コービー・ブライアント、60得点を記録した引退試合から7年が経過

ブラックマンバが牙をむいた衝撃的なラスト

2016年4月13日は、コービー・ブライアント(元ロサンゼルス・レイカーズ)がNBAで現役最後の試合をプレイした日である。ラストゲーム、コービーは全盛期を彷彿とさせるプレーも見せて60得点をマークした。あの試合から今年で7年。いまだその劇的なエンディングを忘れられないという人は数多い。その「ブラックマンバ」のラストゲームを振り返っていきたい。

※この記事は2020年刊行『英雄伝説 コービー・ブライアント』に掲載したものを再編集したものです。

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ブラックマンバ――。2015-16シーズンのコービー・ブライアントは、その凶悪なニックネームが嘘であるかのようなお粗末なプレーを見せていた。数シーズン前であれば朝メシ前だった20得点を記録するのにも一苦労。そのショットはリングにかすりもしないこともあった。そんな最中での引退宣言。驚かなかったと言えば嘘になるが、心のどこかでその日が近いことを予感していたのもまた、事実だ。

スターターとしてコートを去る。実にコービーらしいタイミングだ。引退宣言以降、レイカーズ戦のチケットは飛ぶように売れ4月13日、コービーのフェアウェルツアーは終着点を迎えた。引退試合となったのはホーム、ステイプルズ・センター(現クリプト・ドットコム・アリーナ)でのユタ・ジャズ戦。試合前日の時点で、ジャズはウエスト9位(40勝41敗)とプレーオフ進出の当落線上にいた。しかし、この試合開始前に同8位のヒューストン・ロケッツがサクラメント・キングスに勝利したことで、ジャズのプレーオフへの道は断たれた。つまり、この試合は“コービーの引退試合”という肩書きのみが残る試合となったのだ。

LAの英雄がパープル&ゴールドのユニフォームを身にまとう最後の日。15点でも20点でもいい、1点でも多く点を獲れればいいんだが…。これがファン、そしてコービー自身が考えていたことだろう。実際にコービーも「今日はとにかくハードにプレーして、自分ができる限りのショーを見せようと思っていた」と試合前の心境を振り返っている。――このときは最後の48分間の結末など、誰一人、知る由もなかった。

試合開始。序盤からチームメイトたちは、コービーにボールを集め、彼自身も積極的にリングを狙った。しかし、なかなか入らない。不安そうに見つめるファンがようやく安堵したのは試合開始から7分近く経過してからだ。インサイドに切れ込んだコービーはマッチアップしていたゴードン・ヘイワードをかわし、ジャンパーを成功させる。これで勢いづくと、第3Q終了までに37得点を積み上げた。

そして第4Q、ブラックマンガが牙をむく。笑顔は消え、相手をにらみつけるようなかつてのコービーの姿がそこにはあった。ドライブ、ポストアップ、3ポイントプレイ。あるゆる手段で得点を重ね、残り31.6秒で得意の右45度からジャンパー。「また決めた! 58得点目! これでレイカーズリードです(He’s got it! 58 points! And Lakers lead!) ――興奮を隠しきれない実況の声が響く。これはレイカーズ初リードの瞬間だった。

そして、現役最後の得点はフリースロー。NBAでの初得点も、憧れのマイケル・ジョーダンの通算得点を抜き去ったときもそうだった。節目の得点はいつもフリースローだ。直後にジョーダン・クラークソンおダンクをお膳立てして勝敗が決すると、コービーは駆け寄ってくる若手を力強く抱きしめた。「後は頼んだぞ」と言わんばかりに。

「今日はいろいろな場面で感傷的になったよ。ロッカールームで自分のジャージが掛かっているのを見て『ああ、これを着るのも今日が最後か…』とね。アリーナに着いたときも、さまざまな場面で感傷的になっている自分がいたんだ」。試合後の会見でそう語ったコービーの表情は、ブラックマンバから一人の男のそれへと戻っていた。

コービーがこの試合で記録した60得点は引退試合での歴代最多得点であり、2015-16シーズンのリーグの最多得点でもあった。20年もの間、多くのファンを魅了し続けた男は、最後にとびきりのサプライズを披露し、プレーヤーとしてのキャリアに膜をおろした。一言“マンバアウト”と言い残して。

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