですが、当時はそこまでヒットしていたわけではありませんでした。

このアルバムに収録されている「パールのマニキュア」は、当時コンサートで松田聖子の物まねをして歌っていたそうですが、彼女にはそんなお茶目な一面もあったようですね。

この時期に彼女は、文化放送の『吉田照美のてるてるワイド』内で、「中原めいこのミュージック・バディ」というレギュラーコーナーをやっていたのですが、サバサバとした語り口が “姉御的雰囲気” を漂わせていて、女性ファンから圧倒的な人気を誇っていました。

テレビ番組『オールナイトフジ』や『オレたちひょうきん族』にもたびたび出演していましたが、クールな姿勢を崩すことないその立ち振る舞いがとても印象的だったのを憶えています。

ブレイクのきっかけはカネボウ・キャンペーンソング

そんな中原めいこにブレイクのチャンスが訪れ、1984年の「カネボウ・夏のキャンペーンソング」という大型タイアップを獲得することになります。前年の夏のキャンペーンソングがYMO「君に、胸キュン。」、1984年の春のキャンペーンソングが松田聖子「Rock'n Rouge」だったので、このタイアップソングはある程度ヒットが約束されていたということになります。

キャンペーンソングのタイトルは、「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。」。今でこそ、スーパーに行けばトロピカルフルーツは何でも手に入りますが、当時はキウイ、パパイヤ、マンゴーはまだとても珍しいフルーツで、庶民はパイナップルくらいしか食べたことがなかったかもしれません。

そんな庶民の憧れのトロピカルフルーツがタイトルに入ったこの曲ですが、クライアントサイドからの指定がふたつありました。“君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。” と “ウィウィ” というフレーズを歌詞の中に入れるというものです。

正月に部屋の暖房をガンガンかけて、トロピカルな飾りつけをして踊りながら作ったと言われるこの曲は、1970年に大ヒットした森山加代子の「白い蝶のサンバ」を参考にしたそうです。

「♪あなたに抱かれてわたしは蝶になる」のメロディで「♪君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。」を歌うとぴったりとはまるので、是非歌ってみて下さい(笑)。

ディキシーランドジャズの名曲「ザッツ・ア・プレンティ」のイントロを引用した軽快な「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。」は1984年4月5日にリリース。オリコン最高位8位、音楽番組『ザ・ベストテン』では6位まで上昇する大ヒットになりました。自分のピンク電話からのリクエストもこの中に含まれていたのかもしれませんね(笑)。

ニューヨークに移住していた中原めいこ

「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。」を収録した4枚目のオリジナルアルバム『ロートスの果実』は、初のオリコンのTOP10入りを果たす大ヒットになり、一躍時の人となった中原めいこは、80年代多くのアルバムをヒットさせています。『CHAKI CHAKI CLUB』(1985年)、『MOODS』(1986年)、『PUZZLE』(1987年)、『鏡の中のアクトレス -The Actress in The Mirror-』(1988年)はすべてオリコンのTOP10にチャートインしています。

多忙だった彼女は、『鏡の中のアクトレス -The Actress in The Mirror-』をリリースしたのち、ニューヨークで充電生活をしています。

約1年間のニューヨーク生活はアルバム『303 EAST 60TH STREET』(1990年)の歌詞の中に投影されていますが、タイトルは彼女が住んでいたアパートメント住所だそうです。

その後、彼女は本格的にニューヨークへ移住し、アルバム『ON THE PLANET 〜地球のできごと〜』をリリースしたのち、表舞台から姿を消すことになります。

「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。」は今からちょうど39年前にリリースされた曲ですが、昨今のシティポップブームで、彼女の音楽が再評価されていることをとても嬉しく思います。

ピンク電話からリクエストをしていた神保町の喫茶店は、高校の卒業と同時にドトールになってしまいました。今でもそのドトールのそばを通るたびに、高校時代に有線にリクエストをしていた自分のことを思い出します。ですから、「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。」という曲は、自分の青春の1ページを彩った大切な1曲でもあるのです。

カタリベ: 長井英治

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