デヴィッド・ボウイ「レッツ・ダンス」孤高のロックスターが地球に落ちて来た!  洋楽ビッグヒット!デヴィッド・ボウイ珠玉の名曲「レッツ・ダンス」

デヴィッド・ボウイってなんぞや?

僕ら(1964年生まれ… もうすぐ還暦)にとって幽霊のようにつかみどころがなかったデヴィッド・ボウイ。タイミング的に少し上の先輩たちが最初のリアルタイムだったので、正体不明のアーティストという感じでした。

当たり前ですが当時はインターネットもSNSもなく圧倒的に情報量が少なかったので、ファンでもない僕には彼の作るアルバムに毎回複雑に散りばめられたサイドストーリーまでは全く伝わってこなかったのです。

時々、洋楽専門誌『ロッキング・オン』や『ミュージックライフ』で垣間見るデヴィッド・ボウイは、変幻自在のビジュアルで見る度に何をやっている人なのかがよくわからなかったのです。

要するに、ちゃんとアルバムを買って聴けば良かったのですが、当時の小遣いでは月にアルバム1枚買えたら上級国民でしたから、ボウイのアルバムに関してジャケ買いする勇気は持てませんでした。

明らかに宇宙人?デヴィッド・ボウイの歴史

いまさら… ですが、彼の歴史を紐解いてみると――。

■1947年ロンドン生まれ
■1969年、前年に公開された映画『2001年宇宙の旅』をモチーフにしたアルバム『スペイス・オディティ』までの時代。
■1972年6月、架空のロックスターを名乗ったコンセプトアルバム『ジギー・スターダスト』に代表される奇抜な衣装やメイクのグラムロック時代。
■1975年、盟友となるギタリスト、カルロス・アロマーを迎えたアルバム『ヤング・アメリカンズ』、初の主演映画『地球に落ちて来た男』のアメリカ時代。
■1977〜79年にかけてブライアン・イーノとのコラボレーションで制作されたアルバム『ロウ』、『英雄夢語り』、『ロジャー』のベルリン三部作時代。

―― など、前半から中盤まではこんな感じで分類できます。

ある時は眉毛がなくなり、ある時は顔に雷のメイクをしてフォークギターを弾き、 ある時は上半身裸で椅子に拘束され、ある時はやたら写真がモノクロになってベルリンの壁の前に立つ。

とにかく突飛なビジュアル先行型に思えて、心酔したファンの人しか詳細は理解できませんでした。硬派な田舎のハードロックバンドが好きな僕らには追いつけるはずもなく明らかに彼は宇宙人でした。

クラスにもボウイが好きな女子はいました。そういう人はだいたいがちょっと気難しくて頭が良くて、だいたい生徒会に所属してました。

彼女たちがプラスチックの下敷きに挟んでいる雑誌の切り抜きを見て、最近は「あーそうなんだ、今はそんな感じなんだー」と思っているのが関の山でした。

デヴィッド・ボウイがついに落ちてきた。名盤「レッツ・ダンス」リリース

ところが1983年、ボウイはついに僕らがいる地球に落ちてきたのです。あの名盤『レッツ・ダンス』がリリースされるんです。なんとわかりやすい大ヒットアルバムだったんでしょう。

当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった “シック” のギタリスト、ナイル・ロジャースを共同プロデューサーに迎え、それまでのような複雑で難しいコンセプトはありませんでした。

そして遅れている洋楽ファンの僕らは「これがデヴィッド・ボウイの音楽なのね」と、やっとビジュアルではなく音楽として楽曲を理解できました。

「レッツ・ダンス」なる7分を越える最大のヒット曲は、録音されたニューヨークの「Power Station Studios」のドラムの鉄板を叩いているような豪快な残響同様、世界中にデヴィッド・ボウイの名を再び響かせたのです。

朗々としたボウイのボーカルにレッツ・ダンスと呪文のように繰り返されるリフ。そうなのか。シリアスムーンライトなのか。どう考えてもヒットしないわけがないのです。

孤高のロックスター、「戦場のメリークリスマス」に出演

もうひとつ衝撃的だったのは、ナイル・ロジャースのストラトのハーフトーンのショートディレイのカッティングの奥からやってきた、とてつもなくブルースなチューブスクリーマーのギターソロでした。

そうです、この瞬間にあのスティーヴィー・レイ・ヴォーンもテキサスのローカルから宇宙船ボウイ号に乗って再び地球に帰ってきたのです。

まだ南部の無名ミュージシャンだったレイ・ヴォーンに多くのギタリストが、“この古臭くて新しいプレイはなんなんだ?” と関心を寄せ、同年に出した彼のアルバムはゴールドディスクを獲得しました。

1990年にヘリコプター事故で亡くなるまでのここからの7年間がスティーヴィー・レイ・ヴォーン伝説でした。偉大なTSサウンドは今でも健在で彼のフォロワーは後を絶ちません。

同年、ボウイは大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』に英軍将校ジャック・セリアズ役でビートたけしや坂本龍一と共演しました。なぜ坂本龍一とキスをするのか未だにわからないまま、日本人の多くにその麗しきご尊顔の印象は決定づけられたのです。

誰とも被らない孤高のロックスター、デヴィッド・ボウイ。「レッツ・ダンス」は間違いなく彼の数あるピークの1つでもあったのです。

洋楽カバーバンドTHE JUGGLERの「レッツ・ダンス」はどうなった?

毎回このコラムはTHE JUGGLERがカバーしている洋楽曲について書いていますが、この曲はまだレパートリーに入っていません。披露するつもりだったイベントの出演がなくなったため、残念ながら演奏予定がまだ立っていないのです。

THE JUGGLERメンバーの渋谷さんが作った完璧な打ち込みを元に、沖縄出身ソウルシンガーHIDE君のボーカルレパートリーとしてリハーサルはすぐできる状態です。

発表できるチャンスがあれば必ずステージで演奏しようと思っていますので、楽しみにお待ちください。

カタリベ: THE JUGGLER

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