YMO散開後に発表されたソロアルバム『音楽図鑑』は多彩な楽曲群の中にも坂本龍一らしさを確認できる秀作

『音楽図鑑』('84)/坂本龍一

3月28日に坂本龍一が亡くなったことが所属事務所によって公表された。2023年になってまだ3カ月しか経ってないというのに、相次いでレジェンド級のアーティストが亡くなっていて、何とも落ち込むところだ。今週は哀悼の意を込めて、坂本龍一作品を紹介する。過去、ソロ作品は『B-2 UNIT』、『千のナイフ』、『サマー・ナーヴス』の3作を紹介しているので、今回はYMO散開後に発表した『音楽図鑑』とした(上記3作はいずれもYMOの活動中に発表されたもの)。今作また坂本龍一らしさを十二分に感じさせる秀作である。

いつも傍らに音楽を…

多彩な人であった。この度の訃報に際し、メディアで語られる活動歴がそれを物語っている。新聞やテレビは、やはりYellow Magic Orchestra=YMOのメンバーであったことと、映画『ラストエンペラー』(1978年)の音楽を手掛けて、日本人初のアカデミー作曲賞の他、ゴールデングローブ賞作曲賞を受賞したことに触れて、“世界のサカモト”とも呼ばれた…といった紹介が多かったように思う。だが、速報に次ぐ雑誌やネットの記事では、YMOやアカデミー賞だけに留まらない坂本龍一の足跡を記していた。スタジオミュージシャンとしての初仕事が、友部正人のアルバム『誰もぼくの絵を描けないだろう』(1975年)収録曲「おしゃべりなカラス」のピアノ伴奏であったこと。山下達郎やナイアガラ・トライアングルらの楽曲にもキーボーディストとして参加していることと、彼らとの親交。忌野清志郎との「い・け・な・いルージュマジック」(1982年)での衝撃。1992年のバルセロナオリンピックの開会式での音楽を作曲し、式にも登場したこと。ダウンタウン扮する“GEISHA GIRLS”をプロデュースし、自身もテイ・トウワ、富家哲とともにバンドで参加したこと。「energy flow」を収録した「ウラBTTB」(1999年)がインストとして初めてチャート1位となり、自身最高セールスとなっていること。音楽以外で言えば、映画『戦場のメリークリスマス』でのヨノイ大尉役、『ラストエンペラー』での甘粕正彦役などの役者としての活動。『ダウンタウンのごっつええ感じ』の他、『オレたちひょうきん族』や『THE MANZAI』といったテレビのお笑い番組にも登場したこと(『THE MANZAI』はYMOの3人で…だが)。パーソナリティーを務めたNHK-FMの『サウンドストリート』がのちの邦楽シーンに与えた影響。また、地雷除去活動、脱原発、護憲、直近では明治神宮外苑地区の再開発の見直しなど、社会問題にも積極的に意見を述べていたことが紹介されることも少なくなかった。

個人的に思うのはアニメ映画『王立宇宙軍 オネアミスの翼』の音楽監督を務めた件も挙げたいし、フリクションの歴史的名盤『軋轢』(1980年)のプロデュースを行なったのも坂本龍一であることも改めて記しておきたいところではある。役者やバラエティー番組への出演もさることながら、まず本業である音楽家としての活動が多彩であり、しかも高レベルであったことは、坂本龍一を語る上で改めて強調しておかなければならないだろう。音楽を作ることも演奏することも好き過ぎて、自身と切っても切り離せないものであったのだろう。癌のステージ4の術後でありながらも演奏、制作、配信を行なったピアノのソロコンサートがその何よりの証し。何でも[亡くなる2日前の3月26日には自身が代表・監督を務める「東北ユースオーケストラ」の演奏会をオンラインで視聴し、終演後に出演者に向けて「Superb! Bravissimo(拍手×5)素晴らしかった!! よかったです。みんなありがとう(拍手×3)お疲れさまでした♪」とのメッセージを送っていた]ともいうし、活動できなくなる直前まで“神山まるごと高等専門学校”の校歌を制作していたという。闘病後、シンセに触れることで癒される気がしたといい、それが遺作である『12』につながっていったというから、坂本龍一にとって音楽とは、もちろんパートナーであり、ファミリーであったのだろうが、同時に“ライナスの毛布”だったのかもしれない。

映画『戦場のメリークリスマス』で共演したビートたけしがNHKのテレビ番組『クローズアップ現代』で、坂本龍一とのエピソードを披露していた。ロケ地の南太平洋のラロトンガ島で、土産のウナギを全部食べられてしまった坂本氏が、自分の分がなかったことを涙ながらに抗議していたと、たけしらしい笑える話に仕立てていたのだが、そこから察するに、(少なくとも若い頃は)案外、子供っぽい人だったのかも…と思う。だとすると、乳幼児が愛着を示す物のように、音楽が氏の情緒を落ち着かせていたというのは、あながち的外れでもない気もする。(※ここまでの[]はWikipediaからの引用)

ノーコンセプトの4thアルバム

YMO散開後に発表されたソロアルバムとしては4作目となる『音楽図鑑』からも、そんな坂本龍一の多彩な面と、常に音楽を傍らに置き続けた氏らしさを感じることができる。制作背景からもそれが分かる。[1982年10月24日から始められたレコーディングは、1984年8月23日のCDマスタリングが終了するまで1年8ヶ月を要した。当期間、YMOのアルバム『浮気なぼくら』『サーヴィス』、大貫妙子のアルバム『シニフィエ』、矢野顕子のアルバム『オーエス オーエス』などプロデュース他、YMOの散開ツアーやCM音楽の録音なども行なったため、レコーディングが一時中断した]のだという。レコーディング期間が1年8カ月とだけ聞けば、随分と時間をかけたものだと思うが、YMOの散開ライヴであった『1983 YMO ジャパンツアー』が1983年11月23日から同年12月22日まで…と本作レコーディングの真っ只中。加えて、『浮気なぼくら』のレコーディングが1982年10月20日から翌年1月20日で、『サーヴィス』は1983年9月から10月にかけて制作していたというし、大貫作品、矢野作品も手掛けていたことを考えると、実際にはスケジュールはかなりカツカツだったに違いない。それにもかかわらず、今回当コラムで紹介する1984年発表のオリジナル盤(?)での13曲以外にも未発表曲があったというから(未発表曲7曲はのちに『音楽図鑑-2015 Edition』に収録)、この時期の創作活動の膨大さには舌を巻くというか何と言うか…。Wikipedia先生によれば、本作は[それまでのはっきりしたコンセプトに基づいて作成する方法とは異なり、スタジオに入って何の先入観なしに出てくるものを記録していく手段を取った]そうだが、当時のスケジュールを鑑みると、“というか、その手段しか取れなかったのでは…?”と思うほどではある。多分その見立てはそう間違ってもないだろう。

収録曲を見ていこう。M1「TIBETAN DANCE」は軽快なクラップから始まるナンバー。シンプルだがキレのあるドラムは高橋幸宏で、随所に小技を織り交ぜたベースは細野晴臣が弾き、ギターは大村憲司が担当し、アコギのアルペジオからエレキの冴えわたるカッティングまでを聴かせている。アジアンなメロディーの繰り返しという、単純と言えば単純な楽曲だが、YMOメンバーによるアンサンブルが楽曲を単純に聴かせないところがあるだろう。無論その演奏にさまざまな音を重ねている面白さがさらに楽曲を豊かなものにしているのだが…。二胡か胡弓かという音が聴こえてくるが、当然、『ラストエンペラー』より5年早い。

M2「ETUDE」は冒頭からしばらくはそのリズムからしてポップス・ロック寄りの印象ではあるものの、中盤ではっきりとジャズだと分かる。リズム隊は完全にジャズ。面白い転調だと思っていると、それだけ終わらずに、そこからまたリズムがレゲエに展開していく。意表を突かれるけれど、そこもまた面白い。キーボードとともに主旋律を鳴らすトランペットを始めとする管楽器がなまめかしい。

M3「PARADISE LOST」は『戦場のメリー・クリスマス』のサウンドトラック収録の「The Seed And The Sower」に似た雰囲気を個人的には感じたのだけれど、作者の手癖もそうだが、“戦メリ”の“Forbidden(禁断)”感と『失楽園』とは通じるところがあったのかもと思ったりもする。これもリズムはレゲエで全体的にはゆったりとした印象。ただ、そこにアジアンなメロディーとモノローグ(何語だろう?)が乗ることで不思議な空気に拍車をかけているように思う。ひと筋縄ではいかない。トランペットは近藤等則が担当し、山下達郎がエレキギターを弾いている。

M4「SELF PORTRAIT」は明るくなり過ぎず、かといってマイナーというわけでもないシンセが奏でるメロディーが中心。高橋幸宏が叩くドラムのリズムが後ろ向きに聴こえさせないところで踏ん張っているような気もする。映画『子猫物語』でも使用しようされたとのことで、“確かに子猫の寄る辺なき感じもあったりするなぁ”とも思わせるところもある。

M5「旅の極北」はサンプリングされたリズムの硬質さが耳を惹く。ピアノ、鐘の音、リバースとさまざまな音が鳴りつつ、後半ではサックスやヴォイスも聴こえてくるなど、最後までなかなか展開が読めない感じではあって、前述した[スタジオに入って何の先入観なしに出てくるものを記録していく手段を取った]というのは、この辺でも感じることができるのかもしれない。(※ここまでの[]はWikipediaからの引用)

シュールさと教授らしさが同居

本作がシュールレアリスム的な面もあることを坂本龍一本人が認めていたようである。そう聞いても、M5まではそれほど難解さは感じなかったのではあるが、M6「M.A.Y. IN THE BACKYARD」以降は“確かになぁ”と作者の弁に同意するところではある。そのM6は出だしこそ可愛らしい感じではあって、それこそ映画の劇伴にも似た雰囲気を感じるものの、どんどん怪しげな音も重なっていき、オケヒが入ってくる辺りからはスリリングになっていく。聴きづらい…とまでは言わないけれども、展開の読めない様子は誰もが楽しく聴けるという感じでもなかろう。何でも[タイトルの“M.A.Y.”は当時高円寺の自宅裏庭に集まっていたノラ猫たちのこと]だそうで、そう考えれば納得の予測不能さではある。

ミドル~スローのM7「羽の林で」も何とも不思議な空気を持った楽曲。歌が入っていて、そこはメロディアスではあるものの、全体的には親しみやすさがあるというよりは、独特の浮遊感のほうが強く感じられるように思う。特に中盤(あそこは間奏という見方でいいのだろうか)の民族音楽的なパーカッションやリバースが入っている箇所は楽曲の世界観を優先させた印象ではある。ここでも山下達郎がギターで参加している。

アルバム後半、M8「森の人」は矢野顕子が歌詞を手掛けている。M7に次いでガムラン風の音が配されていて、可愛らしいと言えば可愛らしい感じだし、幻想的と言えば幻想的。途中のトランペット風のサウンドはサイケっぽい。歌はメロディーもさることながら、ボコーダーが使われているのが、いかにも坂本龍一といった印象ではある。

M9「A TRIBUTE TO N.J.P.」は中村哲のサックスが鳴らされ、そこにピアノが絡む、一見シンプルなアンサブルに思えるナンバー。しかしながら、相変わらず…と言うべきか、パッと聴きには展開が簡単に読めないので、即興演奏のような緊張感があり、これもまたひと筋縄ではいかない。タイトルとの“N.J.P.”とは坂本と親交のあった現代美術家、Nam June Paikのこと。途中で出てくる声は氏のものだ。

M10「REPLICA」もまた不思議な音楽世界。終始、カメラのシャッター音のような音が鳴り続ける中(タイプライターの音をサンプリングしたものだそうな)、低音のシンセサウンドが鳴り続けながらさまざまに変化していく。アンビエントと言えばそうかもしれない。後半ではキラキラとした音も重なってきて、明るく光が指すような印象ではあるけれど、不穏な感じは消えない。この楽曲を“REPLICA=模写、複製”と名付けた意図はどこにあったのか興味を惹かれるところである。

M11「マ・メール・ロワ」は、ひばり児童合唱団によって主旋律が歌われている。そのメロディーは決して難解なものではなく、口ずさめるものではあるのだが、背後での楽器のアンサンブルはちょっとアバンギャルド。近藤等則のトランペットは彼らしくフリーキーだし、それ以外の音も不規則に入っているような印象もあって、M9とはタイプは異なるものの、これも即興演奏に近い雰囲気はある。それを子供の歌声と合わせているところが何よりも前衛的かもしれない。

M12「きみについて」はそこから一転、軽快でポップな楽曲というイメージ。ただ、坂本龍一には確実にこういう面もあって、個人的には1980年代にNHK教育(現在のEテレ)で放送されていたテレビ番組『YOU』のオープニングに似た匂いを感じたところではある。こちらも歌詞があり、糸井重里が書いている(糸井氏は『YOU』の司会者でもあった)。歌詞はこんな感じ。

《お父さんが/子供の時/お母さんを/知らなかった/僕はまだ/君を知らない》《君の寝言/君の寝息/君のはぎしり/君の寝相》《お父さんが/子供の時/お母さんを/知らなかった/僕はまだ/君を知らない》《君の寝言/君の寝息/君のいのち/君のあくび》(M12「きみについて」)。

この歌詞を坂本自身は“恥ずかしい”と言ったそうだが、それは他の楽曲に比べて声がはっきりと聴き取れるからか、それとも、その内容に自身の想いが重なったからか。プライベートのことはあまり表に出さなかった人だけに真相は分からないけれど──。

M13「TIBETAN DANCE (VERSION)」はM1の文字通りのバージョン違い。アルバム作品らしい円環構造で『音楽図鑑』が締め括られている。メロディーが後退して、個々の楽器が順番に前に出ているような印象であり、ノーコンセプトであった本作を象徴しているようでもあって、アルバムのフィナーレとしては適切だったのかもしれない。

こうして振り返ってみても、楽曲のバラエティー感には、坂本龍一の音楽家としての前向きな姿勢が当たり前のように反映されていたのだろうし、雑多さの中にも、メロディーや音使いなど我々が想像する坂本龍一らしさはしっかりとあって、今となっては『音楽図鑑』というタイトルは上手く付けたものだとも思う。音楽家、坂本龍一を理解する上での第一線級の資料でもある。

TEXT:帆苅智之

アルバム『音楽図鑑』

1984年発表作品

<収録曲>
1.TIBETAN DANCE
2.ETUDE
3.PARADISE LOST
4.SELF PORTRAIT
5.旅の極北
6.M.A.Y. IN THE BACKYARD
7.羽の林で
8.森の人
9.A TRIBUTE TO N.J.P.
10.REPLICA
11.マ・メール・ロワ
12.きみについて
13.TIBETAN DANCE(VERSION)

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