<金口木舌>主権回復していない

 「よりによってこの日に」という声も聞こえた。米空軍嘉手納基地が計画する防錆(ぼうせい)整備格納庫の建設問題で、日本政府は計画見直しを求めていた嘉手納町に対し、米軍が計画通りの場所に建設すると伝えた

▼その日は「4.28」。1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効し、日本が国際社会に復帰した一方、沖縄は米国の施政権下に置かれた「屈辱の日」だった

▼政府は10年前の4月28日に「主権回復の日」式典を開いた。会場では「万歳三唱」も。米統治下で基本的人権もない屈辱を味わった沖縄からは反発が上がった

▼防錆整備格納庫を巡っては嘉手納町も「苦渋の決断」で建設自体には反対せず、居住地域と離れた場所への変更を求めた。日本政府も防衛相はじめ政府職員が地元の意向を踏まえて米側と交渉したが、建設場所の変更さえかなわなかった。「主権回復」はどこへ

▼割りを食うのは結局、基地が集中する沖縄。このやるせなさが日本本土にいつまでも伝わらないなら、基地を引き取ってみてはと言いたくもなる。

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