日銀の黒田東彦総裁が、歴代最長の10年にわたった任期を終えてあす退任する。
バブル崩壊後のデフレからの脱却を目指し、2%の物価上昇目標の実現を旗印に、自ら「異次元」と称した金融緩和政策を推し進めた。
空前の規模と異例の手法も駆使したが、10年を経ても安定的な物価上昇は果たせなかった。
かたくなに目標達成に拘泥し、無理を重ねた緩和政策は、長期化とともに弊害が広がった。将来に残るつけを膨らませた黒田氏の責任は極めて重い。
経済再生を掲げる「アベノミクス」の支柱をなした異次元緩和だが、大量の資金を市場に流してかさ上げした「ぬるま湯」状態を長く続け、経済と行財政の足腰を弱めたと言わざるをえない。
その失敗を真摯(しんし)に検証し、柔軟で的確な政策の修正につなげねばならない。
「副作用よりプラスの効果がはるかに大きかった」。先月10日、黒田氏は任期最後の金融政策決定会合後の記者会見で、雇用の増加やデフレでない状況をもたらしたと強調した。目標の未達成は残念としながらも、あくまで大規模緩和は成功だったと自賛した。
経済の好循環ならず
黒田氏は10年前、デフレと円高の悪循環を止めるには強力な金融緩和による物価上昇が不可欠との持論を掲げ、政権復帰した安倍晋三首相の肝いりで就任した。
「2年で2%の物価上昇を目指す」と達成時期を明言。国債や上場投資信託(ETF)の買い入れを拡大し、日銀による資金供給を2倍にすると宣言した。
「黒田バズーカ」と呼ばれた大胆な打ち出しで、1ドル=90円台だった円高は2年で120円台まで下がった。輸出企業の業績が拡大し、株価の上昇も演出した。海外経済の好調にも助けられたとはいえ、停滞した空気を変えたのは確かだろう。
当初、短期集中策でデフレ心理を拭い、上向きの期待を生む狙いだったが、プラス効果は一部にとどまった。賃上げ、消費へ回る好循環は2年を過ぎても見られず、恩恵が企業から家庭へと滴り落ちて広がる「トリクルダウン」は起きなかった。
市場と財政にゆがみ
だが、黒田日銀は行き詰まりを認めず、2016年1月にマイナス金利政策、同9月には長期金利を極めて低く抑える手段を加えた。歴史的にも世界的にも異形の金融政策であり、物価上昇目標の自縄自縛に陥ったのは否めない。
背景には日銀を「政府の子会社」とも表現した安倍氏の後押しがあった。日銀の独立性をかなぐり捨て、政府に追随してカンフル剤を打ち続けた形だ。
その弊害を浮き彫りにしたのは、円安が急伸した昨年来の動きだろう。高インフレ抑制へ欧米が金融の引き締めを急ぐのに対し、日銀は大規模緩和を継続。金利差に伴う大幅な円安が輸入物価を押し上げ、家計や企業経営を直撃した。
長期金利を抑え込み続ける金融政策は、市場の価格形成をゆがめている。日銀も市場機能の低下などの副作用を放置できなくなり、昨年12月に事実上の利上げとなる政策修正に追い込まれた。
それでも黒田氏は「利上げではない」と強弁を続け、市場関係者は不信感を増幅させた。さらなる修正を巡っての疑心暗鬼から国債の売り圧力が強まり、日銀が金利抑制のため大量購入を迫られている。市場との対話と信頼関係の欠如は大きな禍根となっている。
深刻化しているのは国の財政規律の緩みである。どれだけ国債を発行しても日銀が購入し、人為的に金利を抑えるためにブレーキが機能しなくなっている。
日銀の国債保有残高は昨年末で546兆円と10年前の約5倍に膨らみ、発行残高の52%と過半数だ。国の借金を中央銀行が事実上、肩代わりする「財政ファイナンス」の状態とみられても仕方ない。
国際的な信認低下の懸念や金融政策の修正を含め、想定金利が1%上振れすれば、国の借金返済額は4兆5千億円増えると財務省は試算している。重大な財政リスクである。
ほかにも、投資信託などの大量購入を通じ、日銀が日本企業の最大株主となっている。株式相場を下支えすることで低収益企業が株価下落を免れ、生産性向上への改革を遅らせている副作用も見逃せない。
金融政策の限界証明
後を引き継ぐ植田和男新総裁は、「物価安定の総仕上げ」として大規模緩和を継続する意向を示しつつ、副作用にも言及して修正に含みを持たせている。性急すぎれば景気を冷やし、市場に混乱を招く。難しいかじ取りになる。
政権と適切な距離を保ちつつ、中央銀行として独立した政策判断と市場との丁寧な対話で実態に即した出口戦略を探ってほしい。
「壮大な社会実験」とも言われた異次元緩和の失敗は、金融政策だけで経済活性化を図れないという限界をはっきりと証明した。官民の成長戦略と改革の実行力が問われる。