日本が誇るスポーツメーカーの一つ、アシックス。
先日、大人気モデル「DSライト」シリーズの新作『DSライト X-Fly 5』をリリースしたように、フットボーラーに愛されるスパイクを作り続けている。
現在は、スコットランドのセルティックで大活躍する古橋亨梧。
さらに負傷離脱を余儀なくされているものの、プレミアリーグ首位の冨安健洋などと契約している。
そして過去には、実は何人もの世界的名選手の足もとを支えていた。そこでアシックスのスパイクを履いたことのある代表的な10名の選手を紹介する。
アンドレス・イニエスタ
まずは、現在J1首位を走るヴィッセル神戸の“象徴”イニエスタ。
長くNikeのサポートを受けてきたが、2018年夏にバルセロナから神戸へ移籍を果たすとその年の10月、チームのサプライヤーであるアシックスとの契約を発表。翌2019年には共同開発したスパイク『ウルトレッツァAI』を世に送り出している。
現在は自身のブランドであるCapittenの『ONE プロ』を使用。
ミューレル
おそらくアシックスのワールドカップ初得点者。
ブラジル代表として3度のワールドカップに出場し、2度目の出場となった1990年大会、アシックスのスパイクを履き2戦目のコスタリカ戦でゴールをあげている。
1994年大会で優勝メンバーとなり、翌年来日したものの家庭の事情で柏レイソルをあっという間に退団したことでも有名。
アレッサンドロ・ネスタ
パオロ・マルディーニやファビオ・カンナヴァーロらとともにイタリア代表の“カテナチオ”を支えた名DF。ラツィオやミランで活躍し、計3度のセリエA優勝に加え2度のチャンピオンズリーグ制覇を成し遂げた。
アシックスのスパイクは世界的評価を受けたラツィオ時代から長く履いていた。
フアン・セバスティアン・ベロン
“ブルヒータ”(小さな魔法使い)と呼ばれたアルゼンチン代表の司令塔。
1998年のフランスワールドカップではFilaのスパイクを履いていたが、その後アシックスと契約。「アシックスストライプ」とともにラツィオやマンチェスター・ユナイテッド、インテルでリーグ優勝を達成している。
アントニオ・ディ・ナターレ
30歳を超えてから得点力に火が付き、2009-10、2010-11シーズンと2年連続でセリエA得点王に輝いたウディネーゼの10番。
ディ・ナターレが愛用していたのは「リーサルティグレオール」シリーズで、晩年は海外モデルの『リーサルティグレオール4IT』や『リーサルティグレオール5IT』を愛用していた。
フランコ・バレージ
伝説的リベロとして知られるバレージは1982年、1990年、1994年と3度のワールドカップに出場。そのうち1982年を除く2大会では、アシックスのスパイクを履いてピッチに立った。
特に1994年のアメリカワールドカップでは、グループステージで膝を痛めて手術を敢行。ブラジルとの決勝戦で復帰し、ブラジルのエース・ロマーリオを完封してみせた。
当時のイタリア代表ではジャンルカ・ヴィアッリなどもアシックスを履いていた(いい写真が見つからず…)
クリス・ワドル
ワドルはイングランド史上屈指のウィンガーとして知られ、トッテナム・ホットスパーやマルセイユで活躍。
ワールドカップには1986年と1990年の2大会に出場し、1990年のイタリア大会ではアシックスのスパイクを履いてチームのベスト4入りに大きく貢献した。
ブライアン・ラウドルップ
デンマーク代表史上最強の「兄弟プレーヤー」、ラウドルップ兄弟。兄ミカエルはヴィッセル神戸でプレーしたことでも知られる“10番”だが、弟ブライアンも世界屈指の快速アタッカーだった。
29歳で出場したフランスワールドカップでは大会最多タイの3アシストを記録。そんな彼の足もとには、日本のアシックスのスパイクがあった。
ジネディーヌ・ジダン
adidasの代名詞的な選手の一人であるジダン。しかしブレイクする前、実はアシックスのスパイクを履いていた。
1992年から1996年にかけて所属したジロンダン・ボルドーは、チームのサプライヤーがアシックス。そのため選手全員がアシックスのスパイクを履いていた時期があった。
デイヴィッド・ベッカム
こちらもadidasを代表するスターで、ある意味ジダンより意外なアシックス着用選手だろう。
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マンチェスター・ユナイテッドでプロになったベッカムだが、試合経験を積むため1994-95シーズンに1ヵ月だけ下部リーグのプレストン・ノース・エンドへローン。その際にアシックスのスパイクを履いていたようだ。