MAMORU & The DAViES - どんな命もカッコイイ! 生きる素晴らしさを讃えたゴキゲンなスカナンバーを初の7インチシングルとしてリリース!

不特定多数の人たちが等しく楽しめるのがロックンロール

──前回のインタビューでお話しされていた、カバー・アルバムと言うか洋楽の替え歌アルバムの話ができるのかなと楽しみにしていたのですが…。

マモル:カバー・アルバムはデモを録り始めてたし、完成させようと思ってたんだけど、コロナが長引いちゃってさ。そうこうしてるうちに「命の次にロックンロール」という新曲ができて、それを出したら次は新しいアルバムを作ろうと思うようになった。だから順番としてカバー・アルバムはそのあとかな。

──先日の『リーブリロー追悼ライブ』(2023年4月7日、荻窪 TOP BEAT CLUB)で披露されていた「Boom Boom」の日本語カバーもとても良かったので、ぜひ完成に漕ぎ着けていただきたいですね。

マモル:「Boom Boom」、僕の嫌いな蜂の歌ね(笑)。コロナがこれだけ長引かなければカバー・アルバムを先に完成させてたと思うけど、先にシングルを出してから新しくオリジナル・アルバムを作りたくなってね。まあ、アルバムを作るにもまだ曲が足りてないんだけど。

──「命の次にロックンロール」が生まれたのは、ロシアによるウクライナに対する軍事侵攻がやはり契機として大きかったですか。

マモル:そうだね。それがきっかけと言うか、僕の場合、何か物事が起きるとすぐに曲を作りたくなる。原発事故の後に「夢の原子力」を書いたり、コロナ禍で「いかすぜライブハウス」を書いたみたいにね。作らなきゃって言うよりも作りたくなっちゃう。居ても立っても居られないと言うか、寝ても覚めてもずっとやるせない気持ちでいる。だけど声高に叫んでもどうにもならないというジレンマがあって、自分の中で消化できない。それで結局、曲を作っちゃう。不思議と歌詞もメロディも出てきちゃう。義務感と言うより作りたい、消化させたいという願望だね。「夢の原子力」の頃からずっとそんな感じ。

──スカのリズムとアレンジを全面的に配した曲というのは新機軸ですね。

マモル:MAMORU & The DAViESでスカをやるのは初めて。スカやロックステディはずっと好きで、何年も前から自分でもやってみたかったんだけど、勝手がわからないからやってこなかった。でも「命の次にロックンロール」をテレコに吹き込んでるときにこれはスカっぽいなと思ってね。ちょうどスカをやれるタイミングが合ったと言うのかな。

──命をテーマにした重さをスカのアレンジが軽くしているようにも思えますね。

マモル:まあ、僕の曲はだいたい軽いからね。テーマが重くても曲にしちゃえば全部軽くなる。軽くやりたいんだろうね。コロナにせよ戦争にせよ、僕一人の力じゃどうにもならないし、それをただそのまま唄っても重くなるだけだから。それに僕がやりたいのはロックンロールだからさ。ストレートに「戦争反対!」と重く唄われても僕はキツいし、そりゃもちろん戦争には反対だけど、それを重い唄にしなくてもいいんじゃない? とも思ってしまう。

──たとえばジョンとヨーコの『Sometime in New York City』に収録された政治色の強い曲にはげんなりしてしまうということですか。

マモル:ジョン・レノンは英詞だし、歌詞が頭に入ってこないからね。別に反戦の歌がイヤなわけじゃなくて、日本語だとちょっと直接的すぎると言うかさ。でも(忌野)清志郎さんがカバーした「明日なき世界」(註:オリジナルはP.F.スローン、日本語詞は高石ともやと忌野清志郎)は格好いいと思った。そういうのは感覚だね。格好いいか格好よくないかっていうのは。メッセージが重くても曲が良ければOKなこともあるし、その人の声でポップに聞こえることもあるし。あとは聴く人の考え、判断だからね。

──ヘヴィな内容ほどユーモアを交えつつ軽妙に伝えたいというマモルさんなりの信条があるのかなと思いましたが。

マモル:どうかな。より普遍的な曲を書きたい、届けたいという気持ちはあると思う。たとえば「戦争反対!」というテーマがあったとして、その集会で唄うためだけの曲なら一定の層に向けた歌詞になるだろうけど、僕の歌は特定の人たちに向けたものではないから。どこかに偏ることなくどこにでも向けちゃえ! って思いながら昔から曲を書いてるし、それが自分なりの決まりなんだね。ライブにしても不特定多数に向けてやってるつもりだし、熱心なお客さんにも初めて見るお客さんにも同じように楽しめるようにやりたい。コアな層に向けたマニアックなライブもできるだろうけど、そういうのは自分じゃあまり好まない。不特定多数の人たちが誰でも等しく楽しめるのがロックンロールだという考えが根底にあるから。

音楽としっかり向き合うという意味でレコードはいい

──新機軸なのはスカの曲調ばかりではなく、7インチのアナログ盤というフォーマットでリリースするのも初なんですよね。

マモル:うん。ただ単に7インチを作りたかっただけなんだけど、これもタイミングが合ってね。コストのことをいろいろと調べてみたら、いけるかなという感じで。スカって雰囲気的に7インチが合うし、DJとかやってる人たちに買ってもらえたら面白いかなって。いつもラジオに呼んでくれる大貫憲章さんにもずっと言われてたんだよ。「マモル、いつアナログ作るんだよ?」って(笑)。

──昨今のアナログレコードの再ブームについて、マモルさんはどう見ていますか。僕は個人的に新作のレコードがどれも値が張ることに違和感を覚えてしまうのですが。

マモル:そうだね。このあいだ清志郎さんのトリビュート・ライブ(2023年4月9日に神田 THE SHOJIMARUで行なわれた『キセキ&ジャングルのキヨシロー2023』のこと)に出てさ、ライブ自体は楽しくやらせてもらったんだけど、RCサクセションの『Baby a Go Go』がLPで出たでしょ? あれが15,000円くらいするんだよ(註:税込で14,850円)。もちろんLP以外に付属物がいろいろ入るんだろうけど。そのライブでもMCで言っちゃったもんね、「『Baby a Go Go』のレコード、高いよね?」ってポロッと(笑)。結局ね、ブームとは言われてるけど買う人が少ないんだよ。買うのがマニアだから15,000円くらいで何とかなるわけでさ。

──MAMORU & The DAViESの『命の次にロックンロール / ヘタレのパンクロッカー』は1,600円+税という低価格設定ですね。

マモル:製造費と売る枚数を考えるとこれが限度でね。仲間のスタッフには1,600円じゃ安いくらいだから2,000円にしましょうと言われたんだけど、僕はもっと値段を抑えたかった。最初は1,500円にしたかったけど、ダウンロードカードを付けて100円アップした。ブームになってみんながアナログを作ること自体は凄くいいことだと思うし、あとはコストが下がればいいよね。僕自身、家ではほとんどレコードしか聴かないし。

──ああ、やはりそうですか。

マモル:実を言うと、しばらくレコードプレーヤーを持ってなかったんだよ。でも自分でレコードを出すことに決めて、プレーヤーを久しぶりに買ってさ。それから毎日レコードを聴いてるんだけど、CDやサブスクと違ってレコードはちゃんと聴かなきゃいけないでしょ? 片面が終わるまで15分くらい集中して聴かなきゃいけない。あれがとてもいい。音楽としっかり向き合うという意味でレコードはいいよね。

──でも考えてみれば、グレイトリッチーズがナゴムレコードから初音源を出したのは当然アナログでしたよね。

マモル:最初はソノシートだったね(『パワーアップ』、1983年12月発表)。

──マモルさんの世代からすると、CDからMD、配信とメディアの変遷を辿ってきて、結局またレコードに立ち返るというのは進化なのか退化なのかよくわからない部分はありませんか。

マモル:その思いもあるけど、自分もずっとレコードから離れてたから。CDが出始めた頃は音もキレイで便利じゃん、レコードは面倒くせえなとか思ってたくらいだし。だけどこういうサブスクが全盛の時代になってレコードが再び脚光を浴びて、その価値に気づくのはわかるよね。レコードなんて重くてかさばるし、ツアーに持っていくのも不便なんだけどさ(笑)。

──マモルさんは自分でジャケットのイラストも描くし、単純にジャケットが大きいレコードは相性が良いのでは?

マモル:パッケージとしての魅力は凄くあるよね。予算をかけられるならLPだって作りたいくらいなんだけど。まあ、レコードを作る工程はCDとまた違って面白かったね。東洋化成(日本屈指のアナログレコードプレスメーカー)からアセテート盤というテスト盤が送られてきて、それを聴いてチェックしてさ。僕の場合、音の細かいことはわからないので「おお、レコードの音だ!」と感激してOK(笑)。昔は東洋化成でもカッティングの立ち会いができたらしいんだよ。自宅のプレーヤーで聴く音と立派なスタジオのスピーカーで聴く音では全然違うから、ホントは現場に立ち会ってもっと音を吟味しなくちゃいけなかったんだろうけど、今はコロナで立ち会えないみたいでね。そう言えば昔、キャプテンレコードでグレリチのレコード(『GREATFUL PANTS』、1988年6月発表)を出すときに埼玉のプレス工場へ行ってカッティングに立ち会ったなあと思い出して。どこそこのレーベルのカッティングエンジニアの腕がいいとか、ドイツのノイマン社製のカッティングマシンがいいとか聞くけど、そういうのはもう僕の範疇じゃないから(笑)。こだわり出したらキリがないしさ。

──その辺りは山下達郎さんにお任せして(笑)。

マモル:デジタルで録音した音をアナログで聴くのはそれぞれの再生環境が違うから何とも言えないけど、アナログしかなかった時代の録音はレコードで聴いたほうがいいね。レコードで商品化するのが前提で作られた音なわけだから。それは自分でレコードプレーヤーを買い直して思ったな。

“明らかにB面”という曲を作る楽しさ

──下北沢にあるFlowers Loftのライブフロアには“NO WAR”というプレートが飾ってあって、それは一介のライブハウスでもこの時代に毅然としたスタンスを提示しようという表れなんです。「命の次にロックンロール」にも“ノーウォー・ノーモア・ウォー”という歌詞があって、こうした時代に敢えて投げかけるべき必然性のあるフレーズだと思うんですよね。

マモル:そうかもね。でもそれもまた自分なりの感覚って言うかさ。サビだからしつこく繰り返してるだけで、僕の中では「Johnny B. Goode」の“Go, Go! Go Johnny, Go, Go!”みたいなものだからね。

──B面の「ヘタレのパンクロッカー」はタイトルからしてユーモアに溢れた実にマモルさんらしい軽快な曲で、この曲があることでA面とのバランスが取れているようにも思えますね。

マモル:レコードでしか味わえない楽しみっていうのがあってさ、それがB面なんだよ。B面を作れる楽しみ、醍醐味ってあるでしょ? うわ、これ明らかにB面曲だな…っていう(笑)。せっかく自分でレコードを作るチャンスがあるなら、“明らかにB面”って曲をちゃんと作りたくてね。

──つまりちょっとハズした感じと言うか、二軍的なニュアンスですよね。そういう曲を作るのは難しくないですか。

マモル:僕は得意だね。B面っぽい曲はすぐできる。しかもこういうB面の曲はアルバムには入らない。そういう定めなんだね。それに則って次のアルバムに「ヘタレのパンクロッカー」は入れないだろうけど、だからこそ7インチシングルのB面っぽい曲を作るのが楽しい。「ヘタレのパンクロッカー」も心の中でゲラゲラ笑いながら作ったね(笑)。

──今回はA面、B面共に若林一也さんのアルトサックスが音の要になっていますね。

マモル:そうだね。A面がラッパのアレンジだったのでB面もサックスを入れちゃえ! ってことで吹いてもらったんだけど、「ヘタレのパンクロッカー」は結果的にX・レイ・スペックスっていうメンバーにサックスがいるパンクバンドみたいになっちゃってね。それでさらにB面っぽくなっちゃって、ダブルパンチのB面効果を生んだと言うか(笑)。

──80年代のニューウェイブって、メンバーにサックスがいるバンドがなぜか多かったですよね。

マモル:確かに。あれは何だったんだろう? ニューウェイブの音とは全然合わないのに。それもホーン・セクションじゃなくサックスだけっていうのがショボくていいんだよね(笑)。

──「命の次にロックンロール」のホーン・アレンジもシングルならではということなんですか。

マモル:うん。「命の次にロックンロール」のサックスのパートもライブではギターでやってるから。今回はシングルなので、よりスカっぽくしようと思ってサックスを入れてみた。だから今回の「命の次にロックンロール」はあくまでシングル・バージョンで、アルバムに入れるときはバンドでやってるアレンジに近い形にしようかなと思ってる。最初からそういう構想があったね。せっかくシングルを作るんだから、A面もB面もシングルならではのことをやりたかった。僕はそういうくだらないことを考えるのが大好きなんだよ(笑)。

──サックスの若林さんが在籍していたFOOLSですが、昨年10月に新宿ロフトで開催された『THE FOOLS FILM & SESSION〜『THE FOOLS 愚か者たちの歌』初公開!ライブ!〜』にはマモルさんも出演していましたね。マモルさんとFOOLSの繋がりを知らない人もいると思うので、あらためて聞かせていただけますか。

マモル:東京へ出てきてバンドを始めようとしてた頃、宝島から出てたバンドカタログみたいな本をモリクン(グレイトリッチーズの最初のボーカリスト / ex-ポテトチップス / 現モリクン&ボケッツ)と読んでたらFOOLSってバンドがいて、そのヘンな名前が妙に気になってね。渋谷の屋根裏までライブを見に行くことにした。細かいことは覚えてないけど(伊藤)耕さんの歌が鮮烈で、そうこうしてるうちに『Weed War』ってファースト・アルバムが出て、友達のサミー前田くんがFOOLSの手伝いをしてるってことで距離が近づいたと言うか。それ以前にパンクロックやパブロック、RCサクセションなんかも好きだったけど、それはどれもレコードで聴いてた音楽で、アンダーグラウンドなバンドでリアルに音楽的な影響を受けたのはFOOLSが最初だった。グレリチを始めたばかりの頃はモリクンと「どういう音楽にしようか?」とか話したり、ライブも経験がないから手探りでね。最初の頃はライブの構成を考えて紙に書いて、「ここでこういうMCをしよう」とか決めてたんだよ。

──マジメだったんですね(笑)。

マモル:最初だけね。でもそれじゃつまんねえなってモリクンとも話してた頃にFOOLSを見て、ああ、これだ! と思った。次のライブからはもっと適当にやろう、FOOLSみたいにやろうって実際にライブをやったら凄く楽しかった。僕らがバンドを始める上で適当にやる楽しさっていうのをFOOLSが教えてくれたね。音楽的なことはよくわからなかったけど、ストーンズっぽいとは思った。ファッション的なことじゃなく、持ってる音楽の質がストーンズっぽかった。そんなこんなで、グレリチがメジャーデビューした頃にゲストでFOOLSにライブをしてもらったり付き合いがあった。

変わり映えのないことかもしれないけど、歌を作るのは常に新しい

──FOOLSのメンバーと交流もあったんですか。

マモル:(川田)良さんには個人的に東中野の家によく呼ばれた。夜中なのに面倒くせえなと思ったけど(笑)、いろんな音楽を教えてもらったね。「マイルス・デイヴィスって知ってるか?」「知りません」「バカヤロー!」「何を聴いたらいいんですかね?」「そんなの自分で調べろ!」なんてやり取りをしたり。そんなふうにかわいがってもらってた。FOOLから教わったことは台本を決めずにライブをやることから始まって、実はグレリチの「牛乳&タバコ」(EP『Golden Hits』収録、1986年10月発表)の曲作りもそうだったんだよね。途中まで曲作りをしてたんだけど、あとはもう適当にやろうと。やったことないけどインプロビゼーションにしちゃおうとか(笑)。それで途中のパートができたんだけど、それは完全にFOOLSの影響だった。ここからどう展開する? ってときにスタジオのその場のノリで決めるっていう。そうやって事前に決め込まないほうが自分でも面白かったし、その場で即興で進めていくのがロックンロールの源流なんだなと思ったね。いい意味でも悪い意味でもいい加減にやるっていうことを、弱冠20歳の僕はFOOLSから教わった。

──でもその“いい加減”というのが一番難しいですよね。

マモル:そうなんだよ。FOOLSのライブってハズすときは酷いんだけど(笑)、いいときは外タレみたいでホントに凄かった。一番身近で参考になったバンドだったね。人間形成って言葉があるようにバンド形成っていうのも実際あって、20歳の頃って言えばまだ高校のときに遊びでバンドをやってたことの延長だった。バンドをどう進めていけばいいかわからない模索の時期にFOOLSのライブを見れたのはラッキーだったし、いま思えば彼らが指針になってくれたところがあった。僕はけっこう極端な性格でさ、それまでかっちりやってたのを急にその反対側へ振り切りたくなる。それで何も考えずにいい加減にやってみたら凄く楽しかったってだけの話なんだけど。

──即興の極みと言うか、インプロビゼーションの極限まで突き詰めたのがグレイトリッチーズの活動末期でしたよね。

マモル:そうそう。最後は行き着く所まで行ってしまって、即興は僕の中でもういいかなと思った。

──その反動でMAMORU & The DAViESのようなフォーマットが生まれるわけですから、まるで振り子の法則みたいですね。

マモル:確かにね。グレリチが解散したあとにまたちゃんと曲を作ろうと思って、3分で収まるロックンロールをやることにしたから。FOOLSに影響を受けた即興性が行き着く所まで行っちゃったからこそ今があるんだと思う。

──次なるオリジナル作品は、今回の「命の次にロックンロール」を軸にしたものになりそうですか。

マモル:軸になるかどうかはわからないけど、「命の次にロックンロール」を収録したアルバムを作ろうと思ってる。まだこれから曲を作らなきゃいけないけど、頭の中ではだいたいできてるんだよね。それを形にして、早く発表できたらいいんだけど。

──前作『いかすぜライブハウス』が2020年8月発表の作品ですから、コロナ禍以降、3年以上にわたってマモルさんが感じたこと、心象風景みたいなものがテーマになりそうですね。

マモル:そうかもしれないね。僕の場合、自分が生きて感じてきたものがアルバムごとにインプットされてるし、歌詞に直接出なくても、自分がその都度感じたこと、見てきたことが反映されてるから。今さら唄いたいことなんて特にないし、唄ってるのは変わり映えのしないことかもしれないけど、僕の中で歌を作ることは常に新しいことでさ。それがどんな言葉となって出てくるのかを今は模索してるけど、自分でも楽しみなんだよ。また「ヘタレのパンクロッカー」の“ヘタレ”みたいにヘンな言葉が出てくるかもしれないし、どうなるかはわからない。でもそれが楽しい。

──以前、野茂英雄と江夏豊をモデルにして「百戦錬磨のオトコ」を書き上げたように、今度は大谷翔平をモデルにした曲を書けそうじゃないですか?

マモル:「百戦錬磨のオトコ」を書いた頃はホントに野球にハマっててさ。自分で野球チームを作ってたし、金を貯めてLAまでドジャースの試合を見に行こうと真剣に考えてたからね。野茂モデルのスパイクまで買って、あのときはどうかしてた(笑)。今はそこまで野球に夢中ではないけど、このあいだのWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)は見て楽しかったし、久々にスポーツの良さを実感できた。2年前の東京オリンピックが自分の中で納得できないものだったから。スポーツってやっぱりいいなと素直に思えたのは、WBCの日本代表メンバーのおかげかな。WBCだってきっとドス黒い部分はあるんだろうけど、ドス黒さを吹っ飛ばすくらいのエネルギーが日本代表の選手たちにはあったんだろうね。

──日本経済はずっと低成長なのに物価高騰が続き、貧困層と富裕層の両極化は進むばかりで、軍備拡張を国民に負担させ、差別横行や人権無視を助長させる政権がそれでも支持を得る昨今なので、皮肉にもマモルさんの歌がますます生まれやすい状況にある気がしますが、いかがですか。

マモル:まあね。僕の場合は直接的じゃなく、柔らかいフィルターを通した表現にはなるだろうし、ストレートなメッセージではないけどさ。唄いたいテーマが増えるのがいいことなのかどうかわからないけど、まあやるしかないよね。世の中のフィルターを通して自分がどんな発信をしていくのかは僕自身面白いから。

──自分の心身や感性が現世のリトマス試験紙みたいだと思ったりしませんか。

マモル:僕のやりたいロックンロールって本来そういうものだったんだと思う。40年こんなことを続けていたらそんなことに気づけたって言うかさ。自分では意図しないところで「命の次にロックンロール」という曲が出てきちゃうっていうのが自分のやってきたことの積み重ねなんだろうね。なんでこんな言葉が出てきちゃうんだろう? と自分でも思うし、曲も3コードに毛の生えただけの簡単なものばかりなんだけど、でもそれでいいんだよなって思っちゃう。大好きなビートルズみたいなテイストの曲ももっとやりたいけど、スパッと出てくるのは「ヘタレのパンクロッカー」みたいな曲なんだよ(笑)。どれもほぼ鼻歌の延長なんだよね。それをちゃんと録音して、人に聴いてもらえるような形で出すだけっていう。

──偶然は必然なのかもしれないし、神のみぞ知るですよね。今回の7インチのジャケットが拡声器なのも必然だったのかもしれませんし。

マモル:ジャケットの絵はいつも頭に浮かんだものをらくがきみたいにメモ用紙に描いててね。今回は最初に描いたのが拡声器で、人が踊ってるところまで描き込んでいて、ああこれでいいやと軽いノリで決めた。だいたいが思いつきだし、深いところまで考えない。僕ももう60歳になるし、もうそれでいいんじゃないかと思って。いちいち深く考える時間も反省する暇もないし(笑)、ここまで来たらあとはただ楽しいことだけやって暮らしていきたいよね。

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