決勝。9回表にマウンドに向かった大谷に、私たち誰もが「頼んだぞ!」と思ったはずだ。そして最終打者を三振に取り、勝利の雄たけびを上げる大谷ーー。
駆け寄る選手やスタッフ、チーム全員が歓喜の輪に加わった。選手だけではない、チーム全員で勝ち取った世界一の座なのだ。そこにいたるまで、ともに闘った裏方だけが知ることのできる熱いドラマがあった。優勝の感動が冷めやらぬいま、それを本誌だけに語ってくれたーー。
「裏方として、いちばん印象に残っているシーンは、決勝戦で、大谷選手やダルビッシュ投手など、全部で7人の投手をブルペンから送り出すとき。
『よしっ、頼んだぞ。頑張って!』
僕たちブルペン捕手だけじゃなく、残っていたピッチャーも一緒に声をかけたときの、彼ら一人一人の思いを凝縮したような表情が忘れられません。
誰もが無言でうなずくだけでしたが、当然です。僕らが想像できないほどのものを背負って一人、マウンドに向かうんですから」
語るのは、野球解説者・評論家の鶴岡慎也さん(42)。現役の日ハム時代には今回のWBCで指揮を執った栗山英樹監督(61)のもとで活躍し、さらにダルビッシュ有投手(36)と大谷翔平選手(28)二人のどちらともバッテリーを組んでいた名捕手だ。
実は優勝後、選手や監督、コーチらに加えて、金メダルを授与された裏方たちがいる。鶴岡さんも、そんなメダリストの一員だ。
日本中を感動の渦に巻き込み、世界中に侍ジャパンの名を知らしめた’23年WBC。試合中のグラウンドやテレビ中継では見えなかった、その背後のドラマや選手たちの素顔について、鶴岡さんに語ってもらった。
鶴岡さんのもとには、まず昨年10月、栗山監督からWBC参加に関する要請が届いた。
「侍ジャパンでブルペン捕手をやってもらいたいが、スケジュールは空いているだろうか。2月の宮崎キャンプから参加してほしい」
現役を離れ1年が過ぎていたが、長くバッテリーを組んでいたダルビッシュ投手や、新人時代に球を受けていた大谷選手もMLB(メジャーリーグベースボール)から参加すると知り、迷わず答えた。
「ぜひ、やらせてください」
監督の返答は、この準備段階から力強いものだった。
「絶対に優勝する。そのときにブルペンは大事だから、ピッチャーたちを盛り上げていってくれ」
2月17日から始まった宮崎キャンプ。最大の注目は、ダルビッシュ投手が、MLB組としてはただ一人キャンプ初日から参加したことだった。しかし、鶴岡さんの驚きは、また別のところにあった。
「ダルビッシュ投手が、こんなに後輩の面倒見のいい選手なんだ、と。
日本で一緒にやっていたときには、彼自身がまだ後輩の立場で、やんちゃなイメージでしたから(笑)。それが、アメリカにいる間にベテランになって、侍ジャパンでは最年長で、自分から若い人の輪に入ろうと努力していた」
選手たちは本番に向けて順調に調整を進めていく。
やがて3月に入ると、MLBから、いよいよ大谷選手やラーズ・ヌートバー選手(25)も合流。
10日間の宮崎キャンプを終えて3月9日に始まった1次ラウンド。侍ジャパンは、大谷選手の投打の二刀流での大活躍もあって、文字どおり、快進撃を続けていく。
〈侍ジャパン 1次ラウンドを全勝で決勝ラウンドへ!!〉
連日の侍ジャパン躍進の報道で、テレビ画面を通してはわかりづらかったが、舞台をアメリカに移しての決勝ラウンドでは、3月20日のメキシコとの準決勝、続く21日(ともに現地時間)のアメリカとの決勝と、現場にいた鶴岡さんたちは「圧倒的アウェーの風」を感じていた。
「スタジアムの応援は、日本の球場とは真逆で、相手のほうが9割5分といった印象でした。
それでも、侍ジャパンの選手たちは、ひるむこともなかった。というのも、メジャーリーガーの大谷選手、ダルビッシュ投手らが、“自分たちの実力は世界的にもぜんぜん劣っていないんだ”という雰囲気を、その前の日本にいるときから作っていたんですね」
的確なアドバイスは、渡米する飛行機の中でも行われていた。
「時差ボケ対策についても、後輩にレクチャーしていました。『このタイミングで寝ちゃダメ』などと。眠りに入りやすいサプリメントの情報なども伝えていました」
多くの報道で「変わった」と評されていたダルビッシュ投手だが、公私で付き合いのある鶴岡さんは、家族の存在も大きいと話す。
「僕も含めて誰でも同じじゃないでしょうか。家族でもチームでも、自分のためじゃなく誰かのためにやれる人間は強いと思うんです」
■ブルペンで一緒に投げている翔平とダルが侍ジャパンをここまで導いたと鶴岡さんは感慨深く
「誰もが名前を知っている選手と対戦することになるけど、そういうチームに勝つために、今、ここにいるメンバーを選んだ。俺は絶対に勝てると信じてる。だから、自信を持ってやってくれ」
いよいよアメリカとの決勝当日。先発メンバー発表のタイミングで、栗山監督が選手らに喝を入れる場面があった。鶴岡さんは、
「さすがに最後の大勝負を前に緊張しているなか、決勝直前に監督からこの話があって、みんな、『おっしゃー、行くゾ!』と、改めて気持ちが引き締まりました」
大谷選手の、あの「憧れるのをやめましょう」のスピーチがあったのは、このあとだ。
試合は、長い不振から復活を遂げた主砲・村上宗隆選手(23)の初ホームランなどもあり、日本は7回までに3-1とリードを広げ、優位に進んでいた。ここで投手陣の継投で逃げ切りたいという栗山監督の采配が光る。そしてブルペンには、あの大谷、ダルビッシュの両投手が一緒に投げるというWBCならではの光景があった。
「日ハム時代に球を受けていた二人でした。ダルとは長かったし、翔平とは1年くらい。現役引退した僕には、二人とも“テレビの向こう側の人”だったから(笑)、彼らが一緒に投げているのは日本の野球界の最高峰の状況で、ああ、この二人が侍ジャパンをここまで導いたんだなと、感慨深いものがありました」
ちょうど10年前の大谷選手のルーキー時代、その初勝利のときも球を受けていた鶴岡さんは、大谷選手の人柄について。
「あのままの人間です。礼儀正しくて、ストイックで、ちゃめっ気もあって。もともと能力のある人間が、食べることも、寝ることも、すべての時間を野球のために使っているんですから。
加えて、野球を心から楽しんでるでしょう。イタリア戦のまさかのセーフティバントとか。その姿に、誰もが感動するんでしょうね」 さて、再び決勝の場面。自身の出番を前に、ベンチとブルペンを何度も往復する大谷選手の姿はテレビでも中継されたとおり。ブルペンにいた鶴岡さんは、
「彼自身、中継ぎの経験も最近はなく、ペース配分なども考えながら歩いていたのでは。
特にあの球場のブルペンへの距離は100mもありますから、そこを黙々と往復するときの気持ち、背負っているものは、もう翔平にしかわからない……」
そして、大谷選手がトラウト選手から三振を奪った瞬間、侍ジャパンは14年ぶりの世界一に返り咲いたのだった。
■20勝50本も翔平ならやれるだろう、異次元の存在とWBCを一緒に過ごして鶴岡さんは実感
「いろいろサポートしてくれて、ありがとう」
優勝が決まった直後にグラウンドで対面したとき、栗山監督がブルペン捕手を務めた鶴岡さんにかけたねぎらいの言葉だった。
「ご自分のメダルを僕の首にかけてくれながら、でした。もう、それだけで十分。
ですから、僕もあとで金メダルを授与されましたが、首にはかけずに飾っておこうと決めました。だって、選手たちからのいただきものなのですから」
その選手たちとの出会いも、一つ一つが印象深かったと語る。
「村上選手のすごいのは、不振が続いたなかで、ベンチでもまったく弱気な一面を見せなかったこと。23歳の若さで、あの立ち居振舞いは、やはり大物だと思います。
佐々木朗希投手(21)は、ブルペンでもすごい球を投げていた。ダルビッシュ、大谷両選手の同じ年ごろのころと比べても遜色なく、どこまで伸びるか楽しみです」
鶴岡さんは、今回のWBCを通じて、日本人メジャーリーガーが残した功績について語る。
「今、WBCを体験した日本の若手選手たちが絶好調ですよね。それは大谷選手やダルビッシュ投手が、WBC後、すぐにふだんの野球生活に戻る姿を見たから。ここで満足してちゃダメなんだということを、肌で学んだと思うんです。これこそ、日本の野球界全体の財産なったと思うんです」
当のメジャーリーガー二人の今後については、
「ダルビッシュ投手は、この先40代を迎えても現役でやるのですから、技術的に円熟しながら、どんなピッチャーになるのか楽しみ。 大谷選手については、今後、彼がどんな数字を残しても驚かない。20勝50本も、翔平ならやれるだろうと、それくらい異次元の存在だというのを、今度のWBCを一緒に過ごしてきて実感しました」
そして最後に、
「3年後のWBC。求められるハードルはさらに上がるでしょうが、今回の若手もまだバリバリやっている選手ばかりのはず。必ずや、さらに強い侍ジャパンが見られると思うので、僕も裏方を務めた一人、野球ファンの一人として今から楽しみです」