和田誠展「幸せを持ち帰って」 来場の平野レミさん、夫を語る

「和田さんはいつも生き生きニコニコとして、ダビンチのように才能豊かな人でした」と話す平野レミさん

 超人的な仕事人は、温かい家庭人でもあった。イラストレーターをはじめ映画監督、作曲家など多彩に活躍した和田誠さん(1936~2019年)の全貌を紹介する岡山県立美術館(岡山市北区天神町)の「和田誠展」(山陽新聞社など主催)。夫の仕事に触れたいと来岡した料理愛好家、シャンソン歌手の平野レミさんが会場を巡りつつ、妻から見た和田さんの魅力を語った。

 壁面をびっしりと埋めるポスター、装丁、似顔絵、著書―。「これでも手がけた作品の10分の1以下。あの人の頭の中どうなってたのかしら」。驚き、そして目を細めて「作品ごとに面影を見るようでうれしい。ここに布団を敷いて寝たいくらい」。おなじみの“レミ節”に深い愛がにじむ。

 和田さんの生涯をたどる「年表柱」で足を止めたのは、幼少時代の落書きだ。「絵が大好きで、4歳から物語まで作ってて。戦時中でもお母さんが全部残してくださった。和田さんのあの落ち着きは、多くの愛に囲まれて育ったからなんだろうな」

 二人のなれそめは、テレビで歌うレミさんを、和田さんが見初めてアタック。わずか10日ほどのスピード婚だった。「第一印象は、ふらふらしない、足が地面に吸い付くように動じない人。結婚して、と言われて迷いなくOKした」と振り返る。

 結婚生活は円満そのもので、和田さんは仕事を家に持ち込まず、いつもニコニコしていた。「家は憩いの場。おいしいご飯で居心地よく過ごしてもらおうと、私も全力だった。だからあまり和田さんの仕事を知らなくって…」。そんな穏やかな家庭が創作を支えていたのだろう。

 ある時、レミさんがうっかり台所のサツマイモの芽を伸ばしてしまった。すると和田さんがそれを仕事場に持って行ってスケッチ。「捨てればいいのにちゃんと新聞に包んで返してくれるの。そんな律義なところがおかしくって」と笑ったが、後日その絵が「週刊文春」の表紙を飾り、びっくりさせられたという。

 会場で吸い寄せられるように近づいたのが、和田さんが作詞作曲した「私の部屋」の楽譜。「♪あなたが帰ったあと、小さな部屋も広い…」と、せつない恋心を歌う。初デート後に和田さんが作ったらしく、亡くなってから発見された。「これを聴いた友人が『和田さんはレミちゃんと結婚することをこの時点で決めてたね』と言ってくれて、胸が熱くなった」。歌の“ラブレター”は「一番の宝物。これだけは誰にもあげられない」と涙ぐむ。

 和田さんが天国に旅立ち3年半、まだ痛みは癒えない。会場には著書200冊も並ぶが、もったいなくてほとんど読めていない。「読んで全部を知ってしまうと、また失ってしまうような気がするから」

 撮影可能な会場では、老若男女が作品にスマホを向け楽しんでいる。「幅広いファンに愛されて和田さんは幸せだ。ぜひ自分のお気に入りを見つけて撮影し、幸せな気持ちを持ち帰ってほしいな」と笑顔に戻って締めくくった。

 「和田誠展」は5月7日まで。同1日を除く月曜休館。

一こま漫画や絵本、エッセーなど、和田さんが生涯に手がけた著書200冊も並ぶ
「週刊文春」の表紙を飾った、レミさんが芽を伸ばしてしまったサツマイモのイラスト
和田さんがレミさんに残した“ラブレター”という「私の部屋」の楽譜

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