「40年だよ。早いなあ」三上博史さんら寺山ゆかりの人々、「修司忌」に集う 青森・三沢市

ライブの合間に、寺山修司との思い出を語る俳優三上博史さん=4日夕方、三沢市の寺山修司記念館
寺山修司の短歌が刻まれた文学碑の前で作品を朗読する堀口中生徒=4日午後、三沢市三沢淋代平

 青森県三沢市の寺山修司記念館で4日行われた、没後40年の「修司忌」には、寺山の生前を知る縁深い人たちが顔をそろえた。「常に新しく、新鮮」「誰もがあの世界に入り込める」。時を超えて愛される奇才の魅力を明かした。

 「没後40年だよ。早いなあ」。そう実感を込めて語ったのは寺山の映画監督作品「草迷宮」でデビューした俳優三上博史さん。2008年から追悼ライブを行っており、この日は寺山が作詞した15曲を熱唱した。

 寺山と出会ったのは15歳の時。亡くなるまで一緒に過ごした5年間はかけがえのない時間だった。「寺山さんは一緒にいる人から魅力や才能を引き出すのがうまい。良いものを嗅ぎ分ける嗅覚も抜群。出来上がった作品は優れているだけでなく、常に新しさを感じさせた。それが若い世代に受け入れられ、つながっていく下地になったのではないか」と説明した。

 22歳の時、映画「書を捨てよ町へ出よう」で主演を務めた同館館長の佐々木英明さん(74)は「描こうとしているのは人間の普遍性。時代とくっつこうとしない。だからいろんな世代の人に、あの世界が理解されやすい」。

 寺山主宰の演劇実験室「天井桟敷」のメンバーで義弟の寺山偏陸(へんりっく)さん(73)は「作り手は引き立て役で、観客や読者が主役というスタンスが一貫していた。誰もが入りやすい世界を生み出していた」と語った。

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 <寺山修司(てらやま・しゅうじ) 1935年12月生まれ。出生地は弘前市で、少年期を三沢市で過ごす。青森高校時代に詩や俳句に熱中し早稲田大に入学後、「短歌研究」新人賞を受賞。詩、ラジオドラマ、映画、戯曲などで異彩を放つ。67年結成の演劇実験室「天井桟敷」を主宰し前衛的な舞台を展開して海外で高い評価を受ける。83年5月4日、47歳で死去>

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