炎天下 5km歩いて少し痩せたかも【駅ぶら05】京成千原線249

※2022年8月撮影

トップ画像は、南生実町八劔神社(やつるぎじんじゃ)の正面、鳥居。参道の巨木が凄いです。

庇の付いた鳥居は、かなり珍しいと思います。考えても瀬戸内海に浮かぶ安芸の厳島神社の大鳥居くらいしか思い浮かびません。

※2022年8月撮影

鳥居脇の千葉市教育委員会による「千葉市指定無形民俗文化財 八劔神社の神楽および神楽所」

※2022年8月撮影

内容を写します。

「伝承地 略

保持団体 八劔神社神楽連

指定日 1963(昭和38)年3月31日

八劔神社は、社伝によれば日本武尊が東征のときこの国に起こっていた国境の争いを平定し、改めて国境を定めたことに感謝して、土地の人々が東国鎮護の神として祭ったのが始めとされています。〈後略〉」

社殿の脇、裏参道からもと来た道の方に戻ってマップの「小弓城跡」に行ってみます。

※2022年8月撮影

稲荷神社の前を戻ります。

※2022年8月撮影

西の方に歩きます。昼近くなって全く日影がありません・・・。

※2022年8月撮影

築山の上に出羽三山信仰の石塔(たぶん)が見えました。

※2022年8月撮影

神社から500mほど、墓地の一角(南生実町字古城他)に「小弓城跡」の案内がありました。

※2022年8月撮影

横に立つ石碑は黒くて読解不能でした。

※2022年8月撮影

千葉市教育委員会の案内。

※2022年8月撮影

概要です。「千葉城築城の頃、南部を守る要衝として築かれました。永正15年、武田恕鑑が奉じる足利義明が城を落とし、ここを本拠に「小弓御所」としました。〈中略〉城は南と西側は水田で、北は支谷に、東は大百池に画された標高20-25mの台地一帯で、古城、東堀、城出下など城郭に関する地名が残っています。〈後略〉平成10年3月」

墓地に立つ案内だけだったので少し拍子抜けして、また暑い陽射しの下を学園前駅まで戻りました。

※2022年8月撮影

学園前駅【駅ぶら】では、炎天下5km近く歩きました。少しは痩せたかな・・・。(笑)

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京成電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

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