【特集ザ・作州人】元筑波大副学長・塩尻和子氏 外交官夫人から東大大学院へ イスラーム研究で活躍

今回の「ザ・作州人」は元筑波大副学長で、イスラーム研究者として活躍している塩尻和子さん(79)にご登場願った。結婚、育児もこなしてのキャリアアップ。昨年11月にはアジアのノーベル賞と言われる「グシ国際平和賞」を受賞した。「女性活躍促進」「リスキリング」といった現代社会から求められている課題のロールモデルのような作州美人だ。

18日で79歳の誕生日を迎えられた。しかし、声には張りがあり、もちろん、創作意欲に衰えはない。代表作のひとつ「イスラーム文明とは何か」をはじめ、著書は共著を含めると40冊を超えるが、いまも講演依頼や学会出席の予定が入り、執筆活動も続けている。

「知られていないイスラームやアラブの世界を理解してもらおうと、少数派ですが、自分の役目だと思って取り組んでいます。それが世界平和や安定した世界につながれば、と願っています」

こう言えば身もふたもないが、実ははじめからイスラームの世界に興味があったわけではない。津山高では下宿先で詩を書くのが好きな女学生。浪人はできない、と受けたのが当時の大阪外大アラビア語学科だった。

しかし、ここでかけがえのない人生のパートナーに出会う。のちにリビア駐在大使になる夫の宏さんだ。やがて年上の宏さんは外務省に入省し、エジプトのカイロへ。一方、和子さんは一浪しながら京大大学院へ進む。その間も2人は3カ月に一度のエアメールを交換しながら愛を育み、和子さんが25歳の時、カイロで花嫁になった。

「生まれて初めての飛行機でした。飛び立つ前に婚姻届を出し、礼服や振り袖を詰め込んでカイロで待つ夫の元へ向かったんですよ」

しばらくは外交官夫人の立場で専業主婦。料理も家事も得意だった。男の子2人の子宝にも恵まれ、次男はスーダンで出産したという。しかし、塩尻さんが凄いのはここからだ。やがて復学への思いが強くなり、38歳で東大大学院を受け、合格する。

受験前は状況が二転三転し、願書を出したのは締め切りの1日前というドタバタ劇。来年のために感触をつかめばいいと思ってトライしたわけだが、ブランクを乗り越えての一発合格は快挙といっていい。

「京大大学院を途中で辞めていたので諦めきれなかったんです。再出発するなら1日でも早い方がと思いましたし、何より語学に堪能な夫のさまざまな支援があったからこそできたんですよ」

そこからはハーバード大準研究員、日大講師。執筆、講演活動などでも実績を残し、博士号も取得した。その後は筑波大の准教授、教授となり、65歳からの2年間は筑波大初の女性副学長にもなり、いまに至る。さらに、長年の功績が海外からも認められ、昨年11月にアジアのノーベル賞と言われる「グシ国際平和賞」を受賞。フィリピンのマニラで開かれた授賞式に夫婦で出席している。

振り返れば、塩尻さんの生き方は最近しばしば取り上げられる女性活躍やリスキリングの先駆者のようではないか。それを肩肘張らず、ポジティブに自然にこなしてきた。

「私は楽天家でこれまで焦らず、めげず、諦めずに取り組んできました。津山の人も優しくて粘りがあって、諦めない人が多い。自分が好きなこと、不思議に思うことがあれば、どんなテーマでもいいから自分を取り巻く障害を気にせず、コツコツとやってみるといいと思います」

心に響く言葉の数々。最後に「私、頼まれると断れないタイプで仕事も原稿も抱え込んでしまって」と聞いたときは「僕もそうなんですよ」と返そうとしたが「でも、いつも締め切りより早く出すようにしてます。そうすると何度も見直せますから」と。ごもっともです。肝に銘じます。(山本智行)

◇塩尻和子(しおじり・かずこ) 1944年4月18日生まれの79歳。旧姓は中村。津山高から大阪外大へ。京大大学院中退後、38歳で東大大学院へ。その後は筑波大教授などを経て65歳で同大学初の女性副学長。2011年から東京国際大学国際交流研究所長、現在はアラブ調査室長。

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