「日本での生活は地獄になるよ」アフガンで日本のために働いた大使館の現地職員、外務省が厄介払い?

アフガニスタンに帰国した後、再来日し、取材に応じる2家族の父親たち=4月10日、東京都内

 アフガニスタンで2021年8月、イスラム主義組織タリバンが復権した。日本政府は緊急措置として、首都カブールの日本大使館で働いていたアフガン人の現地職員とその家族を日本に避難させた。現地職員らが「外国政府の協力者」として、タリバンに拘束されたり、処罰されたりする危険があったためだ。
 来日して一安心と思っていた現地職員らは、日本の外務省職員から意外な言葉をかけられる。「いつアフガンへ帰るのか」「日本での生活は難しい」…。繰り返し帰国を促され、一部の職員と家族は翌年、アフガンへ戻った。だが、現地で身の危険を感じ、再び来日した人もいる。
 日本政府は、日本のために働いてくれた人を、迫害の恐れのある母国に追い返した形だ。一体、何が起きていたのか。現地職員らへの取材を基に、再現する。(共同通信編集委員=原真)

 

▽計169人が避難
 2021年10月から12月にかけて、外務省の手配で来日したのは、現地職員と家族計169人。ところが、日本で待っていたのは思いがけない仕打ちだった。
彼らは東京都内の宿泊施設に入った直後から、外務省職員にこんな言葉でアフガンへの帰国を強く勧められた。「日本語ができないと、家を借りられない」「仕事も見つからない。帰った方がいい」
 中には、「日本での生活は難しい。地獄のようになるよ。家族と相談して決めてください」と言われた人もいる。
 さらに、2022年8月末で雇用契約を打ち切るとも通告され、宿泊施設から退去するよう求められた。一方で、アフガンに帰国するなら渡航費用は外務省が負担し、大使館で雇用を継続、給料を引き上げると提案された。
 彼らの大半は日本語ができず、日本での職探しは簡単ではない。ハローワークを訪れた人もいたが、「就職の可能性は1%」と告げられた。来日が認められたのは大使館の現地職員とその配偶者、子どもだけで、親きょうだいとは離れ離れのままだ。さらに学齢期の子どもが日本の小中学校に2022年春まで通えなかったこともあり、将来の展望を描けなかった。
 結局、58人が2022年3月から7月にかけてアフガンへ帰った。ほかに7人は、それぞれゆかりのある英国と米国へ向かった。
日本を離れる際、ある現地職員は同僚にこう言い残した。「帰ったら、タリバンに殺されるかもしれない。でも、外務省は毎日、私を殺していた」

アフガニスタンの首都カブールで警備に当たるイスラム主義組織タリバンの兵士=2022年12月(共同)

▽「本人が決断」
 帰った母国は、やはり危険だった。現地職員はカブールの日本大使館での仕事に戻ったものの、周囲にいたタリバン兵士から「おまえはスパイか」と脅された。街中では爆弾テロが相次ぎ、子どもが通う学校は閉鎖されたままだった。
 このため、現地職員のうち2家族の11人が2022年10月、再び来日。東京都内のホテルなどで働きながら、難民認定を申請中だ。
 その1人、30代のアクバルさん(仮名)は、外務省の態度に不信感を隠さない。「外務省はなぜ私たちを日本に連れてきて、すぐ帰そうとしたのか、いまだに理解できない。帰国したのは間違いだった。家族を危険な所にいさせることはできなかった」
 アフガン難民を支援している日本人は、外務省の態度についてこう指摘する。「外務省は厄介払いしたかったのだろう。でも、この対応は、難民の迫害国への送還を禁じた難民条約に違反する」
 外務省中東2課はどう説明するのか。担当者はこう答えた。
 「帰国を促したという認識はなく、本人が帰国を決断した。1年間は様子を見て支援してきたが、日本にいて大使館業務に携わっていない人に、いつまでも給与を払い続けるわけにはいかない。一時閉鎖していた大使館は(2022年9月に)再開しており、日本人職員も現地職員も限定的だが業務に戻っている」

 

 ▽望み果たせず
 実は、アクバルさんは運が良かったのかもしれない。アクバルさんら2家族が再来日できたのは、一度日本を離れた際に、1年以内なら日本に戻れる「再入国許可」を維持していたためだ。これに対し、アフガンへ帰国した他の家族は、再入国許可を放棄する形で日本を出国したため、再来日したくてもできない状態になっている。
 加えて、当初は日本に避難しなかった現地職員と家族約80人の中にも、来日を希望している人がいるという。
 日本大使館は現在、再開しているものの、警備上の理由などから、日本入国に必要な査証(ビザ)の発給業務を原則として行っていない。来日するには、パキスタンやイランなど周辺国の日本大使館で、ビザを受給する必要がある。ただ、パスポートの取得すら容易ではなく、周辺国に出国するのは困難だ。
 アフガンには、来日を望みながら、果たせない人が残っている。アクバルさんと共に再来日した40代のサボールさん(仮名)は、こう訴える。「日本政府は、日本のために働いてきた人たちの願いを聞いてほしい」

タリバン兵が警備する市場を歩くアフガニスタンの女性。公共の場で女性は顔を布で覆うようタリバンが命令した=2022年5月、カブール(AP=共同)

 ▽日本でも困窮
 アフガンから避難して、日本にとどまった104人のうち、集団で難民認定申請した98人は2022年8月に認定された。残る6人も、既に難民認定されたか、申請中だ。98人は栃木県や千葉県、埼玉県のアパートなどに移った。日本政府から半年間、生活費や日本語教育の支援を受けたが、それも2023年3月末で終了した。
まだ日本語を十分に話せない人が多く、就職先も相変わらず少ない。このため多くが困窮し、民間団体から食料などの寄付を受けたこともある。
 埼玉県で暮らす50代のアリさんは、日本政府がウクライナ避難民に手厚い支援を続けていることを賞賛しながら、こうこぼした。「日本大使館で働いた結果、母国を離れることになった私たちにも、さらなる日本語教育と、家族でできるレストランなど小規模な起業を手助けしてもらえれば」

日本に避難したウクライナ人が交流するために開かれた集会で、支援策などの説明を聞く参加者=2022年4月、名古屋市

 ▽「歓迎を期待したが…」
 日本の難民認定者数は2022年、過去最多の202人に上った。このうち、アフガニスタンが147人と大半を占めた。また、法務省・出入国在留管理庁が難民と認定しなかったものの、人道的な配慮から在留を特別に許可したケースも1760人おり、これまでで最も多い(大部分はミャンマーで、アフガンは10人)。
 アフガンや、軍事クーデターのあったミャンマーについて日本政府は、日本にいる人の在留延長を認める緊急措置も取った。さらに、ロシアの侵攻が続くウクライナから、避難民2400人以上を受け入れている。
 国際社会から「難民鎖国」などと批判されてきた日本が、そうした汚名を返上するかのような動きにも見える。しかし、その陰で、在アフガン日本大使館の現地職員は、命の危険のある母国に帰らざるを得ない状況に追い込まれていた。
 アリさんは言う。「大使館がロケット弾で攻撃され、同僚が何者かに銃殺された。それこそ地獄のような状況でも、私たちは働いてきた。なぜか。日本が最大のアフガン援助国だからだ。他国のように軍を派遣して爆撃をしないからだ。そんな私たちを外務省は歓迎してくれると期待していたが、逆だった」

 

 ▽アフガニスタンとは
 1880年、英国の保護領とされたが、1919年に独立した。1979年、ソ連が軍事介入。内戦が続き、1996年にイスラム主義組織タリバンが首都カブールを制圧した。
 2001年の米中枢同時テロ後、国際テロ組織アルカイダの指導者の引き渡しを求めた米国がアフガンを空爆、同年中に親米政権が発足した。2021年8月、米軍の撤退直前にタリバンがカブールを再び制した。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、人口約4千万人のうち約270万人が国外で難民となっている。
 面積は日本の約1・7倍で、山が多く、主な産業は農耕や牧畜。日本の中村哲医師が用水路建設など支援を続けたが、2019年に現地で殺害された。

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