東京ディズニーランド40周年 世代超え愛されるパーク ゲストの思い出、歴史に 【魔法のキセキ】

東京ディズニーランド開業時から40年勤務しているオペレーションマネジャーの地曵さん=10日、浦安市

 「日本にディズニーランドを作りたい」―。オリエンタルランド(浦安市)の初代社長・川崎千春氏(京成電鉄社長)が最初に未来図を口にしたのは、今から60年余り前のことだった。同電鉄本社ビルの片隅に、わずか机三つでスタートした“夢の計画”。埋め立て事業に伴う地元漁業者との交渉や米ディズニー社との協議など幾多の厳しい局面を乗り越え、1983年4月15日、東京ディズニーランドが開業した。

◆「いよいよ始まる」

 「開園前にシンデレラ城の前で広告撮影があり、初めてミッキーマウスを見た。『いよいよ始まるんだな』と気分が高揚した瞬間を覚えている」。オリエンタルランド運営本部オペレーションマネジャーの地曵睦さん(60)=富津市出身=は振り返る。「地元の千葉でこれまで誰もやってこなかったことを成し遂げようとしている企業がある」と聞き専門学校を卒業後、開園前に入社。以来、40年間にわたってパークとともに人生を歩んできた。

 開業日はあいにくの雨。当時の高橋政知社長と米ディズニー社の会長、ミッキーマウスなどによるテープカットが行われ、約3千人のゲスト(来園者)が続々とゲートをくぐった。会計を管理する部署に配属されていた地曵さんはパーク内に出る機会がなかったものの、釣り銭を取りに来たキャスト(従業員)と「とうとうオープンだね」「おめでとう」と喜びを分かち合った。

 「ディズニーランドがこんなに続くとは正直思っていなかった。商売として成り立つかを含めて、懐疑的な意見も多かった」と地曵さん。ところが当初の年間目標「1千万人」を難なくクリアしただけではなく、営業開始からわずか4年で黒字化に成功した。

 投資計画も着々と進み、87年に「ビッグサンダー・マウンテン」、92年に「スプラシュ・マウンテン」など今でも根強い人気を誇るアトラクションが登場。JR舞浜駅の開業など周辺環境の整備や好景気が重なり、入園者数は毎年増加の一途をたどった。

◆「変わらぬ風景も」

 2001年にオープンした東京ディズニーシーと合わせ、累計入園者数は昨年2月に延べ8億人を突破。会場を提供する浦安市の成人式も、県民にとっての恒例イベントとして定着した。目まぐるしく過ぎる日々の中、地曵さんが大切にしてきた思いがある。

 「ゲスト一人一人に訪れた背景、ディズニーにまつわる思い出があるということ」。パレードを管轄する部署にいた際、ルートの最後尾を歩く役目だった。「事故で亡くした家族が好きだった」と写真を持って命日に訪れる人、「昔子どもを連れてきた」と懐かしむ夫婦―。気になるゲストに声をかけると、「実は…」とそれぞれの思いを語ってくれることに気付いた。

 「開業当初から変わらない景色もあれば変化し進化ているものもあり、それが歴史の重み。3世代で来園してもらえるパークに成長できた」と目を細める。「夢と魔法の王国」として出発した東京ディズニーランド。「毎日働いていればもちろん大変なことはある。でもゲストのキラキラした笑顔を見ると、本当にその通りなんだなと思う」

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 浦安市の東京ディズニーランド(TDL)が15日、開業40周年を迎える。日本を代表する巨大テーマパークを支えるスタッフたちの思いを紹介する。

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