腫瘍の発見が転機で笑いの道へ 吉本新喜劇・辻本茂雄「頑張る目標が欲しかった」競輪選手を夢見ていた

吉本新喜劇の辻本茂雄(58)がこのほど、よろず~ニュースのインタビューに応じ、芸人になったきっかけ、新喜劇に対する思いなどを語った。

世界選手権10連覇の中野浩一選手にあこがれ、競輪選手を目指していた。子どもの頃から自転車競争では負け知らず。変速ギア付き自転車の同級生を相手に、母親の自転車でぶっちぎっていた。大阪の地元中学を卒業すると、自転車競技の名門・和歌山北高校へ進学。夢に一歩ずつ近づいていたとき、思わぬ悪夢が襲った。

高校卒業を控えた18歳の時。実家がうどん屋を経営しており、うどん鉢を買いに出かけた母親を駅まで迎えに行く途中、自転車でタクシーと接触事故を起こしてしまう。病院でエックス線を撮ったところ、右ひざに腫瘍が見つかった。良性だったが、手術で腰の骨を移植。医師からは「これくらいだったら大丈夫。競輪選手になれるよう、私も応援する」と励まされ、リハビリをしてトレーニングを再開したが、1年後の検診で今度は左ひざに腫瘍があることが判明した。

良性でも「競輪のような重いペダルは踏まれへんなあ」と通告されて、夢は断念せざるをえなかった。「青春を全部かけてましたからね。人が遊んでいるときも、必死に練習していましたから。言葉には言い表せられないツラさがありました」。何もやる気が起こらず、やりたいこともなく、アルバイトをしながらただ時間だけが過ぎるだけだった。

ところが、ふとしたきっかけで、芸人になることを決めた。うどん鉢を買いに行く母に付き添うと、当時、建設中のNGK(なんばグランド花月)近くで「NSC5期生募集」のポスターが至る所に貼られていた。若手だったダウンタウンが若者から熱烈な支持を受けていた頃。「そのポスターがめちゃくちゃ輝いて見えた。この世界に入ったら楽しいことがあるのか、また挫折するのか分からないですけど。次に頑張る目標が欲しかった。笑いの楽しさを知ったのはあとからですね」。笑いの神様に導かれるように、新たな道が見えた。

「三角公園USA」という漫才コンビでデビューし、当時、吉本新喜劇担当になったばかりの大崎洋現会長からコンビで入るように言われて、新喜劇へ。1年後に相方が芸人をやめたことでコンビは解散。ひとりになった。

1989年10月に初舞台に立ち、しばらくは全くウケなかったが、その後に〝アゴネタ〟の誕生で存在感を示すようになった。シリアスな場面で、池乃めだかから「アゴもとさん」とアドリブが入り、「辻本や!」と返したところ大ウケ。出番が増えるようになった。自分のやりたいことと違うと〝アゴネタ〟を封印して低迷したこともあったが、内場勝則、石田靖とニューリーダーとして新喜劇をけん引。個性的なおじいちゃんキャラ〝茂造〟が誕生すると、すっかり代名詞となった。

ゴールデンウイークには、その茂造が主役となる「天使の茂造」(4月28日~5月8日、京都・よしもと祇園花月)が控えている。「茂造がどのように天使になり、みんなとどう絡んでいくのかが見どころですね。足を運んで、わざわざ舞台を見に来てくださるのはありがたいです」と感謝の気持ちを込めて、期待に応えるつもりだ。

◆辻本茂雄(つじもと・しげお) 1964年10月8日生まれ。大阪府出身。NSC5期生。漫才コンビ「三角公園USA」でスタートし、1989年に吉本新喜劇入り。内場勝則、石田靖と3人でニューリーダーとして一時代を築く。新喜劇への愛情は人一倍。

(よろず~ニュース・中江 寿)

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