「会社人生は晴れ晴れとして終わるのがいい」

ノンフィクション作家、清武英利氏 新作『どんがら』を語る

ノンフィクション作家、清武英利氏の新作『どんがら トヨタエンジニアの反骨』(講談社)はトヨタの自動車開発の中枢を担った男たちにスポットを当てた作品だ。これまで山一証券の倒産や外務省機密費流用事件、銀行や住専の不良債権回収など時代を象徴する事件の断面を、その渦中に生きる無名の人々の姿を追うことで描いてきた清武氏。新たな作品のテーマにトヨタの技術者を選んだことにどのような思いがあったのだろうか? 清武氏に話を聞いた。

【清武英利】きよたけ・ひでとし。1950年、宮崎県生まれ。立命館大学経済学部卒。75年に読売新聞社に入社、社会部記者として警視庁、国税庁などを担当。中部本社(現中部支社)社会部長、東京本社編集委員、運動部長を経て、2004年8月より読売巨人軍球団代表兼編成本部長。11年11月、専務取締役球団代表兼GM・編成本部長・オーナー代行を解任され、以降、ノンフィクション作家として活躍。著書に『しんがり 山一證券 最後の12人』(2013年)、『石つぶて 警視庁二課刑事の残したもの』(2017年)、『トッカイ 不良債権特別回収部 バブルの怪人を追いつめた男たち』(2019年)など。

「新しい冒険のような気がしました」

――「トッカイ」から4年、今回はトヨタのスポーツカーのエンジニアの話で、これまでの作風とはやや違う印象を受けました

清武英利氏 「開発物語とかスポーツカーの誕生秘話とか、人によっていろいろな捉え方があるんだなぁと思ったのですが、僕自身としては大企業の勤め人とその家族の物語を書いたんです。(これまでの作品は)「苦い勝利」が多かったではないですか。『石つぶて』など一番いい例だけど、「俺たちは(犯人を)捕まえたぞ、でも奥の院のもっと悪い奴は捕まえられなかった、クソッ」と思うような苦い勝利。『トッカイ』でもできることはやった、しかし、回収できなかった隠し資産がまだある。それが悔しい。今回ははっきり言うと晴れ晴れとしている。そこが少し違うのかもしれませんね」

※『石つぶて 警視庁二課刑事の残したもの』は2017年7月に、『トッカイ バブルの怪人を追いつめた男たち』は2019年4月に、いずれも講談社から刊行された清武氏によるノンフィクション作品。

――一方で組織の中で自らの思いに葛藤する個人を描くという作品の底流にあるものは、今回も一貫していると感じました

清武氏「どちらかというと目立たない人を描くことに意義を感じているので。トヨタ自体を描くことに関心はなかったですね。トヨタというのは『日本株式会社』なんです。日本の企業、特にモノ作りの会社って内情がわかりづらいではないですか。特にトヨタの技術本館は聖域の中の聖域だから、聖域の中に生きる技術者の群像を描くことが自分にとって新しい冒険のような気がしましたね。僕自身は、開発現場の一面と人々をこんなにリアルに追ったものはないと思っているから。それは僕の調査報道的手法でやったので時間がかかったけれど、大きなテーマだったと思います」

――今回の作品を書くきっかけのようなものがあったのですか?

清武氏「トヨタという大企業の中で自分の思いをかなえていく。しかも50歳を過ぎて自分の行く末が見えてきたときに、最後は自分のやりたいことをやるために働く、会社のためではなくて。そういう思いって誰にもありますよね。そこを描いてみようと思ったのがきっかけだし、そういう思いにさせてくれる技術者たちと出会えたということだと思います」

「協力しないって言われたんだよ」

――本になってトヨタからは反響というか何か話はあったのですか?

清武氏「実は(「週刊現代」で)『どんがら』のもとになる連載をはじめた最初に『取材には協力しない』って言われたんだよ(笑)。だから僕は(トヨタの)知人に『なにを言ってるんだ』と言いましたけどね。僕は2000年に(読売新聞の) 中部本社の社会部長になり、その時にトヨタの連載をやったから今も知り合いがかなりいるんです。だからそういう人たちの物語をもっと早く書こうと思えば書けたんだけど、これまではなかなか書く意義がみつけられなかった。僕は『後列の人』というのを取材の1つの軸にしているので。そういう人を見つけるのに時間がかかったということです」

――なるほど、今回の作品のベースに読売新聞社会部時代のトヨタ取材があるのですね?

清武氏「中部本社の社会部長をしていた時に(記者を)4人集めて特別取材班をつくり、自分も5人目の記者として取材をして『トヨタ伝』という本を出したんです。トヨタの工場労働者、戦前の養成工育成がまだ残っていた時代だったので、養成工の第一期生の名簿を手に入れて全員に当たりました。亡くなっていた人もかなりいて40人くらい直当たりで取材し、その取材メモをもとにどんどん深めていって書いたのが『トヨタ伝』です。そこが根っこにあるのは確かですが、20年も前のことですから。ただ、(取材の)こつはわかっていたので。今回はトヨタの技術本館の内情を一生懸命に調べて、OBの方を含めていろんな人に聞いたものが1つにまとまったと僕は思っています」

※『トヨタ伝』(新潮社)は、読売新聞特別取材班による連載を書籍化した『豊田市トヨタ町一番地』(新潮社)を改題、加筆して2006年4月に刊行された。

――まさに取材のたまものですね

清武氏「1つの車を作るのに5、6年かかるといわれているけど、5、6年の間に誰が何をしているのか? 新しい車が発表されてすごいな、いい車だなと皆言うけど、その車を作るのに誰のどんな苦労があったのかはわからない。その車を作った人と家族たちまで掘り下げて書いたものはこれまでなかったと思います。トヨタを書くというとすぐ『ヨイショ本でしょ』って言われるじゃないですか? だから、ヨイショ本ではないノンフィクションがあるよ、ということを新聞記者や若いライターに知ってもらいたいですね。こつこつやるしかないから時間はかかるけど」

「自分のために働くことが凄く重要だと思う」

――組織と人との関わりが清武さんの作品に一貫しているテーマだと思っているのですが、今回はトヨタでスポーツカーを2台もつくった、ある意味成功した人の話です

清武氏「成功したかどうかはわからないと思うんですよ。本人に『成功した?』と聞けば、『うーん』と言うと思うんです。でも思いを遂げたことは間違いない。自分の好きな車を、いつかこの会社でスポーツカーを作りたい、かっこいい車を作りたい、その思いを遂げるのって難しいですよね。技術者なら社長になるより格好のいい車を作りたいという欲があってしかるべきだし、新聞記者なら社長や編集長になるよりいい記事書きたいとか、特ダネとりたいという気持ちがあって当たり前でしょ。そういう意味で言えば作りたいと思っていたスポーツカーを、協業という形で他の会社の力も借りたけれど思いを遂げた。しかも2台も作ったというのは一生残る自分の勲章ですよね。そういう意味でいうと、本人の心の奥深いところに満足感はきっとあるんだと思います」

――そこが晴れ晴れとした作品という先ほどのお話しにつながってくるわけですね

清武氏「50歳を越えて、10年近く苦闘して自分の好きなものをやるということはこういうことなんだということを知ってもらいたい、そういう気持ちがありました。(主人公と)同じようには生きられなくても、フィクションではない、虚構ではない、リアルな抵抗者がそこにいた、それを描くことに喜びを感じました。企業社会で働くということはどういうことなのか、それを実名で描くことに意味があると思うんです。今回はトヨタという聖域の中で現実にこういうことが行われていると。昇進もあり左遷もあり、面従腹背で自分の好きなものを作っていくということはこういうことなんだと。やっぱり出世やお金のためだけに生きているわけではないよということですね」

「自分のために働くことがどれだけ大事かということを主人公は教えてくれている」=2023年4月、都内ホテル喫茶店にて

――会社勤めをするすべての人たちへの問いかけでもあるのですね

清武氏「僕はもう会社人生は終わったけど、会社人生は晴れ晴れとして終わるのがいいよ(笑)。辞めた後も幸せだと感じるには、思いをどこかで遂げないと。そのためには自分のために働く、これはもの凄く重要だと思う。50歳を過ぎたら自分を起点に置く、家族を起点に置く、どっちでもいいのだけれど、そうしないといつまで経っても企業や他人に動かされる人生で終わってしまう。もちろん人に動かされる人生でもいいんですよ、満足があれば。今回の主人公は幸せな人だと思うけど、僕らにはわかり得ない圧力があったり苦しみがあったりしたと思うんです。でも、あの人ははねのける人ではなく、すごくサラリとした人、あっけらかんとした人ですから、それに明るく耐えていた。会社の中でどう生きようが、自分のために働くことがどれだけ大事かということを主人公は僕らに教えてくれていると思います」

(聞き手 三好達也)

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