映画「すずめの戸締まり」に登場した東北の風景、震災前の姿はどうだったのだろう? がらりと変わった景色、そこで生まれ育った住民と訪ねた

映画の舞台の一つとなった岩手県山田町の展望広場に、作中に登場する白い扉が設置された

 昨年11月に公開された新海誠監督の最新作「すずめの戸締まり」は、猫を追いかけながら主人公たちが全国を旅するロードムービーだ。2011年3月に起きた東日本大震災を真正面から描いた作品で、物語の後半には福島、宮城、岩手の風景が続々と登場する。震災によって、がらりと変わってしまった風景。「震災前はどんな姿だったのだろう」。記者は、そこで生まれ育った方々と共に現地を訪ねた。(共同通信=武田爽佳)

 ▽激安のガソリン価格

 主人公たちのドライブシーンで、一瞬映るガソリンスタンドに見覚えがあった。周囲に立ち並ぶ民家と銀色のバリケード。記者が福島支局に勤務していた頃に取材で何度も車で通った国道だった。モデルは福島県の沿岸部にある大熊町のとある地区。東京電力福島第1原発事故後、住民が住むことのできない帰還困難区域となった。高い放射線量に、長年バイクや歩行者の通行が許されていなかったが、昨年夏に地区の一部で避難指示が解除された。バリケードは取り払われている。

福島県大熊町のガソリンスタンド

 今年3月、現地を訪れるとガソリンスタンドは変わらない姿で残っていた。原発事故当時の値段と思われる「ハイオク158円、レギュラー147円」の看板。年々高騰するガソリン価格に、前を通る度に「激安だな」と思っていた。
 ガソリンスタンド近くの地区で生まれ育った渡部千恵子さん(71)に、原発事故前の地域の姿を尋ねた。映画に登場する国道を、小学校の同級生たちと「弾丸道路」と呼んでいた。トラックなど車がばんばん通る幹線道路。その合間を見計らって反対側に渡り、同級生の家に遊びに出かけた。
 ガソリンスタンドの横には商店があった。祖父に「たばこを買ってきて」とお使いを頼まれると、自転車にまたがり15分ほど走った。原発事故後無人となった町の商店は、既に解体されていた。

帰還困難区域となった実家近くで幼い頃の思い出を語る渡部千恵子さん

 ▽実在しない丘

 映画の主人公たちはガソリンスタンドを通り過ぎた後、車を降りて小高い丘から海を眺める。一瞬原発に似た建物が映る。しかし原発事故直後から福島の復興に携わる政府関係者によると、映画のような角度で福島第1原発が見える場所は実在しないという。
 渡部さんと町を歩く中で出会った別の関係者から「富岡町にある丘からの景色ではないか」とアドバイスをもらった。車で10分ほど走ると、確かに非常に似ている景色が現れた。右手奥の海辺に、東京電力福島第2原発がたたずんでいた。
 映画では、登場人物が丘からの景色を見て「この辺って、こんなにきれいな場所だったんだな」とつぶやく。民家とともに、放射性物質を取り除くために剝いだ土や廃棄物を詰め込んだフレコンバッグもちらりと見えた。

福島県富岡町の丘から見える景色

 渡部さんは原発事故前、自然豊かな地域の美しさを意識したことはなかったという。国道沿いの田んぼに実る稲を見ても「今年も豊作だな」くらいしか考えていなかった。事故後、耕す人がいなくなった田んぼには柳や松が自生し、まるでジャングルのようだった。一度除染で木々は抜かれ、その後生えた背の高い雑草は黄色い花をつけた。
 夕日に照らされるとキラキラと輝き、一瞬稲と見間違えるほどきれいに見えたという。「失っちゃったものだから、なおきれいに思えるのかもしれないね」。幼い頃から見慣れた景色を思い出していたのか、渡部さんの笑顔は優しかった。

 ▽地域の魚・マンボウ

 大熊町から車で北上して約2時間半。マンボウの下に「道の駅 大谷海岸」(宮城県気仙沼市)と書かれた看板が見えた。映画中に看板が映し出され、公開直後からSNSで話題となった。
 カフェテリアでは、親切にも登場人物が食べたメニューのチラシが貼られている。そのうちの一つの海鮮ラーメンを注文した保育士の児玉菜保子さん(35)に感想を聞いた。「エビが大きくて、スープは魚介のだしがすごく効いている」と食欲をかき立てるコメントをいただく。取材後、記者も海鮮ラーメンを平らげた。

娘と海鮮ラーメンを食べる児玉菜保子さん(右)

 道の駅のホームページによると、周辺では古くからマンボウがよく捕れ、地域の魚として愛されてきた。駅舎内の壁にプロジェクションマッピングで水槽を再現し、人が近づくと大きなマンボウが寄ってくる。大谷地区生まれで気仙沼市議の三浦友幸さん(42)によると、震災前は大きな水槽が展示され、中で本物のマンボウや魚たちが泳いでいた。
 駅舎内は、地元の住民や観光客でにぎわっていた。白い砂浜と淡い水色の海を一望できる屋上テラスも、人の姿が絶えない。「海が見えていない景色だったら、どうだったのでしょうね…」。三浦さんは、防潮堤によって隔たれた駅の姿を思い浮かべた。

宮城県気仙沼市の道の駅大谷海岸

 ▽取り戻した砂浜

 震災前の道の駅は、JR大谷海岸駅と併設されていた。三浦さんが高校に通うため、いつも乗り降りしていた駅。「海水浴場に日本一近い駅」がキャッチフレーズだった。昭和のピーク時には、目の前の国道で車が全く動かないほど海水浴客で混み合ったという。

震災前の道の駅大谷海岸(提供:3がつ11にちをわすれないためにセンター・工藤寛之氏)

 12年前に大津波が駅舎を直撃し、地盤沈下でほとんどの砂浜は消えた。三浦さんは行方不明の母親を捜すため、遺体安置所に向かう途中で海岸近くを通った。海水は茶色に濁り、付近はがれきだらけだった。
 震災の年のうちに、砂浜を埋めて高さ10メートル近い防潮堤をつくる計画が持ち上がる。海と砂浜が見えない姿は想像できなかった。有志の住民で市や関係機関と話し合いを重ね、計画は大きく変更。砂浜を復元し、国道を防潮堤に近い高さまでかさ上げする。道の駅の新しい駅舎は、2021年に完成した。
 再建までに、10年がかりの歩み。三浦さんたち住民にとって、海と砂浜は大谷地区のアイデンティティーだという。「砂浜を取り戻すことが、故郷を取り戻す作業そのものだった」

大谷海岸で海を眺める三浦友幸さん

 ▽椅子に鎮座する猫

 大谷海岸から北に車で1時間ほど進めば、三陸鉄道の織笠駅(岩手県山田町)。映画の終盤、主人公たちの頭上にちらりと駅名が映っていた。無人駅で、駅舎やホームに自由に立ち入ることができる。駅舎の中で、主人公たちが追いかけ回した猫のぬいぐるみが、三本脚の椅子に鎮座していた。
 別の椅子には「すずめの駅ノート」と名付けられたキャンパスノートが数冊置かれている。映画公開後に訪れたファンらの書き込みでびっしり埋まっていた。

織笠駅で猫のぬいぐるみを撮影する子どもたち

 壁には映画のポスターとほぼ同じ大きさで、カキ小屋をPRするポスターが貼ってあった。映画と同じくらいカキを推しているらしい。ノートの後ろに大量に置かれたチラシによると、山田湾には、山の植物性プランクトンがふんだんに含まれた川が三つも注ぎ込む。湾内で育ったカキは、爽やかな風味で、うまみが詰まっているそうだ。
 ホームに出ると、近くの団地で暮らす佐々木弘子さん(89)がつえをつきながら列車を待っていた。買い物でよく列車を利用しているそう。「昔の駅近くはお店たくさんあったんだけどねえ。津波で皆流されてしまって」。到着した宮古行きの列車に乗り込んだ。

ホームで列車を待つ佐々木弘子さん

 JR東日本盛岡支社などによると、織笠駅は震災当時はJRの駅だった。木造の駅舎は津波で流失した。バスでの代替復旧を提案したが、沿線自治体の強い要望で三陸鉄道に譲渡する約束で鉄道を復活させた。線路は震災前と同じルートのまま、駅舎は約1キロ北の高台に移した。新しい駅舎の丸い屋根は、町の名所オランダ島をモチーフにしている。

織笠駅にやってきた列車

 ▽ぼろぼろのドア

 織笠駅から歩いて十数分の山田湾展望広場。町の観光協会が地元の建具屋に依頼し、映画に登場する白い扉を設けた。ドアを開けると、オランダ島が正面に現れる。島の前に、カキの養殖いかだがいくつも浮かんでいた。
 製作した田老邦光さん(64)は「ドア修理の依頼はたくさん受けてきたが、ぼろぼろに見えるようにしてと頼まれたのは初めて」と苦笑い。所々ガスバーナーで焼いて、映画そっくりの扉に仕立て上げた。

⑯扉を開けて遊ぶ子ども

 クライマックスのシーンで、扉の先に広がっていたのは炎に包まれた町だった。12年前に田老さんが目の当たりにした景色。津波に押し流されたがれきを火が伝い、家屋や商店に次々と燃え広がった。スーパーの2階に避難していた田老さんが窓から顔を出すと、熱さを感じるほど火の手が迫っていた。一緒にいた十数人で高台の避難所に急いだ。津波で半壊した自宅は、火災で燃え尽きた。
 焼け野原となった地域は、かさ上げや区画整理で町並みは変わった。一方、変わらない美しい風景もある。田老さんに町のお薦めスポットを聞くと、例の扉を設置した展望広場を挙げた。「やはりあそこから見える景色が一番きれいかな」

山田湾展望広場から望むオランダ島と周囲に浮かぶ養殖いかだ

 深い青の海面に、オランダ島の緑の木々が映える。ウミネコが頭上2メートル近くを飛び交い、か細い鳴き声が心地よい。次回はプライベートで来ようと心に決めた。2日間で3県を横断するというぎりぎりな日程で、カキ小屋に寄れなかったのも心残りとなった。

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