レアル・マドリーとともにラ・リーガの頂点を極めているバルセロナ。経営難にもかかわらずそのブランド力と実力はかわらず、今季も優勝に向けてひた走っている。
ただ、バルセロナも20年前に当たる2002-03シーズンはルイス・ファン・ハール監督の下で低迷し、指揮官解任に至った。結局リーガでは6位という15年ぶりの結果になった。
今回はそんな2002-03シーズンのバルセロナからベストイレブンを選出してみたぞ。
GK:ロベルト・ボナーノ
2002-03シーズンの公式戦成績:32試合0ゴール
現在:指導者
ジャンルイージ・ブッフォンを獲得しそこねたバルセロナが2001年に獲得したアルゼンチン代表GK。リーベル・プレートで活躍した30歳の実績ある選手だったが、スペインでは全くフィットせずミスを連発した。バックアップのビクトル・バルデスが使われる機会も多かった。
引退後はエストゥディアンテスやオイギンス、マジョルカ、セルタ、セビージャなどでコーチングスタッフとして活動した。
右SB:ガブリ
2002-03シーズンの公式戦成績:37試合0ゴール
現在:指導者
バルセロナの下部組織で育った選手。1999-2000シーズンにトップ昇格し、最終ラインと中盤をこなせるユーティリティプレーヤーとして起用された。バルセロナでは2006年まで所属して多くのタイトルも掲げたが、前十字靭帯を損傷する大ケガも経験。2006年夏の最後の試合で審判と口論して退場するという「らしい」場面も話題に。
退団したあとはアヤックスやカタールリーグでプレーしたものの、怪我も多くなかなか活躍できなかった。引退後はバルセロナの下部組織で指導者になり、2018年にはジェラール・ピケが買収したFCアンドラで監督を務めた。
CB:カルレス・プジョル
2002-03シーズンの公式戦成績:46試合0ゴール
現在:引退
この頃はまだ23歳という年齢で、右サイドバックとしても起用されていた。このあと2003-04シーズンにルイス・エンリケからキャプテンを譲り受けることになる。
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それからは長くバルセロナの中心選手として活躍し、スペイン代表でも重要な存在に。170cm代の身長ながらも類稀な闘争心と情熱を見せ、伝説的なキャプテンとなった。
CB:フランク・デ・ブール
2002-03シーズンの公式戦成績:50試合3ゴール
現在:監督
もちろんこの頃のバルセロナでセンターバックといえばフランク・デ・ブール。オランダ代表の万能戦士であり、後方からのビルドアップにも長けたリベロとして知られた。また兄弟のロナルト・デ・ブールともバルセロナでチームメイトだった。
バルセロナ加入後は禁止薬物の摂取が発覚して出場停止処分を受け、さらにパフォーマンスも決して高いものではなかった。結局このシーズンを終えてガラタサライへ移籍している。引退後は監督に転身し、インテルやクリスタル・パレス、アトランタ・ユナイテッドなどを指揮した。
左SB:フェルナンド・ナバーロ
2002-03シーズンの公式戦成績:23試合1ゴール
現在:セビージャ スタッフ
ライツィハーを入れても良かったが、このシーズンのイメージとしてはフェルナンド・ナバーロのほうが強い。バルセロナの下部組織で育った左サイドバックで、2001-02シーズンの序盤に初めて継続的な出番を獲得した。しかし結局ファン・ハールが解任後は全く起用されなくなり、2005年にマジョルカへと貸し出されてそのまま退団した。
2018年にデポルティーボ・ラ・コルーニャで現役を引退したあとは選手としても所属したセビージャへと戻り、スポーツ面を管理するスタッフとなっているそうだ。
MF:フィリップ・コクー
2002-03シーズンの公式戦成績:42試合5ゴール
現在:フィテッセ監督
ゴールキーパー以外ならばどこのポジションでもこなせるという稀有なオランダのユーティリティプレーヤー。調子が悪かったこの時代にもいいプレーを見せていた数少ない選手だった。副キャプテンを務めて奮闘したものの、終盤に膝の靭帯を断裂して離脱してしまった。
2008年に現役を引退してからは指導者として活動。古巣PSVアイントホーフェンの監督を長く務め、フェネルバフチェ、ダービー・カウンティを経て現在はフィテッセを指揮している。
MF:チャビ・エルナンデス
2002-03シーズンの公式戦成績:44試合3ゴール
現在:バルセロナ監督
ジョゼップ・グアルディオラがチームを去ってから中盤のレギュラーに定着したチャビ・エルナンデス。このシーズンはころころシステムが変わったが、主にコクーやロッチェンバック、ジェラール、チアゴ・モッタらとコンビを組んだ。
もちろんバルセロナを退団してからはアル・サッドでプレーし、カタールで引退。そのまま指導者となって後にバルセロナへと復帰している。
MF:ガイスカ・メンディエタ
2002-03シーズンの公式戦成績:49試合6ゴール
現在:パフォスFCディレクター
バレンシアで見事な活躍を見せたスペイン人のウインガー。2001年に巨額の移籍金でラツィオへ引き抜かれたものの全くイタリアに馴染めず、このシーズンはバルセロナに貸し出されていた。そんなに悪くはなかったもののチームの勝利には貢献できず、1年で返却されている。
2008年にミドルズブラで現役引退したあとは指導者や解説者、クラブDJとして活動。また髪の毛が現役時代から薄かったが、いつのまにか増えていたことで知られている。現在はキプロスリーグを戦うパフォスFCのディレクター。
MF:フアン・ロマン・リケルメ
2002-03シーズンの公式戦成績:42試合6ゴール
現在:ボカ・ジュニオルス副会長
実際はこの4人の中盤の組み合わせで出ることはほとんどなかったが、実はこの冷遇されたと言われるシーズンも42試合に出場している。4-2-3-1のトップ下で起用されたが、そもそもそのフォーメーションがあまり使われなかった。間違いなく「世界最高の司令塔」であったが、ファン・ハール監督とは全く合わなかった。
知っての通りバルセロナを離れてからビジャレアルで復活を遂げ、その後ボカ・ジュニオルスで長く活躍。引退後はボカ・ジュニオルスの副会長に就任している。
FW:ハビエル・サビオラ
2002-03シーズンの公式戦成績:51試合20ゴール
現在:バルセロナ アカデミーコーチ
「コネホ」(ウサギ)の異名を取ったアルゼンチン出身の小柄なストライカー。2001年に19歳でバルセロナへと加入し、初年度は17ゴールを奪う活躍を見せた。2年目のこのシーズンはファン・ハール監督の下で絶不調に陥ったが、アンティッチ監督に変わったあとに復活している。
引退したあとはアンドラに移住してフットサルをプレーしながら指導者を務めていたが、昨年からバルセロナのU-19でアシスタントコーチに就任している。
FW:パトリック・クライファート
2002-03シーズンの公式戦成績:51試合21ゴール
やはりファン・ハール体制のエースと言えばパトリック・クライファートだ。10代でアヤックスをチャンピオンズリーグ制覇に導いた天才ストライカーは、1998年にミランからバルセロナに加入。3年連続で2桁ゴールを奪う活躍を見せていた。
このシーズンも実はイメージより結果を残しているが、一貫性が乏しかったために批判を受けることも多かった。2004年に退団したあとはニューカッスル、バレンシア、PSV、リールと渡り歩いて引退。その後は指導者となり、カメルーン代表のアシスタントコーチやバルセロナのアカデミーディレクター、そしてキュラソー代表暫定監督などを務めた。