英国王戴冠式と頭痛のタネ「ヘンリー・メーガン夫妻」|八幡和郎 もうすぐ行われる英国のチャールズ新国王とカミラ王妃の戴冠式。英国王室で、いま何が問題になっているか、徹底解説!

先鋭化する対立

お祝いムードに水を差した暴露本『SPARE』

英国のチャールズ新国王とカミラ王妃の戴冠式が、5月6日にロンドンのウェストミンスター寺院で挙行され、秋篠宮皇嗣殿下ご夫妻が出席される。

どうして天皇皇后両陛下が出席されないのかとかいう人もいるが、平成年間で両陛下は三度も訪英されているのに、英国女王は昭和50年(1970年)に訪日されただけで、平成になってからはいちども訪日されておらず、平成の即位礼はフィリップ殿下、令和の即位礼はチャールズ皇太子の出席だったし、令和になってからも両陛下がエリザベス女王の葬儀に出席されているというアンバランスな状況なので、今度は、新国王に来日していただくのが先であるべきだと思う。

また、チャールズ国王とカミラ王妃を大歓迎して、それに見合った扱いを両陛下訪英の時には実現してこそ、好循環が生まれると思う。

昭和12年(1937年)のジョージ6世の戴冠式では、秩父宮殿下ご夫妻が出席されたが、この時はすべての王侯の中で最上位の席を与えられていたのであるが、そのあたりの事情も含めて、最近、宮内庁の元式部官で全モロッコ大使の篠塚隆氏と共著で刊行した『英国王室と日本人: 華麗なるロイヤルファミリーの物語』(小学館 八幡和郎・篠塚隆)にも詳しくかいてある。

中世からの伝統に則った華やかな戴冠式になりそうだが、それに影を落としているのが、新国王の次男であるヘンリー王子とメーガン妃の引き起こしている騒動である。とくに、王子の自伝『スペア』が1月に発売になってからは対立が先鋭化し、結局、メーガン妃は出席を拒否し、ヘンリー王子だけが目立たないかたちで参列することになった。

どこのロイヤルファミリーでも一般社会における家族関係の変化を反映して、頭痛のタネは多く、日本でも眞子様騒動があった。

今回は、英国王室の歴史や王位継承についての基礎知識と、いま何が問題になっているかについて、日本の皇室問題に就いての参考になることも考慮しつつ解説する。

エリザベス女王が来日されたときに、「我が祖先ウィリアム一世の時から……」と仰ったのを聞いて、1066年にイングランドを征服したフランスのノルマンディー公ギヨーム(英語ではウィリアム一世)が日本でいえば神武天皇に当たると知った。

日本では万世一系だが、外国では王朝交代が頻繁にあると思っている人が多い。だが、易姓革命で頻繁に家系が交代する中国が特殊であって、ヨーロッパでも国の枠組みが維持されている限りは、関係のない家系が王位に就くことは滅多にない。

男系でも遠い分家とか、女系継承を認めている国で女系の子孫が即位すると別の姓を名乗るので、王朝交代したように見えるだけである。

完璧だったエリザベス女王

たとえば、スペイン現国王は789年即位のペドロ一世の子孫だし、フランスでは王位は失っているが、987年に即位したユーグ・カペー王から現在に至るまで男系男子しかも嫡系で王家が続いている。

英国でも始祖であるノルマンディー家のウィリアム一世から、フランスのプランタジネット家、ウェールズのテューダー家、スコットランドのステュアート家、ドイツのハノーバー家、同じくサックス・コーバーグ・ゴータ家(ウィンザーと改名)と変遷してきたが血はつながっている。

サックス・コーバーグ・ゴータ家は、19世紀のヴィクトリア女王の夫であるアルバート公実家の姓だ。ただ、第一次世界大戦時に、敵国との絶縁を示すためにジョージ五世が居城の名を冠したものに変えた(正式の王宮はセントジェームズ宮殿、公的住まいはバッキンガム宮殿、私邸はウィンザー城)。

継承原則は、フランスやドイツ圏では男系男子嫡系が原則だ(フランク族の慣習法の名をとってサリカ法典方式という)。フランス王位を女系での関係を理由に英国王が狙って英仏百年戦争が起きたが、ジャンヌ・ダルクの活躍で跳ね返した。

1936年、英国皇室では、エドワード八世が、米国人の離婚経験者でドイツ高官と不適切な関係もあったシンプソン夫人との結婚に固執して退位させられ、「王冠を懸けた恋」といわれた。弟のジョージ六世が準備なく国王となったが戦争のストレスもあって早死にしている。

その長女のエリザベスは七歳にして王位継承予定者となり、丁寧な帝王教育を受け、即位後も大貴族出身のチャーチル首相から容赦なく鍛えられた。おかげで女王としてはほぼ完璧で、英国女王としてだけでなく、英連邦のまとめ役として独自の才覚で瓦解を防いだ。

しかも、13歳のときに出会い一目惚れした遠縁のフィリップ殿下と結婚し、三男一女を得た。ただ、子育てには、関心や時間をあまり割かず、これが王室の混乱の原因となった。

現在の継承順位

チャールズ国王が即位する場合に王家の名をどうするか。1957年に王朝名としてはウィンザー家のままにするが、殿下の称号を持たないエリザベス女王の男系子孫はフィリップ殿下の実家の名前を採り入れてマウントバッテン・ウィンザーを姓とすることにした。国王などが氏名を名乗るときは、どうなのか玉虫色だ。

フィリップ殿下は、生まれたときはギリシャ王家(デンマーク王家の分家)の一員だったので、「ギリシャとデンマーク王子であるフィリポス殿下」だったが、父系をたどっていくと北西ドイツのグリュックスブルク家である。

結婚に備えて、英国に帰化し、同時に、ギリシャ正教から英国教会に改宗。ギリシャとデンマークの王位継承権を放棄し、母方実家のマウントバッテン(ドイツ語ではバッテンベルク家だが叔父が英国に帰化して英語風にした)に改姓して外国名を避けた。

結婚したときは、王配殿下(プリンス・コンソート)として国事にかかわれると思っていたのだが、当時のチャーチル首相は、好ましくないと考え、肩書きを与えず、単なるエジンバラ公にとどめた。

チャーチル引退後に、英国公(プリンス・オブ・ユナイテッド・キングダム)という称号を与えられ、これを「王配」と訳す人もいるが、これは誤訳だと思う。いずれにせよ、他の欧州諸国でも女王の夫というのはとても面倒な存在になっている。

王位の継承資格は、ウィリアム一世の子孫であるほか、17世紀の宗教紛争のあと、「(ステュアート家の初代である)ジェームズ一世の孫娘であるハノーバー公妃ゾフィーの子孫で、プロテスタント」として、ステュアート本家やカトリック教徒が排除されたが、2011年時点で4973人が資格を持つ。

英国では伝統的に男子優先だが、男子がいない場合には姉妹の子孫が継ぐという原則だった。ただ、2015年に発効した王位継承法の改正で、男子優先が撤廃された。ただし、従来の順序は変えないともした。

その結果、現在の継承順位は、ウィリアム皇太子、ジョージ王子、シャーロット王女、ルイ王子、ヘンリー王子、アーチー、リリベット、アンドルー王子とその子孫、エドワード王子とその子孫、アン王女(エリザベス女王の第二子だが弟たちの次のまま)とその子孫、マーガレット王女(エリザベス女王の妹)の子孫である。

絶対条件は「処女」

女王は公務において重要な役割を与えられなかったフィリップ殿下に子育てを任せたのだが、彼も母国ギリシャからの追放、父親の放蕩、それに起因して病んだ母親が修道女となるといったことで親としてのノウハウに乏しかった。

そのため、気が弱い長男チャールズに合わないスパルタ教育を施し、結果はよくなかった。また、アン王女はモントリオール五輪に馬術で出場し、公務もよくこなし、五輪金メダリストと結婚し2児をもうけたが不倫して離婚し、その相手と再婚している。

アンドルー王子はフォークランド戦争で活躍したが、離婚後、放蕩に走り、米国の実業家エプスタイン氏の仲介での未成年者とのセックス・スキャンダルで訴えられ、公務から退かされた。幸いにも末っ子のエドワード王子一家は悪い評判もなく、王室を支える存在として重宝がられている。

チャールズは、母親代わりになる女性を求め、ポロや狩猟が好きで、古典的な教養人という共通項があるカミラ・ローズマリー・シャンドに惹かれた。年上で華やかな容姿とはいえず、国民がもつプリンセスのイメージでなかったので、求婚に踏み切れないうちにカミラは別の男性と結婚した。

妃選びでは大叔父のマウントバッテン卿が、大衆紙の餌食にならないようにと「処女であること」を絶対条件としたのに従い、婚約当時は20歳にもならなかったダイアナ・スペンサーと結婚した。

余り気乗りはしなかったが、「五十年は続く人生で最も責任ある物事の一つ」であって、「狂ったような恋に陥るというよりは強い友情」と割り切っていた。

ウィリアムとヘンリーという2人の男子が生まれたが、ヘンリー王子が誕生した際、当時皇太子だったチャールズ国王は、出産したばかりのダイアナ妃に「素晴らしい! 君は僕に王位後継者とスペアを産んでくれた。僕の仕事は終わった」と語ったらしい。

カミラの手腕

一方、父母が幼い頃に離婚したこともあって世知には疎いダイアナは、おとぎ話のような王子様との結婚を望んで、華やかで楽しいパーティー、リゾートでのブルジョワ的な遊び、派手なショッピングを好んだが、それはチャールズの趣味ではなかった。

また、映画スターのように扱われるのが嬉しくてサービス精神旺盛だったので、チャールズは目立ちすぎないようにいったが、ダイアナは聞き入れなかった。一方、狩猟だとか乗馬とか王室の人々の遊びは好きでなかった。

そして、チャールズにカミラという人妻の愛人がいることを知り、精神の平衡を失って、慰めてくれる多くの男性と関係を持ち、やがて離婚した。BBCの記者に騙されて告白などしたことも墓穴を掘った(ヘンリーの父は愛人のひとりのヒューイット少佐という噂があり、これをチャールズは冗談めかしてヘンリーに話したのでヘンリーは傷ついた)。

結局、1996年に離婚したが、条件は非常にダイアナに有利なもので、ダイアナはプリンセスの肩書きを維持しながら遊び歩んだり、慈善事業などでスポットライトを浴びながら人生を謳歌したが、1997年にパリでの交通事故で36歳で死去した。再婚を噂されていたアラブ人富豪のアルファイド氏と一緒だった。

もしダイアナが先に再婚していたら、チャールズとカミラの再婚もさほど問題なかっただろうが、悲劇的な死ののちダイアナは聖女のように扱われたので冷却期間が必要で、2005年になってやっと女王から再婚の同意が得られた。

しかし、短気で潔癖症であるチャールズの手綱を巧妙に締めて皇太子として無理なく務めを果たさせたカミラの手腕や辛抱強さは徐々に評価され、2022年の即位70周年のメッセージで女王は「チャールズの即位後、彼女がクイーン・コンソート(王妃)と呼ばれることを望む」と声明した。

ヘンリーも兄と一緒に父親がカミラと再婚することに反対したと言いつつ、「意地悪な継母ではなかった」ともいっている。だが、ウィリアムも子供たちにお祖母ちゃんと呼ばせていない。

ひどい暴露本の中身

ウィリアム王子は、セント・アンドリュース大学で知り合った庶民の娘であるキャサリン妃(ケイト・ミドルトン)といったん破局を噂されたものの、結婚にこぎ着けた。ウィリアム王子が未来の花嫁に求めた条件には、ほかの男性との交際経験があることがあったのは、父母の不幸な関係の反映だ。

長い時間をかけて妃殿下になる素質があるかを見極め、心構えができての結婚で、伝統的な価値観とは離れているが、生活も公務も安定している。ただ、これまでは、皇太孫とその妃という気楽な立場だったが、皇太子夫妻となると批判されることも多くなるので、これまでと同じように気楽に伸び伸びとしていられるかは未知数だ。

ヘンリーは、ヘンリーとメーガンが出演したアメリカのジャーナリスト、オプラ・ウィンフリーによるインタビュー番組についてウィリアムと話合ったとき、飛びかかってきて、シャツを鷲掴みにし、ねじ伏せ、ネックレスは引きちぎられ怪我させられているといっている。ウィリアムが怒ったのは当たり前だが、彼もかなり頑固で自意識が高いようだ。

サセックス公爵ヘンリー王子は、軽率な振る舞いが多く、ダイアナもあちこちで問題を起こすことを嘆いていたが、アフガニスタンでの軍務で活躍し、明るく人気があった。2018年にアフリカ系の血も引く米国女優で離婚歴のあるメーガン・マークルと結婚した。

2019年に長男のアーチー(奇抜ではないが王室の伝統から外れた名前)が誕生したが、メーガンの分不相応な要求やパワハラ、王室の伝統への反抗的態度は摩擦を引き起こし、2020年に「主要王族の立場から引退し英国と北米を行き来して生活する」と宣言した。

翌年には、女子が誕生し、リリベットと名付けられたが、女王の幼少時の家族内での愛称で不自然だった。そして、贅沢な生活を支えるため、さまざまな契約をして、暴露本や番組を公表し王室との関係は悪化するばかりである。

今回の本で暴露されている話としては、ここまでに触れたもののほかに次のようなものもあるがさすがにひどい。

女王が危篤になったとき、ヘンリーは父からの連絡で、スコットランドのバルモラル城に来るようにいわれたが、メーガンは同行させるなと言われて傷ついた。そういったあとで、チャールズはキャサリンも来させないといったのだが、それを先に言って欲しかったというのだが、母親の死に際して、ヘンリーにそこまで気を遣う必要もあるまい。

デリカシーのないメーガン

女王の死を知らされたのは機中でBBCの報道によってだと不満をいっているが、到着してからでも怒るような話ではない。

メーガン妃が出産直後だったキャサリン妃に、「ホルモンの影響で妊産婦の記憶力などが低下するベイビーブレーンだろう」と面と向かって指摘したところ、キャサリン妃が怒り、ウィリアムからも「英国での作法に反する」と叱られたというが、当たり前だ。

17歳のころから、コカインを何度か使用した、混雑したパブの裏の屋外で初体験した、あの世にいる母と交信する「能力」を持つという女性に頼ったなどというのも、本を売るためにインタビュアーの餌食になった感じである。

アフガニスタンで、イスラム主義勢力タリバンの戦闘員を25人殺害したとし、「相手が人間だと思ったら殺せない」「チェスの駒だと思うように訓練された」などというのは、イスラム教徒から自分たちだけでなく、英王室や軍隊、さらには英国民へのテロを惹起する可能性がある。

それに比べると、「ガールフレンドはいずれもパパラッチの餌食になって注目を浴びるのを嫌がり、次々に去って行った」とか「イートン校では同級生たちに歯が立たず悩んだ」といったあたりは、気の毒にと思う。

ヘンリーが自分が生まれたときに、チャールズがダイアナに「スペア」ができたといったのが、1月10日に発売になった暴露本のタイトルになったことはすでに紹介した。

英国の王室でもエリザベス女王とマーガレット王女はとても仲のいい姉妹だったが、マーガレットは離婚経験者のタウンゼント大佐との結婚を、もし何かの時に女王の夫となる危惧もあって許されなかったのをきっかけに、乱れた生活を送ることになった。

そのことがあるから、エリザベス女王はヘンリーとマーガレットを重ね合わせ、ばっさりと切り捨てることを躊躇したと言われている。

また、一般にロイヤル・ファミリーに対する報道では、君主には肯定的なことがほとんどになり、皇太子、それ以外という順番でよいしょする報道が減って、批判が多くなる。皇太子時代の陛下と雅子様に対するやや厳しい報道や、現在の秋篠宮家への袋たたきにもそういう面がある。

しかも、それに王室とか宮内庁のスタッフは、抗議してくれないので、世間はそれを信じるから、当事者にとっては不公平だと腹立たしいことである。

そういう意味では、宮内庁も最近の悠仁様に対するいかになんでも未成年者に対してふさわしくなく、また、他の皇室メンバーとの比較でも不均衡にひどい報道は、悠仁様の人格形成にも悪影響をおよぼしかねないと心配であり、少し対策を考えるべきだ。

ヘンリーも暴露の数々について、王室が自分たちをフェイク・ニュースから守ってくれないし、自分が遠回しに事実でないと反論しても耳を傾けてもらえないので、すべて赤裸々に暴露しないと自分たちは守られないというのには一理ある。

しかし、それにしては、チャールズ国王、カミラ夫人、兄夫婦などについての無意味な暴露話が多すぎて、これでは、彼らは手紙もメールのやりとりも電話もできないと思うのだが、どうなのだろうか。

八幡和郎

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