工芸の匠達の山。伝統構法の建築士とともに巡る、山守、大工、木工の匠との出会い。500年を旅する木の物語。

先祖代々、未来へ山を活かし続ける山守の仕事

吉野川上流域にある川上村は吉野林業の中心地のひとつ。他の林業産地と比べても山の斜面が険しく、高度な技術が必要とされています。
そんな吉野川上村で先祖代々山守をされている福本さんにお話しを伺いました。

この日も車をとめてから険しい斜面を一時間徒歩で上がった場所で作業をされていたそうで、まだ眼鏡についたままの木屑を見せてくださいました。その笑顔からは山守というご職業をとても誇りに思われて長年お勤めになられていることが伝わります。

山守の仕事は多岐にわたり、先祖代々育てられてきた木々を維持管理し、木を伐り、出荷し、新たに木を育て、次の世代へ継承し、未来へ数百年山を活かし続けることにあります。特に川上村の山守は経営者と言われ、山持とおなじくらいの権限を持っており、いつ木を切るかの判断も山守に委ねられているそうです。

木々、そして先祖への感謝。

木を伐る時期は、木が乾燥している10月~3月の冬の時期に行われ、それ以外の時期にも木々のメンテナンスなど一年を通して木々と向き合う生活をされております。川上村の山守はひとつの山だけではなく、複数の山を守っていることが多いそうです。川上村では、山の土地の持ち主である山持は「旦那」と呼ばれており、山守によっては数人の旦那がいらっしゃるそうです。

福本さんは、吉野林業のなかでも二人ほどしかいない大木を切ることのできる山守で、大木を切るというのは誤魔化しがきかず、無傷で大きな木を倒すには高度な技術が必要といいます。100年の木を育てるのに三代を要するといわれており、先祖代々大切に育てられた木を切る前日はあふれる責任感と興奮で寝付くことができないほどだといいます。

福本さんは、木を伐る際に必ず御神酒と榊を供え、木への感謝と、その木々を立派に育ててきだ先祖への想い心に馳せるそうです。

長樹齢木が多く育つ吉野、変わりゆく時代

福本さんが活動される川上村では520年の超長樹齢木が存在します。川上村は約500年の歴史がある吉野林業発祥の地で、中でも下多古村有林では江戸時代初期から先祖代々樹齢約250〜400 年の杉や桧が育てられています。

吉野林業では、木は三度の人生を生きるといわれます。山に立つ役目、家や商品に使われる役目、古材として新しい木を引き立たせる役目。

数百年前より先祖代々大切に育てられ、時代の流れに応じて酒樽、船材、建築など多様な姿に生まれ変わり、古材として新たに家などに生き、人々の暮らしと共存してきました。

吉野の木々は、急斜面の過酷な環境で育つことでより良質な木々となります。良い木は幼いころからわかるといいます。

昔は主に吉野川の水流を利用して搬出していた吉野杉ですが、昭和55年ころにはヘリコプター搬出に変化していき、特にここ数年はヘリコプターの燃油費の高騰により搬出コストも大幅に上がり、これまでは市場に出ていた間伐材などの木材は輸送コストの採算が合わず、間伐後に山にそのまま廃棄せざるおえない状況にあるといいます。急斜面に育てられていることから林道を整備することが難しく、ヘリコプター輸送が主流となり、現在では一度のヘリコプターの稼働に約200万円の費用がかかることから、単価の安い木々は樹齢100年~200年を超えるような間伐材も例外ではありません。

Local Craft Japanでは、吉野林業の超長期的な思想、自然との共存、また吉野林業の現状を学び、日本の伝統技法の本質的な美しさを感じ、地域への好循環を創出するきっかけになればと思っております。

人間の一生をも超える時間軸で過去から未来へ生き、引き継がれる吉野林業。

次回は吉野杉をつかい古来の技法で木造建築を建てる木造建築家にお話しを伺います。

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