THE RYDERS - 結成35周年アニバーサリー・ライブを新宿ロフトで開催! 自身と愚直に対峙し続けてきた紆余曲折を語る!

メジャー進出時は納得いかない流れに度々抵抗した

1987年、結成時

──1987年に結成して、その年には、キャプテンレコードからシングルとアルバムを出してますよね? どういういきさつだったんですか?

OHNO:その頃は、とりあえず曲作ってライブやるってことしか考えてなかったよね。そしたらいろんな人が動いて、ライブとか観に来てて「レコード出さない?」って感じだよね。俺はもっとリハとかライブとか経験積んでからのほうがいいと思ってたけど、KOJIやTSUDA(Guitar)がやりたいって言ってたんだよな?

KOJI:プロデューサーを誰か立ててとか言われて、それがたまたま俺の九州のバンドの先輩だったってこともあったりして。

OHNO:曲もそれほどないし、まだ早いって言ったんだけどね。

──それで、キャプテンから音源出して、周りの状況とか変わっていったんですか?

OHNO:特になかったね、観てくれる人が増えるわけでもないし。状況的にはそんなに変わらなかったんじゃないかな? ただ一番印象的で覚えてるのが、初めて名古屋にライブ行ったとき、CLUB THE STARの社長がスタークラブのメンバーを連れて来てくれたんだよ。それで、「アルバム聴いたけど、良かったよ」って言ってくれたんだよ。褒めてくれる人がいるんだって、当時は他のこと忘れるくらい強烈な印象で嬉しかったね。

──そのときスタークラブのメンバーとは話したんですか?

OHNO:ちょこっと会話したくらいだったかな。

インタビューに応えるJ.OHNOとKOJI

2022年、新宿ロフト

──最初のライブって覚えてます?

OHNO:La.mamaかLOFTだよね? あんまり憶えてないな(笑)。

KOJI:たぶんLa.mamaだよね、写真とかあるし。

──東北ロックサーキットにも出てましたよね?

OHNO:メジャー・デビューしてるバンドの企画に、なんで出れたのかね(笑)。まだ名前も知られてなかったし、そんなバンドが同行するから、対バンの人たちはみんな凄く警戒してるのがわかったね。そのとき、えっ? 俺たちって何者なんだ? って逆に思ったよ。それでもラフィン(・ノーズ)が挨拶しに来てくれて、すぐに仲良くなったね。

──その後、メジャー・レーベルから音源出すことになるんですが、どういういきさつでVAPレコードになったんですか?

OHNO:当時はLOFTとかでやってると、業界の人とかいろいろな人が観に来てたらしいんだよね。あの頃は仕掛人みたいな大人がいっぱいいたんだよ。それでマネージメントしたいとか言ってくるわけ。で、突然電話が来て新宿の喫茶店に呼ばれて、メジャーから音源出すよって。段取りはしてあるから任せておけって言われて。「はっ? ちょっと待ってよ!」って思ったけど。意外にこうやって物事って動いていくんだなってそのとき思ったね。それで、自分の理解や把握できる範疇でなく、周りに動かされるものかって思ったね。キャプテンレコードのときもそうだけど、物事の進み方に自分がついていけなくて。このバンドに対して、期待されて手をかけてもらうことは嬉しいし有難いことなんだけど、納得いかない流れには度々抵抗したよ。だから決着つかない面倒な話し合いが多かったな。制作側も年齢が同じくらいだったから、お互い熱くなっちゃってさ。そういえば、現TOY'S FACTORYの代表が、まだVAPの社員だった頃に俺たちをLOFTで観て、「このバンドいいね!」って感じで「俺が決めたんだよ!」って後々本人から言われて、そういう事実を知らずに恥ずかしいやら改めて感謝やら、LOFTで事が動いたんだなってつくづく思ったね。

ワールドトレードセンターの最上階で自問自答

──KOJIさんや他のメンバーはどう思ってたんですか?

KOJI:いろんな大人たちが動いてさ、なんか面白そうだなって! わりと軽いノリで。

OHNO:えっ? いいよな~、そんな余裕あって……。

KOJI:TSUDA君も当時ノリノリだったしさ(笑)。

OHNO:……。

──バンド間で温度差があったという?

OHNO:TSUDAも曲は作ってたけど、曲も揃えなくちゃならないし、ライブもガンガンやってからじゃないと、自分に自信が持てなかったから、考えちゃうんだな。バンド結成も含めて、その頃はTSUDAがグイグイやってたからね。俺が迷ってると、いつも上手いこと言われて「大丈夫だってば!」って感じで俺を乗らせる。で、俺がまんまと乗ってしまう(笑)。俺はとにかくライブで経験を積む、それをやり抜きたかった。実力をつけるには、それしかないと思ってたからね。

──そんな中でもライブは順調に、コンスタンスにやってた感じなんですか?

KOJI:そうだね。まあでも、いろいろやってることが楽しかったってのがあるね。メジャーとかで出すと大人とかの付き合いになるわけじゃない、俺らも当然大人なんだけど、ライブがどうたら、レコーディングがどうたら、J(OHNO)はボーカルならではの見方はしてたんだろうけど。俺ら演奏面はそこまで深刻に考えてなかったかもね。

OHNO:周りの人たちもそうだったけど、当時はLa.mamaやLOFTでライブできることを目指してたし、憧れではあったよね。実際ライブできるようになって、そこで知り合って仲間ができていって、そのことが嬉しくて夢中になれる時期ではあったよね。ただ、レコーディングに関しては、何か発揮できずで悔しい気持ちはあったね。

1995年、USA

──メジャー・リリースして間もなく活動休止になりますが、ギターの脱退が原因ですか?

KOJI:いろいろ忙しい人だったから。芸能活動っぽいこととかで、ライブが減ってきたりして。それで予定が立たなくなってきて、これじゃマズイなと。サポート・ギター入れたりしてやってみたけど、フィットしないで終わってしまったり。それでJはアメリカに行って旅してて、その後、俺もアメリカに行くわけ。で、ニューヨークで落ち合って、ライブ観たり、マンハッタンをうろちょろしたりしたね。考えたってバンドが動かなきゃ始まらないし、割り切るしかない。日本にいないぶん割り切れるし、アメリカを満喫するんだっていうね(笑)。まあでも記録的な大寒波でさ、マイナス20度って、ピザ食って乗り越えたよ(笑)。

OHNO:諸々うまくいかない原因は俺自身の問題だから、自分が変わらないとって思ってたね。このバンド始める前に別のバンドでKOJIと一緒だったわけ。で、思うところあってKOJIに「俺、ロン毛にするわ」って宣言して髪伸ばしたんだよ。俺が一番嫌いだったロン毛にして、何かを変えたかった。あっ、KOJIもかなりロン毛になってたな(笑)。でも答えは明確で、どんどん体調も気持ちも調子悪くなっていって、病院通いが多くなった。だからこそチャレンジした意味があったね、自分に合わないことはするなと。テロでなくなってしまった、マンハッタンのワールドトレードセンターの最上階で、これじゃダメだ、今後どうする? って自問自答していろいろ決めたんだよ。

今日のお前はいったい何者なんだ?

──LOUさんが加入して新たなTHE RYDERSになって、快進撃が始まるわけですけど。

OHNO:LOUが加入したタイミングでリセットして、本来の自分に戻すべくことをやり始めて、吹っ切れたんだよ、迷走してた自分から。LOUも何でスタークラブ辞めたのか知らなかったけど、お互い過去を払拭して進もうとしてたところはあるよね。

KOJI:LOUもこのバンドでガンガンやってやるって気持ちが強くて。ドラムのTSUGIOも一番若くてイケイケなのね、やると言ったらとことんやるみたいな。そうなるとバンドの勢いも違うよね、昔とは大違い。LOUは、先輩にあたるバンドにいたわけだから、経験が違うわけ。ライブは年間何本もやって、レコーディングはこうやってとか、とにかく新しい風を吹き込んでくれたね。

OHNO:LOUに限らず歴代メンバーとは、チームとしての音楽性をまとめるのは困難ばかりだけど、この時代はバチバチの言い合いが多かったね。良くも悪くも激しかったな。

1991年、名盤『LET'S GET TOGETHER』をリリース

──「LET'S GET TOGETHER」をTOY'S FACTORYから出して、バンド自体凄い勢いで、観客もエキサイトし過ぎて危険なくらい激しくなりましたね。たとえば曲や歌詞にも変化とかはありました?

OHNO:「LET'S GET TOGETHER」はLOUが加入する1年前にはライブでやってた曲なんだよ、実は。アメリカから帰国して、まあオープンマインドになったことで、排他的だった自分じゃなく、おー! みんなでやろうぜ!的にはなってたから。LOUが入る前には気持ちも体調も準備ができてた感じだね。曲はよりシンプルにストレートに集中させていった感じだったね。歌詞に関しては、「SO PASSION」を作ったときから精神的には変わらないと思うよ。なんか世の中インパクト勝負みたいな言葉を発するのは、自分には向いてないと思うし。過激なことを並べてみたりとか、そういうのは自分で背負いきれないというか、責任持てないことは言いたくない。日常感じることを書くだけかな。絶頂から修羅場まで日々いろいろ起きるからね。

1993年、アナーキー・ツアー

──その後もアナーキー・ツアーを開催したり、メンバー・チェンジを繰り返しながらも、アメリカや韓国ツアーなど国内、海外でかなり精力的な活動をしてましたよね。

OHNO:未だに行けてない場所があるけど、全国廻ってさまざまなバンドと対バンして、エールを送ってくれる人たちに出会えて、混乱しながらも最高な時間は経験してきたと思うね。海外ライブも想定したより少ないんだけど、世界観変わるよね、全く! LAレコーディングして思ったことは、昼にスタジオに行って夜まで作業、モーテルに帰りながらビールをしこたま買って飲んで騒いで寝る、翌日また同じ繰り返し。寝食を共にする時間なんて、バンド生活ではなかなか作れないしね。こんな毎日を過ごせたらなぁ~とか、理想だけど。日常では、みんな何か仕事して、夜週3とかでリハやって、週末ライブって当たり前に大変だよね。金銭的にも体力的にも余力なんてないし、バンドが忙しくなって仕事の休みとか多くなってクビになったり、彼女にも愛想つかれて逃げられたり、ってさ(笑)。

KOJI:メンバー・チェンジは、どこのバンドだって長年やってりゃ出てくる話でしょ? そのたびに好きな音の傾向性や、どの楽器ならお互いフィットするのか? って毎度探り合いながらやらなきゃいけない。ライブ、スタジオって環境が別ものだから、余計にまとめるのが困難だよね。俺も呑兵衛だけど、酒飲んでいろんな話とかして、お互いの距離縮めてみたりとかも大事かな。ツアーとか行くとお互いの人間性もわかってくるし。メンバー間が上手くいきだしたら、そりゃ活動も勢い出てくるんだな。

結成35周年を迎えた2023年

──今日はバンドが走り出した頃を中心に聞いてきましたが、ここからもっと聞きたいことがたくさんあるので、またの機会で続きを聞きたいと思います。最後に、35周年を迎えた今、何を思いますか?

KOJI:あくまで経験値ってことだけかな。楽しいことはやれたとも思うし、まだやりたいことはあるんだよ、やれてないことというかな、後悔もあるぶん。まあ音楽やってる以上、形に出してお見せするしかないかな。

OHNO:俺がいつも自分に思ってることは、「今日のお前はいったい何者なんだ?」ってこと。同じバンドで35年やって、良くも悪くもしっかり自分自身を出せるようでありたいって思うよ。

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