戸田和幸監督が地域リーグから発掘した逸材、SC相模原MF吉武莉央「姉さんのためにも」

FIFAワールドカップ2002日韓大会で主軸を担った元日本代表MF戸田和幸氏が監督に就任し、注目を集めるSC相模原。現役引退後には解説者としても人気を博した戸田氏がJリーグで初めて指揮を執るチームで、25歳の“オールドルーキー”が躍動している。

MF吉武莉央。163cm63kgの小柄な体格から繰り出すダイナミックなプレーや独特なパスセンスを活かして主力に定着。精度の高いキックを活かしてセットプレーのキッカーも担当する司令塔は、第2節の福島ユナイテッド戦でそのポテンシャルを遺憾なく発揮した驚愕のJ初ゴールも奪った。

まさに戸田監督が地域リーグから発掘した逸材である吉武の、「サッカーを諦めきれなかった」プロ入りまでの足跡を辿る。(取材日:2023年4月11日)

名門・大津高で10番を背負うも、プロ入りならず

1997年10月16日、福岡県北九州市に4人兄弟の末っ子として生まれた吉武は、兄や2人の姉の影響から3歳でサッカーを始めた。

幼少期の憧れはバルセロナなどでプレーしたFWロナウジーニョ。一世を風靡したブラジル代表のファンタジスタに魅せられた彼は中学時代、福岡県内の強豪クラブ・FCグローバルに所属。メキメキと頭角を現わした吉武は中学3年の3学期から熊本県に”越境”。高校サッカー界屈指の強豪である熊本県立大津高校へ進学するためだった。(大津高は県立高校であるため、住民票を移す必要があった。)

「中学卒業後の進路として、大津高校と山梨学院高校への進学を考えていました。その中で大津の練習に参加した時、当時3年生だったDF植田直通さん(鹿島アントラーズ)とFW豊川雄太さん(京都サンガ)がいて、その次元が違うプレーを目の当たりにして衝撃を受け、『ここに行こう』、と決めました」

吉武の大津時代の同期も「黄金世代」だ。2年時に主力としてインターハイ準優勝を経験したFW一美和成(京都サンガF.C.)とDF野田裕喜(モンテディオ山形)は高卒でガンバ大阪へ加入。2人は現在もJの舞台で活躍する出世頭だ。MF河原創(サガン鳥栖)とDF眞鍋旭輝(テゲバジャーロ宮崎)も大学を経てJリーグ入りを果たし、1つ下の後輩にもMF杉山直宏(G大阪)がいた。

「プリンスリーグ九州で鹿児島城西高校と対戦した時、僕らは終盤まで1-3でリードを許していました。そんな時に急に一美が『本気出すから俺にボールをくれ』と言ってきて、本当に2点決めて追いついた時、改めて凄いヤツだと実感しました」

そんな近未来のJリーガーを多く擁するチームで、吉武は3年時にエースナンバー「10」を背負う。夏のインターハイはベスト16に止まったものの、12月には高校年代最高峰の舞台「高円宮杯U-18プレミアリーグ」昇格を決める試合で華麗なゴールを挙げるなど活躍。「第94回全国高校サッカー選手権大会」での飛躍に手応えを得ていた。

「高校3年当時の自分はロアッソ熊本とアビスパ福岡の練習に参加するなど、プロに行ける自信がありました。今考えると絶対に無理だったと思うので、『大学へは行かない』と言っていた自分を、大津の平岡和徳総監督が何とか話をつけて練習参加させていただけたのだなと思います」

高卒でのプロ入りが叶わなかった吉武は、関西学生サッカーリーグ2部に所属する大阪産業大学へ進学する。

「高卒でのプロ志望だった自分は最後の選手権で結果を残すことで、Jクラブからのオファーを待つことにしました。選手権は初戦(2回戦)で敗退してしまったのですが、自分は大会優秀選手に選出されました。最終的にドイツ遠征に参加する高校選抜のメンバーには残れなかったのですが、そこを目指すことで最後までオファーを待っていた自分に、大産大の方々からは学費も全額免除の待遇で、『最後までプロを目指していいからね』と、温かい言葉をかけ続けていただきました」

大産大での4年時には関西1部に昇格できたものの、吉武のプロ入りは叶わなかった。さらに彼が大学卒業を控えていた2019年末から2020年にかけての期間はコロナ禍へと突入するタイミングだった。

波瀾万丈の3年間

九州リーグのFC延岡AGATA時代の吉武選手。写真提供:FC延岡AGATA

「大学時代にJ2やJ3の多くのクラブに練習参加させていたきだき、手応えを感じていた自分はJFL(実質4部のアマチュア最高峰リーグ)も考えていませんでした。それでもJクラブからのオファーがなかったことで、家族とも相談して地元へ帰り、大学卒業を機にいったんサッカーを辞めていたんです。でも、その数日後に延岡のチームからお話をいただき、続けることにしました」

宮崎県サッカーリーグ1部に所属していたFC延岡AGATA。吉武はこの2019年に新設されたチームでプレーしながら、クラブのスポンサー企業でもある酒屋で勤務。「コロナ禍のことは全く気にしていなかった」が、アルコールを扱う店舗への世間からのバッシングは想像を絶するものがあったはずだ。

「自分は電話担当ではなかったので直接クレームを受けることはなかったですし、仕事とサッカーをする環境を与えられていることは有難いことでした。ただ、朝の7時半から夕方の17時まで倉庫の品出しや配達業務をしていると、18時半からの練習に行く頃にはいつも体力が消耗していました。特に1年目はコロナの影響で当初チームに所属していた選手が4人だけで、いつも大学のチームに練習参加するような状況だったんです。サッカーも仕事も不安だらけでした」

延岡へ加入した1年目と2年目はコロナ禍の影響で宮崎県リーグが中止。トーナメント制の代替え大会が開催されたものの、試合数が圧倒的に少ない状況下に不安は募った。

それでも2年目には有力選手が集まり、吉武を中心としたチームは九州リーグ昇格を決めた。3年目には九州リーグで2位に躍進し、「第58回全国社会人選手権大会」で3位入賞。JFL昇格を懸けた「地域チャンピオンズリーグ」出場権を獲得した。

戸田監督の秘蔵っ子的存在、Jの舞台でも主力定着

第2節の福島戦で初ゴールを挙げ、試合後に戸田監督(左)と握手する吉武選手。写真提供:SC相模原

昨年11月の地域CLでチームは1次ラウンド敗退に終わったものの、ハイレベルなプレーを披露した吉武に熱い視線を向ける人物がいた。2023シーズンから相模原を率いることが発表されていた、戸田和幸氏だ。

その連絡は意外なところから入った。

「一緒にプレーできるかもしれない」

大学時代の先輩・國廣周平からだった。國廣は戸田氏が2022シーズンにテクニカルダイレクター兼コーチとして指導していたSHIBUYA CITY FCでプレーしており、彼自身の相模原加入も内定していた。

「どういう結果になろうとも、延岡では3年目を最後にしようと決めていました。引退するか、プロを目指すのではなく趣味としてプレーするための区切りにしようと考えていたんです。あの地域CLはプロ入りへの最後のチャンスでした」

2022年のクリスマスイブ、吉武の相模原加入が正式に発表された。J1から数えて5部相当の地域リーグからJ3へと2段階のステップアップとなったが、対戦相手のレベルやカテゴリーへの適応、新たなチームメイトとの連携に苦しむことはなかった。

戸田監督の信頼を獲得した吉武はシーズン開幕後、全試合に先発出場。第2節の福島戦では冒頭のようなゴラッソを決めて勝利に貢献。戸田監督は「彼には『ありがとう』と言いましたが、彼はもっともっとプレーできる選手です」と、自身が発掘した秘蔵っ子にさらなる期待を込めていた。

ボランチ転向、成功の裏に姉の存在あり

伊賀FCくノ一時代の吉武愛美さん(緑25番、2017年5月) 写真提供:伊賀FCくノ一三重

吉武はこれまでの所属チームで常に背番号「10」を背負い、トップ下や2列目のアタッカーとして名を馳せて来たが、「ボールを回しながらも常に相手の背後を狙う戸田監督のサッカー」では、「キープして時間(タメ)を作れる」ことを理由にボランチに転向。元日本代表ボランチの手取り足取りの指導によって攻守の要として活躍しているが、このコンバート成功の裏には姉の存在もあるようだ。

3歳年上の姉・愛美さんは吉備国際大学時代、1回生で主力として全日本女子サッカー選手権大会(通称インカレ)を制覇。同大学は当時の女子サッカートップリーグ「なでしこリーグ1部」 にも所属しており、愛美さんは2014年のオールスター戦に出場する人気選手だった。

ユニバーシアード代表にも選出され、2015年大会の銅メダル獲得に貢献。ノールックでサイドチェンジを繰り出すなど、なでしこジャパンに招集されても不思議ではない実力派ボランチだった。

「実は最近よくお姉ちゃんと連絡をとるようになりました。試合の映像を観てもらって、『今日のプレー良かったよ!』とか、『自陣で股抜きとかしちゃうんだね(笑)』とか。『もっと〇〇した方が良いんじゃない?』とアドバイスをしてくるのではなく、共感してくれるんです。今はそれが楽しい時間になっています。ボランチ経験がなくてもスムーズにプレーできているのは、お姉ちゃんの影響もあると思います。プレーやサッカー観が似ているのかもしれませんね」

吉武がサッカーを辞めるタイミングはいくらでもあったはずだ。

「それでも続けて行こうと思えたのは、『姉ちゃんたちのために』というのもあります。4人兄弟全員がサッカーをしていて、自分だけが唯一プロになれて、今も続けられている。家族もみんな喜んでくれています。だからこそ、今までは怪我が多かったので、今年は一年を通して怪我なくプレーし続けたいと思います」

筆者は吉武莉央のプレーを観た際、怪我によって志半ばで引退した愛美さんを想起した。自分のためにプレーするだけでは弱い。チームやクラブに苦境が訪れた時に責任転嫁してしまいがちだからだ。サポーターからの応援はときに重圧になることもあるが、誰かのために戦える選手はそんな想いも背負っていける。

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4月29日、SC相模原はギラヴァンツ北九州とのアウェイ戦を迎える。吉武にとっては生まれ故郷への凱旋試合であり、姉・愛美さんの誕生日でもある。

吉武がチームメイトやサガミスタ、家族のために戦う!

吉武莉央

1997年10月16日生まれ(25歳)
SC相模原所属

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