J3の衝撃!Jリーグにきた「バルセロナでプレーした選手」15名

J3・FC大阪は29日、カメルーン人FWドングーの完全移籍加入を発表した。

バルセロナ時代のドングー

ドングーはスペインの世界的名門バルセロナでトップチームデビューしたかつての逸材。そんな選手が驚きのJ3クラブ加入となった。

そこで今回は、「バルセロナでプレーした経験を持つJリーガー」を特集してみよう。

ボージャン・クルキッチ

2007-2011 バルセロナ
2021-2022 ヴィッセル神戸(J1:20試合1得点)

バルセロナでのデビュー当時から神童と言われた早熟の天才で、メッシに次ぐ存在と考えられた逸材。

2021年8月にヴィッセル神戸へ加入し2シーズン在籍したが、ケガの影響であまり出場機会を得られずに退団。その後32歳で現役を引退している。

トーマス・フェルマーレン

2014-2019 バルセロナ
2019-2021 ヴィッセル神戸(J1:45試合1得点)

ベルギーを代表する経験豊富なDFは、2019年7月にヴィッセル神戸へと加入。最終ラインに絶大な安定感をもたらし、同年、クラブ史上初のタイトル獲得となる天皇杯制覇に大きく貢献した。

神戸での評価は非常に高かったが、ワールドカップ出場を目指して2021シーズン限りで退団。しかしそのまま現役を引退している。

セルジ・サンペール

2014-2019 バルセロナ
2019~ ヴィッセル神戸(J1:88試合0得点、カップ:7試合0得点)

バルセロナのカンテラ出身で、「セルヒオ・ブスケツの後継者」とも評価されたMF。

トップチームにはなかなか出場できず、若くして神戸へ。加入以来同胞のイニエスタを支える存在として2021年にはリーグ3位に貢献したが、昨年3月に右ひざ前十字靭帯損傷したため現在まで長期離脱している。

イサック・クエンカ

2011-2014 バルセロナ
2019 サガン鳥栖(J1:29試合6得点、カップ:3試合0得点)
2020-2021 ベガルタ仙台(J1:15試合0得点)

カタルーニャ出身で地元バルセロナの下部組織で育ったアタッカー。バルセロナでトップデビューした後、アヤックスやデポルティーボといった世界的な名声のあるクラブに所属した。

2019年にフェルナンド・トーレスがいたサガン鳥栖へ。翌年にはJ2のベガルタ仙台に移籍したが、母国で右ひざの治療に専念するため退団している。

ダビド・ビジャ

2010-2013 バルセロナ
2019 ヴィッセル神戸(J1:28試合13得点)

スペイン代表の歴代最多得点記録を持つストライカーは、盟友イニエスタを追いかけるように神戸へと加入した。

こうした大物選手は往々にして全盛期の力を見せられないまま退団するもの。しかしビジャは年齢を感じさせないハイレベルなパフォーマンスを披露し、さらに古橋亨梧のFWとしての才能を開花させる一助ともなった。

アンドレス・イニエスタ

2002-2018 バルセロナ
2018~ ヴィッセル神戸(J1:112試合21得点、カップ8試合1得点)

バルセロニスタから敬愛される伝説的なMFであり、2018年、ヴィッセル神戸への電撃移籍は世界を驚かせた。

今年で5年目。今シーズンはチームが好調な一方で出番は限られており、その去就が注目される。

ギャリー・リネカー

1986-1989 バルセロナ
1993-1994 名古屋グランパスエイト(J1:18試合4得点、カップ:6試合4得点)

1986年ワールドカップで得点王に輝いた英国史上屈指のゴール製造機。最晩年には黎明期のJリーグでプレーし、“顔”と“名前”で彩りを添えた。

近年あまり語られないが彼はバルセロナが黄金期を迎える直前の1980年代に所属しており、初年度に22得点を記録している。

パブロ(パブロ・マケーダ)

1991-1993 バルセロナ
1997-1998 アビスパ福岡(J1:17試合3得点、カップ:2試合0得点)

バルセロナ下部組織出身のアタッカー。黄金期のトップチームではほとんど出番を得られなかったが、オビエド、マジョルカで活躍し、1997-98年にはアビスパ福岡でプレーした。

一般的には「マケーダ」で知られるが、日本では響きが良くないとして「パブロ」で登録されている。

フリスト・ストイチコフ

1990-1995,1996-1998 バルセロナ
1998-1999 柏レイソル(J1:27試合12得点、カップ:1試合1得点)

バルセロナに悲願のCL初制覇をもたらしたブルガリアのスーパースター。1994年のアメリカW杯では大会得点王の活躍で母国を4位に導き、同年のバロンドールを受賞した。

柏に加入した時は既にキャリアの晩年であったが、世界レベルの左足を存分に披露している。

ヨン・アンドニ・ゴイコエチェア

1988-1994 バルセロナ
1998 横浜マリノス(J1:23試合0得点、カップ:3試合0得点)

スペイン代表として1994年ワールドカップに出場したアタッカー。自慢の脚力と切り返しを武器にクライフの「ドリームチーム」で右サイドを担った。

1997年、ハビエル・アスカルゴルタが監督を務める横浜マリノスに加入し、バルサ時代の同僚だったサリナスと再会した。

ミカエル・ラウドルップ

1989-1994 バルセロナ
1996-1997 ヴィッセル神戸(J1:3試合0得点、カップ:6試合1得点)

1980-90年代の欧州フットボール界を代表する選手で、ユヴェントス、バルセロナ、レアル・マドリーに所属した経歴をもつ世界的スター。

1996年、当時JFLの神戸に鳴り物入りで加入しJ参入に貢献したが、肝心のJでは怪我もあって3試合の出場に止まった。

リチャード・ビチュヘ

1991-1993 バルセロナ
2004 大分トリニータ(J1:9試合0得点、カップ:3試合0得点)

アヤックス、バルセロナ、ボルドーなどで活躍した左利きのMF。オランダ代表として1990年ワールドカップ、96年欧州選手権に出場した。

2004年にオランダ人ハン・ベルガーが監督を務める大分に移籍したが、9試合の出場に止まり退団後に引退している。

アイトール・ベギリスタイン

1988-1995 バルセロナ
1997-1999 浦和レッズ(J1:61試合16得点、カップ:10試合3得点)

クライフの「ドリームチーム」で“左の翼”を担った小柄なアタッカー。32歳の時に浦和レッズへ加入し、原博実監督のもとでプレーした。愛称はチキ。

引退後はバルセロナのフロントとして辣腕をふるい、当時低迷していたクラブの再興に尽力。現在はマンチェスター・シティのディレクターを務めている。

トーマス(アルベルト・トマス)

1990-1993 バルセロナ
1998 ヴィッセル神戸(J1:17試合1得点、カップ:3試合1得点)

黄金期のバルセロナでデビューしたセンターバック。ベニト・フローロの誘いで1998年7月から半年間ヴィッセル神戸でプレーした。

J2導入に合わせて実施された札幌とのJ1参入決定戦・第2戦では、コーナーキックから高い打点のヘディングで先制弾を決め、“初代”残留に貢献している。

フリオ・サリナス

1988-1994 バルセロナ
1997-1998 横浜マリノス(J1:47試合34得点、カップ:8試合4得点)

「ドリームチーム」の一員で、スペイン代表としてワールドカップに3度も出場したスター選手。

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1997年、同じバスク人であるハビエル・アスカルゴルタの誘いで横浜マリノスに加入すると、8試合連続ゴールという現在まで破られていないJリーグ記録を樹立した。

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