<南風>期待よ、さらば

 誰かに期待するのはもうやめよう。それはすごく冷たい発言だと誰かは言う。

 正義感と責任感からか、周囲に対して「なんでこの人は分かってくれないのだろう」「なんでこの人はこんなことをするのだろう」と怒りやショックを感じ、対人で傷つくことが多かった10代の私は、自身で勝手に相手への理想や期待という刀を振りかざした結果の自業自得だとは気付いていなかった。

 私たちは皆、違う親から生まれ、違うものを食べ、違うものを見聞きし、違う脳と体で考え移動する。親子だろうが夫婦だろうが、たとえそれがクローンだろうが私たちは皆「違う生き物」としてこの世に生まれる。こんなにも当たり前のことなのに、共感や同調という感覚がそこら中に落っこちている、この社会にいると、いつしか私たちは同じ脳を持ち、同じ言葉を使い、同じ思いを感じ、当たり前に分かり合えるのだと誤信する。

 いつの日からか、私はこの違う生き物に対する理想や期待を意図してしないようになった。自分にとっての丸は相手にとっての三角かもしれない。会話はあくまで自分と目の前にいる人のギャップを埋める作業であり、百パーセント伝わることなんてない。そう思うと、不思議なことに今まで不満に感じていた相手の言動に対して何も感じなくなったり、むしろ理解が深まったその瞬間がミラクルに感じ相手の存在に感謝の情まで抱くようになったりした。人に期待することをやめてから、私はもっと人が好きになった気がする。

 分かり合えない、伝わらないのも当たり前。期待や理想を押し付けず、違いの上にいるからこその会話を重ね、分かり合いの奇跡を楽しみ「違う生き物同士」共に気楽に交差していこう。誰かに期待するのはもうやめよう。これはすごく温かい勇気だと私は思う。

(岩倉千花、empty共同代表)

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