仏コメディ映画の愛すべき鬼才、ジャック・タチの世界を彩った、楽しさあふれるサウンドトラック

『ぼくの伯父さん〜ジャック・タチ作品集(原題:Music From The Films Of Jacques Tati)』('95)/オリジナル・サウンドトラック

先日、2020年に92歳で亡くなった作曲家で映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネのドキュメンタリー映画『モリコーネ 映画が恋した音楽家』を観た。あれも、これも、それもモリコーネだったのか!?と膨大な数の映画のスコアを書いてきたモリコーネの才能に驚嘆したところで、帰路、雑踏の中でふいに脳内に流れてきたメロディーがあった。そうそう、こういうサントラもあるよな、モリコーネとは全然違うのだけれど、その愛すべき彼のサントラ(サウンドトラック)のメロディー。一度鳴り出したら脳内麻薬のように、なかなかフェードアウトしない…。ここで言うサントラとは、いろんな作曲家が“彼”の映画作品に提供した音楽を指している。その映画監督の名はジャック・タチ(Jacques Tati 1907- 1982)という。というわけで、今回はジャック・タチの監督作品につけられたテーマ曲などを集めたアルバムを選んでみた。で、個々の楽曲の作曲家、演奏者についてはほとんど知らない。普段聴くものとまったくジャンル違いなので不勉強なのだと言い訳がましいのだけれど。

ジャック・タチは喜劇映画監督という大きな括りで紹介されている一方、コメディ俳優として自身の作品をはじめ、多くの他の監督作品に出演している人だ。とはいえ、残した作品の数は多くないし、映画史に残る名作、問題作を撮ったわけでもない。俳優として、歴代のコメディアンに名を連ねる…というほどの仕事も残していない。それでいて、世界中の映画好きから彼はリスペクトされているのはなぜなのだろうか(日本でも2014年に『ジャック・タチ映画祭』が開催されている)。映画についても専門外、門外漢なので詳しく書けないのだが、主に活動し、作品を発表していた時期(50年代〜60年代)、そして「プレイタイム」のような斬新な作風から、彼はヌーベルヴァーグの作家のひとり、あるいはその潮流を代表するジャン・リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォーといった人たちに影響を与えた存在だとも言われている。

ヴィジュアル・コメディという 領域を確立する

代表的な長編作品としては『ぼくの伯父さんの休暇(Les Vacances de Monsieur Hulot)』(’53)、『ぼくの伯父さん(Mon Oncle)』(’58)、『プレイタイム(Playtime)』(’67)、『トラフィック(Trafic)』(’74)くらいしかない。けっして多くない、というかむしろ寡作と言える少なさだ。しかし、不思議と心に残る作品ばかりなのだ、その音楽とともに。

サウンドトラックであるから、本当は映像を観ながら聴くのが一番だとは思う。ぜひ、レンタル店、ダウンロード配信なども利用されて、『ぼくの伯父さん』や『プレイタイム』をご覧になっていただきたい。どちらも独特の小粋な笑い、ペーソスがあり、平穏で満ち足りた気分にさせてくれること請け合いだ。意地悪で、危険な登場人物はまず出てこない。それに、わざとらしいウケ狙いの笑い、ギャグ、作為的な仕掛けがこらされることもない。登場人物の何気ない動作、特に『ぼくの伯父さん』に出てくるコートにチロリアン風ハット、いつも手にしているステッキ、パイプをくわえたジャック・タチ演ずる「ユロ伯父さん」の愛すべきキャラぶりには一度目にしたら忘れられないものだと思う。このユロ伯父さんのキャラクターはジャック・タチの他の作品でも度々登場し、観る者を和ませてくれる。

観る者をみな幸せにしてしまう 映像とその音楽

映画を観たあとで、このサントラを聴くと、場面が次々浮かんでは再生される。その音楽も映画同様に愛らしく、オシャレでセンスのいいものばかり。ただ、「可愛い!」と簡単に片づけられないような、一度聴いただけで胸の奥にとどまってしまうような奥行きを感じさせるトラックが多く、サントラだけでも楽しめてしまうほど、内容はバラエティーに富んでいる。作曲家、アレンジャーもジャック・タチのことを理解しているのだろう。ドンピシャなのだ。その音楽だがフランス映画とはいえ、シャンソンの類いではない。ちなみに『ぼくの伯父さん』の主題歌(インスト)を担当しているのはアラン・ロマンという作曲家である。

お聴きいただくと分かるように、この曲に通底しているのはジャズである。なんでも第一次大戦後の、狂乱の時代といわれた20年代にセントルイスから19歳で渡仏した黒人女性エンターテイナー、ジョセフィン・ベイカーと交流したり、マヌーシュ・スウィングの創始者とも言うべきギタリスト、あのジャンゴ・ラインハルトと仕事をしていたという人らしい。

可愛らしく、サラリと軽妙、洒脱なセンスを感じさせ、それでいてクールなスウィング感を持ったこのテーマ曲。ギター、アコーディオン…と異なる楽器がソロを回していくところなど、ライヴでカバーしたら楽しいだろうなと思わせる。これは逸品だと思う。

もう1曲、ジャック・タチの最高傑作、あるいは問題作とする人も多い映画『プレイタイム』から1曲聴いてみよう。

こちらは幾分シャンソンっぽいが、じっくり通して聴くと、こちらも根っこにはジャズがありそうだ。そう、今作を問題作としたのは、この作品が大コケしたからだ。ジャック・タチは巨費(総製作費1000億円!)を投じて建物どころか、なんと街並みまで大掛かりなセットを組んで撮影をしたものの、興行収益は惨憺たる結果に終わり、生涯返済不能なくらいの負債を背負ったという。結果、映画監督としては徐々に活動も縮小され、以降は目立った仕事を残せなかった。だが、このジャック・タチのこだわりの全てが詰まった映画は、今もマニアから最高傑作の賞賛を得ているわけである。とりわけ近年になって映像がレストアされ、クリアな画質でセットのディテールが楽しめるようになってから再評価の声が高まり、同時に若い世代にジャック・タチの存在が再びクローズアップされるようになった作品とも言われている。確かに、もう、並んでいるクルマの配列、通行人の現れるタイミングまで、こだわりが見て取れる。きっと、建物の色、看板のタイポグラフィまで監督の指示が入っているのではないか?と思わせるほどに、その各シーンが意味ありげであり、さらに“適材適所”と言わんばかりに効果音、楽曲が配されているというわけだ。

ちょっと面白い偶然というか、今回取り上げたサウンドトラック集には入っていないのだが、これもオススメの一曲だ。

1971年作の映画『トラフィック』のサントラからの一曲なのだが、バンド編成のサウンドで、ハモンド・オルガンの響き、パーカッション、エッジの効いたエレキ・ギターの響き。何か聴いたことがあるような…と頭を巡らした結果、これがどことなくスティーブ・ウィンウッドとエリック・クラプトンがバンドメイトだったあのブラインド・フェイス('69)に似ているではないか。作曲したのはシャルル・デュモン(Charles Dumont)という人で、この人はあの伝説のシャンソン歌手エディット・ピアフに楽曲提供をした人なのだそうだ。1929年生まれのデュモンがロックのアルバム、とりわけブラインド・フェイスのアルバムを聴いたとはにわかに信じがたいし、あくまで個人的に感じただけなのだが、他のトラックはサイケ色も濃厚で、ロックミュージック台頭をデュモンとジャック・タチは意識していると思えてならない。おまけに、前述のスティーブ・ウィンウッドが率いていたグループはトラフィックである…とこれは偶然だろうか。ちなみに映画『トラフィック』は監督ジャック・タチ扮するユロ伯父さんがキャンピングカーを駆ってモータショーに向かう珍道中というもの。これまたクルマの動き等など、これまたクスクスと笑いを誘ってしまう、オシャレなコメディ作品だ。

マニア心をくすぐる? ミュージシャンの中にも ジャック・タチ信奉者が

映画ファンや演劇人に愛されているのはもちろんだが、ジャック・タチのサウンドトラックは案外、日本のミュージシャンにも好まれている。その筆頭となるのは、かつて松尾清憲さんや鈴木さえ子さんらとシネマ(CINEMA)というグループを組まれていた一色進さんは、タチ愛が嵩じてジャック達というグループを率いて活動されていた(アルバムの配信もある)。また鈴木慶一氏率いるムーンライダースのキーボーディストで、惜しくも今年2月に亡くなられた岡田徹さんも、ジャック・タチの映画、そしてサウンドトラックを愛された方だった。ムーンライダース、ソロ活動と並行してCM音楽、映画音楽と多彩な音楽制作に携わってこられたその仕事には、きっとタチ映画に習うところもあったのだろうと推察する。ことに、ジャック・タチの映画に見られる映像と音楽、互いが喚起し合うというのか、その絶妙の関係性は意図したものではないと思うが、ちょっとトリックのように巧みなのだ。そしてまた、細野晴臣さんもジャック・タチを愛するひとりで、子供の頃にジャック・タチの映画を観て、親にねだって買ってもらったのが『ぼくの伯父さん(Mon Oncle)』のテーマ曲のシングル盤だったというエピソードを、とあるネットのブログで語っておられた。

引き合いに出させていただいたアーティストはみな、ひとひねり、ふたひねりもある通好みのポップスセンスの持ち主であり、自分のつくる音楽の影響元=ルーツというのを、同じ領域のポップスやロック、ブルース、ジャズといったフィールドだけでなく、映画音楽に求めるという探究心、好奇心の持ちように、なるほどと感心させられる。

こうしてモリコーネをきっかけに、なぜかジャック・タチの音楽が脳内に再生され、映画音楽そのものを考えたりしていたのだが、考えてみればライ・クーダーやランディ・ニューマン、ヴァンゲリスといったロックやポップス界にも映画音楽に関わるアーティストはいる。もちろん細野晴臣さんも加えたほうがいいかもしれない。一方、今年はバート・バカラックが天寿を全うし、なんということか!坂本龍一さんまで亡くなられてしまった。また別の機会に、彼らの映画音楽もコラムで紹介できればと思う。

TEXT:片山 明

アルバム『ぼくの伯父さん~ジャック・タチ作品集』オリジナル・サウンドトラック

1995年発表作品

<収録曲>
1. 半袖シャ
2. 祭りの日
3. 旅役者たちの歌
4. 駈足配達
5. パリの天気はどう?
6. ぼくの伯父さん - アディオス・マリオ
7. 古い街
8. 3つのテーマのヴァリエイション
9. ドラッグ・ストアにて
10. 回転木馬
11. 昔のパリ
12. アフリカのテーマ
13. ストランド音楽
14. スーパー・マーケット
15. パリ・サーカス
16. プレイ・タイム

Blu-ray『ジャック・タチ「ぼくの伯父さん」』

1958年公開作品

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