5月2日は忌野清志郎の命日 − RCサクセションから聞こえてくる歌詞はリアリティだらけ  合掌 5月2日は忌野清志郎の命日です(2009年没・享年58)

5月2日は忌野清志郎の命日、今でも迫ってくるリアリティのある言葉

5月2日が忌野清志郎の命日ということで、私の好きな忌野清志郎の言葉、今でも私に迫ってくる3曲の歌詞をご紹介したい。

これら3曲に共通するのは「リアリティ」である。

「雨あがりの夜空に」と並ぶRCサクセションの代表曲「トランジスタラジオ」

__ベイエリアから リバプールから
このアンテナがキャッチしたナンバー__
■ RCサクセション『トランジスタ・ラジオ』80年)
作詞:忌野清志郎・G.1,238,471

『雨あがりの夜空に』(80年)と並ぶ、同年リリースRCの代表曲だが、歌詞に対する個人的採点で言えば、「雨」を引き離して「ラジオ」となる。

高得点の理由は、情景の喚起力だ。忌野清志郎によるいくつかの歌詞は、この「情景喚起力」が非常に高い。

先述のように、作詞家・忌野清志郎の言葉は、邦楽の平均的歌詞と比べて、高いリアリティを持つ。ファンキー・モンキー・ベイビーもいとしのエリーもニューヨークから来たバレリーナのアンジェリーナも出てこない。出てくるのは「大きな春子ちゃん」なのだから。

しかし単なる現実のトレースに留まらず、脳の中で情景が広がるメタ・リアリティ(亜・現実感)に昇華していく曲が多い。そして、それは大きな魅力として私には映るのだ。

具体的に言えば、例えば上に掲げた「♪ベイエリアから~」のフレーズ。ここが好き過ぎて私は、脳内に浮かぶ情景を、拙著『恋するラジオ』(ブックマン社)に書き残した。

―― 時は60年代後半、都立日野高校の屋上、忌野清志郎少年が、授業をサボってラジオを聴いている。ラジオから、ビートルズの『ホワイト・アルバム』や、ジャニス・ジョプリンやドアーズが流れてくる。

さらに私の脳内情景は、ムービーになっている。若き忌野清志郎の接写から、カメラが上空にのぼっていき、視界がぐんぐん広がる。高校の屋上の全景、多摩地区の全景、東京、地球の全景へ。そしてベイエリアとリバプールと清志郎の三角形が、美しく輝き出す――。

『トランジスタ・ラジオ』では、加えて「♪君の知らないメロディー 聞いたことのないヒット曲」もいい。「聞いたことのないヒット曲」は、読みようによっては形容矛盾になるのだが(=「そもそもヒット曲はみんな知ってるものだろう?」と一瞬思わせる)、私にとっては「聞いたことのないヒット曲」こそが、まさに音楽生活の養分だった。

1980年代前半、大阪の高校生だった頃、FM大阪の『ローリングポップス』という番組をよく聴いていた。DJはマーキー(「マーキー谷口」名義だったと思う)。イメージではこんな感じ。

―― 八尾市のチャッピーくんからリクエストもらいました。「ゾンビーズの『ふたりのシーズン』、めっちゃ好きなんで、かけてください。よろしくおねがいします」。はい、流行りましたねぇ。ふたりのシーズンの『ふたり』って誰やねんと(笑)。ほな、1968年のヒット曲です。ゾンビーズ『Time of the Season〜ふたりのシーズン』。

聴いている時点で、私は『ふたりのシーズン』を知らない。ただDJからの情報に加えて、さすがヒット曲だ。流れた瞬間、ヒット曲特有の、キラキラしたお金のニオイがする。そして高校生の私は、「聞いたことのないヒット曲」から染み出す養分を蓄えて蓄えて、音楽感性を育てていった。

そして今、「聞いたことのないヒット曲」に触れる機会が圧倒的に減ってしまった。音楽番組自体が減った。新譜も旧譜もフラットに取り上げる番組はさらに減った。サブスクは音楽の無限宇宙に広がっているけれど、みんな自分のプレイリストばかり回しているみたい。

忌野清志郎が何気なく書いたであろう「聞いたことのないヒット曲」。でも実はこの言葉は、日本の音楽シーンが今後健全に育っていくために、非常に重要な意味を持つと思うのだ。

「空がまた暗くなる」で感じる現在へのリアリティ

__おとなだろ 勇気をだせよ
おとなだろ 笑っていても
暗く曇った この空を
かくすことなどできない__

■ RCサクセション『空がまた暗くなる』(1990年)
作詞:忌野清志郎

RCサクセション からもう1曲。『トランジスタ・ラジオ』から10年後の曲だが、歌詞世界はまるっきり違う。一種のメッセージソングになっている。『トランジスタ・ラジオ』が過去へのリアリティとすれば、それは現在へのリアリティ。

歌詞は、要するに「大人になったから守りに入るんじゃなくて、勇気を出して攻めていけ」と言っている。そうしないと「暗く曇ったこの空をかくすことなどできない、と。

しかし、私がこの歌詞を好むのは、「♪ああ 子供の頃のように さぁ 勇気をだすのさ」というフレーズが後に控えているからだ。右だ、左だといったイデオロギーではなく、そんなややこしいことではなく、「子供の頃のように好き勝手しゃべって歌えばいい。勇気とはそういうものなんだ」と言っている。

「愛と平和の忌野清志郎」―― いや、間違いではないのだが、そう言っちゃうと、ボロボロとこぼれていくものが山ほどあるような気がする。それよりも「子供みたいな人」「純粋無垢な人」、だからこそ「思うがままに、好き勝手にしゃべって歌った人」という方がしっくり来る。

「♪ああ 子供の頃のように さぁ 勇気をだすのさ」という言葉は、不思議なもので、聴き手が年を取れば取るほど、胸に迫ってくる。

大人になればなるほど、子供の頃のように生きよう―― つまりはこういうことなんだろう。

清志郎がその後の世界のことを予言していた「激しい雨」

__Oh この世界が 平和だったころの事 RCサクセションがきこえる__ ■ 忌野清志郎『激しい雨』(2006年)
作詞:忌野清志郎・仲井戸麗市

生前最後のスタジオアルバム『夢助』に収録された1曲。鮮烈な作りになっていて、何と歌詞の中に固有名詞「RCサクセション」が出てくるのだ。そして、ここで出てくるRCが背負っていたものが「この世界が平和だったころ」。

この曲の3年後に亡くなる忌野清志郎だが、その後の世界のことを予言していたのではないか。つまり、未来へのリアリティ。だから「この世界が平和だったころ」の象徴としてのRCサクセションの言葉が今、あろうことか、リアリティを超えた「リアル」として迫ってくる。

過去と現在と未来へのリアリティ。忌野清志郎の言葉はリアリティだらけ。だから今日も―― RCサクセションが聴こえる。忌野清志郎のリアリティが聴こえる。

カタリベ: スージー鈴木

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