「津村島」住民の願いが届いて存続した女神伝説の島【北九州市門司区】

多くの人が楽しみにしているGW。車で出かけようか、列車で出かけようか、はたまた船で出かけようかと楽しみが広がりますね。

新造船が停泊する新しい新門司北ターミナル

東京九州フェリー/それいゆの満艦飾

2021年7月に国内長距離フェリーの新航路就航として22年ぶりに新設された横須賀―新門司港の東京九州フェリーも、北九州の花であるひまわりからつけられた「それいゆ」と横須賀市の花である「はまゆう」という2隻の新造船で話題となり、航海速力28.3ノット(時速約52.4㎞)で関東まで21時間で結ぶという船足の速さで人気の路線です。また新しく建てられたターミナルも記憶に新しいところです。

そのフェリーが発着する新門司北10・11号岸壁のそばに、まるで取り残されたように小島が存在することはあまり知られていないかもしれません。島の名は「津村島」と言います。

津村島と阪九フェリー/フェリーひびき・フェリーやまと

多くの男神が恋をした美しい女神の島

北九州の伝承によると、この津村島は美しい女の神様で今でも「津村明神」が祀られていますが、この女神様に他の男の神々が恋をして、縁談話が途絶えなかったとのこと。

海に丸く浮かんでいるように見える蕪島/中央に穴が開いているが伝承では神ノ島の男神に矢で射られた跡とのこと。先の大戦時には陸軍の特攻艇が隠されていたという

中でも今の門司区大積付近にある「蕪島」の男神様と、苅田町の「神ノ島」の男神様の2神が激しい争いをされたらしいのですが、あまりにも激しいので曽根の「間島」の神様が間を取り持たれたとのことです。

苅田の工業地帯の向こうに浮かぶ神ノ島

結局、津村明神様は蕪島の男神様に嫁がれ、神ノ島の男神様には間島様がご自分の美しい姫神様を嫁がせることで収まりましたが、今でも蕪島にはその時の争いで大きな穴が開いているとのことです。

曽根干潟から臨む間島

「白いダイヤ」を生む女神の島

福岡県には「黒いダイヤ」と「白いダイヤ」と言われる貴重な資源があります。黒いダイヤは既に閉山した石炭、白いダイヤは現在も産業として健在の石灰石です。

磯の部分は白っぽく、石灰石が露出している

この津村島は昭和の初期には石灰石の鉱山として栄えていて、明治時代末期ごろから移住者が増え、最盛期は200人余もの島民が住んでいたとのこと。

中央は小島を残して掘削されている

真ん中が窪んでいる神秘的な池の部分は石灰石を掘り出した跡だそうです。

干潮間近の風景・中央付近に見える岩は釣鐘岩と呼ばれている

周囲は潮位の干満によってがらりと風景が変わります。ちょうど干潮のころはこのように荒々しい磯の風景となります。満潮から干潮に変わる頃には段差が堰となって、港の方に水が流れ落ちていくそうです。

埋め立て予定地に小島などがある際にはその島を取り込んで港を造成するのが一般的ですが、「津村島」は周囲をそのまま海で囲まれた姿をしています。恐らくこのような形で島が残されているところは全国見渡してもそうないものと思われます。

昔、船でしか渡れなかったころの渡船場付近

島を守りたい地元住民と住民に寄り添う決断をした行政が守った女神の姿

余りにも珍しい事例なので、北九州市港湾空港局計画課に問い合わせをしてみました。

担当者によると、新門司港も昭和47(1972)年当時、津村島とその周辺水域は埋立を伴う緑地計画が策定されたとのこと。

ところが、津村島は長年に亘り地域のシンボルであるので、住民の皆さんが形を変えず、水域を残して緑地整備を行ってほしい、どうしても島を残してほしいと要望をしたそうです。

それから34年経った平成18(2006)年、地元住民の要望を受け入れる形で計画が変更されました。平成25(2012)年に緑地整備が完了し、津村島は島として独立した形で今も昔の形をとどめています。

美しい女神の島を慕う地元の皆さんと、時間はかかってもその気持ちに寄り添った行政による二つの気持ちが津村島を今も神秘的な形で残していることに感慨を覚えます。

新門司付近は北九州空港の空港島を含めた小島がよく見渡せる場所が多くあります。天気の良い日に喧嘩した神様たちの島はどれだったか、見つけてみるのも楽しいですね。

【津村島緑地】
■所在地/北九州市門司区新門司北3丁目
■駐車場/2か所(30数台ほど)

※2023年4月28日現在の情報です

(ライター・いるかいる)

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