【読書亡羊】「日中友好人士がスパイ容疑で逮捕・拘束」話題の本に残る二つの謎 鈴木英司『中国拘束2279日』(毎日新聞出版) その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする週末書評!

公安調査庁に中国のスパイ?

〈公安調査庁に中国のスパイ? 現地で6年拘束、鈴木英司氏が著書出版〉
https://mainichi.jp/articles/20230418/k00/00m/030/048000c

毎日新聞がこう報じたのは4月18日。記事は、4月24日に発売された鈴木英司『中国拘束2279日 スパイにされた親中派日本人の記録』(毎日新聞出版)のPRを兼ねたものだった。

公安調査庁と言えばオウムや過激派など国内でテロ活動を行いかねない団体に対する情報収集や、海外勢力の国内活動に対する監視も行っている情報機関。近年ではサイバーセキュリティや米中対立に端を発する経済安全保障分野の活動にも力を入れている。そのような組織に「中国の大物スパイが潜んでいる」となれば大事件だ。

戦前の例で言えばイギリスの情報機関MI6の幹部でありながらソ連のスパイだったことが発覚したキム・フィルビー事件と同じ構図になる。鈴木氏が語るインタビューを読んで、がぜん前のめりに『中国拘束2279日』を読み始めた。

奇しくも、3月にアステラス製薬の日本人社員が中国で拘束されたと伝えられた矢先である。鈴木氏の「不可解な理由に基づく中国当局による逮捕・拘束」の経験にも注目が集まった。

特に近年、中国側にとってスパイ行為とみなされる行為に対する縛りはきつくなっている。本書にも〈2015年以降、中国当局に拘束された日本人〉の一覧があるが、スパイ容疑、国家安全危害罪などで懲役3年から15年もの刑に処されている人たちがいる。

きちんとした説明も、罪状もはっきりしないまま拘束されてしまう。「普通の」ビジネスマンが、生活や商行為を行う過程での行動がある日突然「スパイ行為」とみなされ、逮捕される……。そうした中国の「やり口」は、中国に駐在する日本人たちを恐怖に陥れるものだろう。

「拘束の日々」綴る貴重な体験記

鈴木氏が北京市の国家安全局に拘束されたのは2016年7月で、罪状は「スパイ容疑」だった。

①日本の公安調査庁の人間と会い、中国にかかわる情報収集や提供の任務を負ったこと。

②2013年に中国の外交官で日本駐在経験もある湯本淵と会った際に、北朝鮮に関する情報を聞き取り、公安調査庁に伝えたこと。

いずれも鈴木氏は否定している。

だが居住監視と言われる監視下のもとでの取り調べ生活が始まり、2017年2月以降は身柄を拘置所に移され、2020年11月に二審で懲役6年の実刑が確定、刑務所に収監。そして2022年10月に刑期を終え、日本に帰国した。

帰国当時も多くのメディアに露出があったが、本書の刊行に合わせて改めて冒頭で紹介したような記事が公開され、保守系の雑誌にもインタビューが掲載されている。

何も告げられず、突然連行される恐怖、監視下での生活を強いられ、太陽の光を浴びることもできない先の見えない日々など、鈴木氏が語る「拘束の日々」は貴重な証言だ。

中国で拘束された人々のほとんどは、帰国後も「その当時」のことを語らない。口止めをされているのか、身を案じてのことかはわからないが、その中であえて鈴木氏が詳細な体験記を公開したことには大きな意味があるだろう。

そのうえで、本書を読んでいるとどうしても疑問に思う点も浮上してくる。ここではあえて、その疑問を指摘してみたい。

「公安調査庁」をなんだと思っていたのか

①公安調査庁について

まずは起訴理由にもなっている「公安調査庁」に対する認識だ。鈴木氏は「公安調査庁の人間と会ったことはあるが、スパイ機関だとは知らなかった」として、中国側の言い分を否定している。

だが公安調査庁が情報機関、インテリジェンス組織であることは広く知られている(秘密でも何でもなく、ウィキペディアにさえ書かれている)。

日本で「スパイ」と言えば映画「007」シリーズやCIA、古くはゾルゲ事件のようなものを思い浮かべてしまう。「日本に007のようなスパイなどいない!」と言うのはその通りだし、「普通の」ビジネスマンならそのあたりのことに疎くても仕方ないのかもしれない。

だが鈴木氏は「世情に疎いビジネスマン」ではない。1980年代から社会党青年局訪中団の団員となって「日中交流」に携わり、中国の政党外交を取り仕切る対外連絡部の要人とも接点を持ち、その後は社会党議員の秘書として、さらには中国の大学の教員などにもなり、中国との接点を持ち続けてきたという経歴の持ち主だ。

これだけ政治にコミットしてきた人物が「公安調査庁はスパイ組織(情報機関)とは知らなかった」というのは少々違和感を覚えるところだ。

もちろん、「公安調査庁から任された何らかの情報活動任務を行ったわけでもなく、会って話しただけで逮捕されるのはおかしい」、というのはその通りだ。筆者(梶原)でさえ、公安調査庁の職員と会ったことはある。

だが公安調査庁が情報機関ではないとしたら、鈴木氏は一体どういう組織だと思って接点を持ったのか。

鈴木英司氏

護送車内で「国を売る」発言

②「公安に大物スパイ」情報入手の経緯

「居住監視」を経た鈴木氏は、起訴され、裁判所で日本大使館領事部長と面会することになる。その移動中、なんと鈴木氏は自分が起訴された理由の一つになっている中国の元外交官・湯本淵と同じ車に乗り合わせる。

それだけなら驚きつつも「中国の手続きはあまりに杜撰だな」で済むかもしれないが、鈴木氏いわく、この移動中に湯本淵氏から、例の話を聞いたというのである。

「日本の公安調査庁の中にはね、大物のスパイがいますよ。ただのスパイじゃない。相当な大物のスパイですよ。私が公安庁に話したことが、中国に筒抜けでしたから。大変なことです」

湯が護送車の中でこれほど重大な話をしたというのだが、監視員や運転手は聞いていなかったのだろうか。この時のことを鈴木氏は「まるで映画のワンシーンのようだ」と書いているが、「007」でこんなシーンがあったら「あまりにご都合主義ではないか」と批判されるだろう。

鈴木氏が「公安調査庁に中国の大物スパイがいる」と指摘しているのは、湯のこの証言と、自らが取り調べの過程で公安調査庁職員の顔写真(しかも証明写真)を見せられたことによる。

もちろんこれだけでは「公安調査庁に大物スパイ」を事実と裏付けることはできないし、鈴木氏も「湯がそう言った」、と紹介しているに過ぎない。だが、公安調査庁側としては何もしないわけにはいかなくなるだろう。対中情報網の整理が必要になるかもしれない。

しかも湯もスパイ容疑で拘束されていたようなのだが、鈴木氏は「死刑になったと拘置所では噂になっていた」とするばかりで、実際どうなったかは分からないままだ。

湯自身が「日本に帰ったら公開してください」と鈴木氏に託したという話になっているが、これは日本にとってはありがたい情報でも、中国にとっては「国を売る」に等しい行為だ。手間暇かけて日本の公安調査庁に送り込んだスパイの暴露。

しかも暴露したのは外交官という経歴の持ち主。発覚すればそれこそ死刑になっておかしくないだろう。偶然居合わせ、話ができたというのだが、考えるにつけ、どうも妙な話に思える。

「日中友好人士」の末路

中国の無法、手口を知りたいという観点からいえば、保守派の読者にとって実に興味深い本であることは間違いない。

一方で、保守派であればこそ、先の疑問点以外にも気になる点もある。

鈴木氏は本人が本書につづっている通り、筋金入りの親中派で、いわゆる「日中友好人士」として長く過ごしてきた。中国対外連絡部の幹部と近しかったことが影響してか、中国外交部が所轄する外交学院や、国家安全部が所管する国際関係学院に在籍。国際関係学院では学生や職員同士の交流が禁じられ、アウディによる送迎付きの日々を送ったという。

さらに自身の親中ぶりは自ら次のように語るほどだった。

「日中双方の情報について理解を高めるとともに、私が中国側の主張に近い発言を日本でしていることが、中国側の私への協力がより強くなる要因だったのではないかと思っている。歴史認識問題、靖国神社への参拝問題、尖閣諸島の問題など、私は日本側の主張よりも、中国側の主張を日本の中で発言していた」

こうした、中国にとって使い勝手のいい「日中友好人士」が時代を経て逮捕・拘束されたとなれば、中国側の「スパイ摘発強化」といった事情の変化のみならず、中国国内の権力闘争、かつての「日中友好人士」が現在の中国にとってどういう存在になったのかなども影響しているに違いない。

ところが本書はもとより、各メディアのインタビューなどを見る限り、あまりこうした点で突っ込んではいないようだ(わずかに『正論』2023年6月号が権力闘争の影響に触れている)。

「拘束体験記」としての価値や読みごたえはあるし、どんな来歴があろうと日本人が不当に拘束された以上、日本政府や関係所管はしかるべき措置を取るべきだというのは言うまでもない。だが、「普通のビジネスマン」の拘束と、同様に考えていいものかどうか。

特に「公安調査庁に中国大物スパイ」との触れ込みには注意が必要だろう。毎日新聞社と毎日新聞出版が連携し、ともに社をあげて刊行や宣伝を後押しするには、どうも謎の残る一冊と言うほかないのだ。

梶原麻衣子 | Hanadaプラス

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