イングランド出身の世界的ロックミュージシャン 史上屈指の名盤アルバム復活を望んでいた

イングランド出身人気ロックミュージシャン、デヴィッド・ボウイのマネージャーは、ロック史上屈指の名盤となった一大コンセプトアルバムのジギー・スターダストを復活させカムバック・ツアーを「試みたが失敗した」そうだ。

1973年にロンドンのハマースミス・オデオンで行われたコンサートで、分身の同宇宙人ロックスターに別れを告げたことで有名なボウイだが、ジギーとしてカムバックすることを常に考えており、復活ツアーを開始しようとしていたとマネージャーのトニー・デフリーズが明かした。

トニーはMOJO誌に「基本的に、成功はデヴィッドにとって理想ではなかったと思う。1973年のアルバム 『アラジン・セイン』が大量に売れ、彼を一目見ようと集まった群衆により駅が閉鎖された。そのとき彼はもはや普通の人間ではないということを理解したんだと思う。ジギー効果だったんだけど彼はそれに対応しきれなかったんだ」と語った。

音楽から引退後にわずか2年で復帰表明をしたフランク・シナトラからインスピレーションを受けていたというボウイについて、トニーは 「デヴィッドはシナトラの大ファンだったんだ。カムバックを果たすことが重要だった」「僕たちは、アメリカのプロモーターに、(ボウイ/ジギー・スターダストのカムバック・ツアーで)ヘッドライナーとして大きなアリーナを予約してもらおうとしたが失敗した。だから、正直に言うとそれがジギーを引退させた本当の理由なんだ…。音楽やスタイルなどとは何の関係もない」と続けた。

一方で、ボウイが音楽を担当した1999年のゲーム「オミクロン:ザ・ノマド・ソウル」で一緒に仕事をしたビデオゲームデザイナーのフィル・キャンベルも、ボウイがジギーのリローンチを望んでいたと以前語っていた。

ボウイは肝臓がんとの闘病の末、2016年に69歳で他界している。

(BANG Media International/よろず~ニュース)

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