江戸時代の飢饉の際に、自らの命を犠牲にして麦の種を後世に残し、農民を救ったとされる愛媛県松前町の偉人・義農作兵衛(ぎのう・さくべえ)をしのぶ慰霊祭が23日、4年ぶりに通常開催されました。
義農作兵衛は1688年、現在の松前町に生まれ、享保の大飢饉の際、「一粒の種子が来年には百粒にも千粒にもなる」と、麦の種を一粒も口にせず餓死したと伝えられています。
作兵衛が眠る「義農公園」で開かれた慰霊祭には、およそ140人が参列し、岡本靖町長が「自分のことより人のため、社会のためという義農精神をしっかり受け継ぎたい」とあいさつしました。
参列者は作兵衛の墓前に花を手向け、その遺徳をしのんでいました。
また、コロナ禍で中止されていた作兵衛を題材にした朗読劇や、地元の小学生による義農太鼓も4年ぶりに披露され、訪れた人々は楽しんでいる様子でした。
このほか公園内には、はだか麦のおにぎりなど地元の特産品を扱う屋台なども並び、多くの家族連れなどでにぎわいを見せていました。