小西、杉尾、石垣、福山、蓮舫……立憲民主党という存在の耐えられない軽さ|坂井広志 緊迫する国際情勢を受けて、立憲民主党はさぞかし安全保障をめぐる問題に真摯に向き合うと思いきや、そうではなかった――。自称〝憲法学者〟である小西洋之議員だけではない。立民の質問には、あきれるほど軽く、また本質から外れたものが実に多くみられる。(サムネイルは立憲民主党「国会解説2023」生配信より)

全国民の代表たる国会議員の質問か

今通常国会における立憲民主党の質問には、あきれるほど軽く、また本質から外れたものが実に多くみられる。それが全国民の代表たる国会議員の質問か、と言いたくなるほどである。

言うまでもなく、憲法第43条は「両議員は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」と定めており、衆参両院議員は全国民を代表する存在だ。一部の有権者の意向を踏まえていればよいというわけではない。もっと真剣に国益を考えてもらいたい。

「近代日本にとって、大きな時代の転換点は2回あった。明治維新と、その77年後の大戦の終戦だ。くしくもそれから77年がたった今、われわれは再び歴史の分岐点に立っている」

岸田文雄首相のそんな施政方針演説で始まった通常国会。緊迫する国際情勢を受けて、立民はさぞかし安全保障をめぐる問題に真摯に向き合うと思いきや、そうではなかった。主張していることは、防衛力を強化し、抑止力を高める方向とは真逆だった。これでは国民を守ることは到底できまい。

ロシアによるウクライナ侵略はいまなお続き、中国の習近平国家主席は「偽装仲介」よろしくとばかりに、国際刑事裁判所(ICC)から戦争犯罪容疑で逮捕状が出されたプーチン大統領に会いにいくなど、悪の枢軸国は結束を強めている。

一方で北朝鮮は弾道ミサイルを相次いで発射し、7回目の核実験実施はもはや時間の問題といえる。

安倍晋三元首相が繰り返し強調していた「台湾有事は日本有事」という認識を立民はもっと強く持たなければ、信頼は得られないことを肝に銘じるべきだ。

西村智奈美「ネガティブ」論争

政権を獲るつもりはもうないのか、と言いたくなるほど、衆院予算委員会での立民の質疑は、現下の国際情勢に対する危機感を疑いたくなるものばかりだった。

まずは西村智奈美代表代行から。

西村氏はかねてジェンダー平等を訴えてきたことで知られ、令和3年の立民代表選では菅直人元首相のグループから担がれる形で出馬し、落選するも、泉健太代表のもとで幹事長の座を射止めた。党内の左派勢力を代表する政治家といっていいだろう。

経験不足ということもあり、党運営を巡る手腕は未熟だった。このため、泉氏が頼った西村氏の後任は、ベテランの岡田克也幹事長だった。

予算委で西村氏がこだわったのは、LGBTを巡る問題だ。

岸田首相が夫婦別姓や同性婚について「制度を改正するということになると、家族観や価値観、そして社会が変わってしまう課題なので、社会全体の雰囲気のありようにしっかり思いをめぐらせたうえで判断することが大事だ」と答弁したことについて、西村氏は「ネガティブな発言だ」として、発言の撤回を求めた。

これに対し岸田首相は「変わってしまうから(同性婚などを)否定したというのではなくて、変わるから議論をしましょうという趣旨で発言した」と理解を求めた。しかし、西村氏は納得せず、こう言い返した。

「ネガティブと読むのが言語的にも日本語的にも正しい。『社会が』という言葉を使ってポジティブな動詞をつけると、おかしな文章になる。社会が豊かになってしまう。おかしいですよね。ネガティブな動詞をつけるとしっくりくる。社会が混乱してしまう。総理、そこまで言うなら『社会が』を主語にして『てしまう』という言葉を使ってポジティブな例文を作っていただけませんか」

一体、何の授業をしているつもりなのだろうか。変わることに対し、議論するのは当たり前ではないか。ネガティブだろうが、ポジティブだろうが、賛否あるなら慎重に議論することが大事であり、それ以上でも、それ以下でもない。

西村氏は「撤回する最後のチャンスを出したが撤回されなかった。残念です」と捨てぜりふを吐いたが、岸田首相にしてみれば、撤回のチャンスがほしいとは全く思っていなかったのではないか。

朝日新聞出身議員からの注文

政治家は言葉が命である。それは間違いない。しかし、国語の授業のようなやりとりをされても困る。揚げ足取りの議論は建設的ではない。

朝日新聞出身で元政治部記者の山岸一生衆院議員の発言も、妙なところで言葉遊びをしている印象は否めなかった。

「私は総理の言葉を分析をして、気がついたことがあります。最近総理、言葉の選び方が変わりました。去年の今頃、『検討』ばっかりおっしゃるので、検討使というあだ名がついていました。ところが、最近『検討』と言わなくなった。何が増えたのかと調べてみたら、増えた言葉は『説明』だった」

新聞のちょっとしたコラムで、その分析結果とやらを披瀝するのは、ありだと思うが、予算員会で言われても、「だからなに?」とツッコミたくなる。

山岸氏はさらに「増えているのは『説明』という単語であって、中身の説明を国会で全然おっしゃっていない。私、25分、時間もらっているのでお願いがあります。せめて25分間だけでも『説明』という単語に逃げないで、中身の説明をしてもらえないか」と注文をつけた。

これに対し岸田首相は「『説明』という言葉を使わないで説明しろということでしょうか」と苦笑いし、「要はより中身を答弁しろということかと思います。最大限、政府としての考え方を聞いていただけるよう努力します」と赤子の手をひねるようにかわした。

25分間を有効に使いたいのなら、このやり取りをした数分間を別の問題に当てたほうがよかったのではないだろうか。

小西洋之「超一級の行政文書」と豪語

政府が反撃能力の保有を含む国家安全保障戦略など安保3文書を閣議決定したのは、昨年12月だ。このため、昨年秋の臨時国会では踏み込んだ安保論議が展開されなかった。立民幹部は昨年末、「臨時国会で議論できなかった分、通常国会で安保政策を戦わせる」と鼻息を荒くしていたが、その意気込みはどこへやら。

参院予算委では放送法を巡る問題に焦点があたった。いや、立民が無理やり焦点をあてたといったほうが正確だろう。その立役者は小西洋之参院議員だ。

小西氏は放送法に関する総務省の行政文書を巡り、高市早苗経済安全保障担当相を執拗に攻撃し、議員辞職を迫ったが、総務省が調べたところ、全48ファイルのうち半数以上の26ファイルは作成者が確認できなかった。

作成者だけでなく配布先が不明なものもあり、内容も不正確。小西氏は「超一級の行政文書」と豪語したが、官僚の備忘録でしかないというのが、筆者が文書を読んだ感想である。これでどうやって高市氏を大臣辞任や議員辞職に追い込もうというのか。行き当たりばったりの戦略なき追及だったといえる。

この問題は安倍氏に国会審議などで徹底的に攻撃され、国政選挙では完敗だった立民の意趣返しという側面が多分にあることを指摘しておきたい。岸田首相がどこかひとごとのように見えるのは、このためだ。

立民は「政治的公平」の解釈が、政治的圧力によって変更され、ゆがめられたと主張したかったようだが、正確性が担保できない文書で、放送行政がゆがめられたかどうかを立証するのは極めて難しい。

そもそも、政治的圧力の有無にかかわらず、解釈変更ととらえることに無理がある。政治的公平を大きく逸脱する番組が、ひとつだけだからという理由で許されるほうがおかしい。つまりは、平成27年5月の高市氏の答弁「ひとつの番組のみでも極端な場合は政治的公平を確保しているとは認められない」は、政府がいうように補充的説明ととらえるべきなのである。

福山哲郎の印象操作

旧民主党時代、「偽メール事件」があったのを覚えておられる読者は多いだろう。

平成18年の通常国会で、民主党所属の衆院議員がホリエモンこと堀江貴文氏と自民党幹事長だった武部勤氏の間に不当な金銭の授受があったと追及した騒動のことだ。証拠として出したメールは偽物だったことから、追及した議員は辞職し、その後、自殺。当時の前原誠司代表ら執行部は総退陣に追い込まれた。実に深刻な「事件」だった。

立民幹部は放送法を巡る問題を「偽メール事件の反省から慎重にやっている」と話していたが、作成者不明という点で、今回の問題と偽メール事件は似ているといわざるを得ない。内部文書が流出しているという意味では、今回のほうが事態は重大と捉えることもできる。

それでも立民は何としてでも放送法の問題で政権にダメージを与えたかった。そこで福山哲郎元幹事長は偽メール事件ではなく、「森友学園」と「加計学園」を巡るいわゆる「モリカケ問題」と結びつけ、印象操作をするのであった。

少々長いが、参院予算委で福山氏が何と言ったか、紹介したい。

「総務大臣が『捏造』と言っている限り、総務省は『これらは全て正確です』と言えなくなっている。森友・加計学園(問題)も同じだったんですよ。安倍総理は『森友学園に関わっていたら辞める』と言ったことで、どれほどの官僚に迷惑が及んだのか。財務省の赤木さんは命まで落とされましたよ。佐川局長は改竄の責任を負わされましたよ。それは、官僚が正確に文章を作成していたからなんですよ。文書を公開したら安倍総理、昭恵夫人の関わりが明確になる。逆に言うと改竄せざるを得なかったんです。それぐらいこの国の公文書は丁寧に正確に作られている」

いつから立民は佐川宣寿元理財局長に同情するようになったのだろうか。この問題を追及しているときは、佐川氏が改竄を指示したとして、佐川氏を徹底的にたたいたのではなかったか。

そもそも、モリカケ問題は改竄が問題になったわけだが、放送法の問題は不正確な文書である点が問題なのである。モリカケ問題とはことの性質が違うとみるべきだ。福山氏はあたかも似たような構図であるかのように語っているが、似て非なるものであり、むしろ旧民主の偽メール事件のほうに似ている。

検察官気取りの杉尾秀哉

話を元に戻す。立民は当初、礒崎陽輔首相補佐官(当時)が総務省側と打ち合わせした内容が、そのまま平成27年5月の高市氏の答弁になっているとして、「礒崎氏が総務省と打ち合わせをしていたことを知らないはずはない」とみていた。

高市氏が礒崎氏が裏で動いていたことを知らないと言い張ると、杉尾秀哉議員は参院予算委でこう声高に語るのだった。

「高市大臣は外されていたんですよ。礒崎さんがシナリオをかいて総務省とやったんですよ。その結果で答弁そして質問があったということなんですよ。違いますか」「なぜ事前のシナリオ通りの質問と答弁だったんですか」と畳みかけた。

高市氏は「そういうことを私に聞かれてもわかりません」と答えるしかなかった。それはそうだろう。知らないのだから、答えようがない。検察官気取りもいい加減にしてもらいたい。

杉尾氏は「問題の本質は放送法の解釈が何の権限もない補佐官の圧力でゆがめられたということなんです。これが問題の本質であって磯崎さんの関与うんぬんではないです」とも語ったが、礒崎氏の関与は、すなわち政治的圧力だとして、問題視していたのではなかったのか。

もはや何を言っているのか、支離滅裂である。

杉尾氏は、総務省が行政文書の正確性について調査したことにも触れ、「総務省の現職の皆さんがどれだけこの調査に時間をかけたのか。膨大な時間をかけている。そうしたことも含めた責任を大臣は感じていないのか。大臣をお辞めください」と無理やり理由をつけて、辞職を求める始末だった。自分たちが作り上げたストーリーが崩れた瞬間だった。

礒崎氏の政治的圧力も、礒崎氏と高市氏との連携も証明できず、たどり着いたロジックは(ロジックといえるほどのものではないが)、官僚に膨大な時間をかけて調査させた責任をとって大臣辞任を、ということだった。白旗を上げたに等しい。

杉尾秀哉の質問はレベルが低い

放送法を巡る問題に限らず、杉尾氏の質問はレベルが低い。野党議員だから政府を批判するのは当たり前と聞き流すわけにはいかない。

国家安全保障戦略など安保3文書に盛り込まれた反撃能力の保有について問われると、岸田首相は「ミサイル攻撃から国民の命を守るためのものだ。ミサイル攻撃から国民の命を守る盾のための能力だ」と答弁した。

杉尾氏の反論はこうだ。

「そういうふうに言うのであれば、ICBM(大陸間弾道ミサイル)だって、空母だって、長距離爆撃機だって、全部国民の命と暮らしを守るためのものじゃないか。今の論理で言えば、全てこうした兵器も含めて、これも盾であって矛ではないということになるんですか」

へ理屈とはこのことである。

首相が「反撃能力というものは、相手に攻撃を思いとどまらせる抑止力として、武力攻撃そのものの可能性を低下させることができる」と説明すると、「あくまでも今答弁あったように、可能性を低下させるものに過ぎない」とあくまでも否定的にとらえるのである。「過ぎない」といっても、武力攻撃を受ける可能性をいかに低下させるかは極めて大事なことである。

杉尾氏は国会議員として、国民の命を守る責務についてどう考えているのだろうか。結局、立民に政権を任すことができないのは、この議論が象徴しているように、立民にはまともな安保政策を打ち立てることができないと、多くの国民が見抜いているからにほかならない。

自称〝憲法学者〟がサル発言

小西氏はその後、週1回の開催が定着している衆院憲法調査会を念頭に「毎週開催は憲法のことなんか考えないサルがやることだ」「私は憲法学者だ。憲法学者でも毎週議論なんてできない。何にも考えていない人たち蛮族の行為だ。衆院なんて誰かが書いている原稿を読んでいるだけだ」と暴言を吐いて大炎上した。

この発言が報じられると、今度はツイッターに「偏向報道を続けるNHKとフジテレビに対し、放送法などあらゆる手段を講じて、その報道姿勢の改善を求めたい」「元放送政策課課長補佐に喧嘩を売るとはいい度胸だ」と投稿するなど、恫喝まがいの行為に出た。

小西氏が問題視した「政治的圧力」とやらを自らが実行するという、これ以上にない自己矛盾をしてみせたわけだ。

超ド級のブーメランとなって返ってくるあたりが、いかにも立民議員である。

これを受け、泉代表は参院憲法審査会の野党筆頭幹事から更迭すると発表したが、後任は小西氏同様にスタンドプレーが甚だしい杉尾氏だった。案の定、杉尾氏は参院憲法審で緊急時に限り国会議員の任期延長を可能にさせるための改憲について「私たちの会派は明確に反対する」と踏み込んだ発言をし、衆院憲法審査会で立民の奥野総一郎議員は「個人的意見だ」と釈明に追われた。

議論の撹乱要因になることが初めから想定された杉尾氏を後任に送り込むとあっては、党側が小西氏の発言について本当に反省しているのか疑わしい。

石垣のりこのとんだ勘違い

立民で薄っぺらい議論を展開する議員はほかにもいる。石垣のりこ氏である。石垣氏もご多分に漏れず、放送法を巡る問題を取り上げ、高市氏を批判したが、追及がいかにも荒っぽい。

「とある月刊誌のインタビューのなかで高市大臣はこのように答えている。『官僚が政治家を殺すのは簡単なんです』。真逆ですよね。政治家が官僚を壊している。日本の統治機構を破壊しているのは高市大臣自らじゃないのか。答弁は結構です」

さんざんこき下ろした上に、反論させようとしないとは、議会人としていかがなものか。これにはさすがに、ほかの議員から「そこまで言ったら(反論させるべきだ)」との声が上がったが、それでも石垣氏は「いやいや、質問してないんで」と反論封じに躍起となった。

最終的に末松信介委員長が、挙手をしていた高市氏を指名。すると高市氏はこう語った。

「正確におっしゃってない。『官僚が議員を殺すのは簡単なことだ』というのは私の言葉ではなく、そうおっしゃっている議員がいる旨でございます」

委員会室には「訂正しないとだめだ」などと石垣氏へのヤジが飛び交った。

石垣氏は「同僚議員たちからは『官僚が政治家を殺すのは簡単なんですね』というような発言があったということで、これは失礼しました」とばつが悪そうだったが、引くに引けなくなったのか、こう続けて話題を打ち切った。

「でも、(同僚の)みなさんからそのように捉えられてしまうということで、高市大臣の捏造発言によって行政の統治機構は壊される。早い決断をお願いしたい」

一体何の決断ですか? と言いたくなる。これまた支離滅裂である。

しゃもじ論争に蓮舫参戦

その後、話題を切り替えて持ち出したのは、岸田首相がウクライナ訪問の際にゼレンスキー大統領への贈答品として「必勝」の文字が記されたしゃもじを持参したことについてだった。イチャモンの中身はこうだ。

「選挙とかスポーツ競技ではありませんので、日本がやるべきはやはり、いかに和平を行うかであって、『必勝』というのは、あまりにも不適切ではないかと思うのですが、その点いかがでしょうか」

「平和ボケ」もここまでくると重症だ。

ちなみに、蓮舫参院議員もツイッターで「選挙と戦争の区別がつかないとしか思えないのです。誰も止めない、身内が秘書官でいるのに彼も止めない、本人も躊躇しなかったのだろうか」とつぶやいている。

しゃもじは首相の地元・広島の名産である。「敵を召し(飯)取る」との意味がある。売られている商品に書かれている文字は「必勝」のほか「合格」「家内安全」「商売繁盛」などがある。要は縁起物であり、そこに書かれた文字に目くじらを立てる話ではない。なおかつ「必勝」という言葉に筆者は何の違和感もない。

首相は「ウクライナの方々は祖国や自由を守るために戦っている。この努力に敬意を表したいと思いますし、わが国としてウクライナ支援をしっかり行っていきたい」と答弁した。

極めて妥当な認識だ。自由と独立を守り抜くための「必勝」であり、そのために日本はウクライナや西側諸国と連帯しなければならない。その西側諸国はロシア軍を撤退させるため、ウクライナに支援をし続けているのである。

「必勝」を批判する石垣氏は、この現実を、そしてことの深刻さを理解していないのではないか。しゃもじに書かれた文字が「和平」「平和」ならよかったのか。左派系の人たちは憲法9条を唱えていれば平和が保たれると考えているようだが、しゃもじ論争もそれと似たような話だ。

国会でこれほど陳腐でのんきな議論をしているのは、世界広しといえども、日本の立憲民主党だけだろう。

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坂井広志

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