[食の履歴書]樋口直哉さん(作家・料理研究家) 科学的な料理の探求 母のコロッケが原点

樋口直哉さん

樋口直哉さん 料理人を志そうと思ったのは、中学生の時です。テレビで、日本の料理人がフランスで料理する番組を見たんです。ホタテ貝をソテーして、生クリームにオイスターソースなどを加えたオリジナルのソースをかけたものでした。その姿がかっこよく、自分でもやってみたいと思い、料理にはまっていきました。

料理研究家としての僕は、料理の原理原則を科学的に説明するスタイルを取っています。この原点というべきものは、僕が小学生の頃のコロッケにあります。

僕は、料理好きの母が作るコロッケが大好きでした。揚げる前のものも食べていたんですよ。つぶされた状態の芋を食べて、ひき肉が混ざっている状態で食べて。それで、食事の時に揚げたコロッケを食べるんですね。どういうふうに手を加えていくと味が変わっていくのか、その状態変化を観察していたというのでしょうか。揚げる前を食べたことで、揚げたコロッケがいかにおいしいかということが分かったんです。

母には怒られましたけど、やがて揚げる前に僕がつまみ食いをする前提で、コロッケを作ってくれるようになりました。

今、僕が発表しているレシピは、化学反応を意識した説明を加えています。肉野菜炒めを作る時に、肉は加熱するとこういう化学反応が起きる、野菜は野菜でこういう化学反応が起きる。だからこういう調理過程になるんですよ、と。これは母のコロッケを食べていたからなのかなあと思います。

コロッケを揚げている時に、爆発させてしまうと悩む方が多いようですよね。その解決法も科学的に説明するんです。コロッケ内の水分が加熱することによって膨らんで爆発するんです。そこで、事前に作って冷やしておけば破裂は防げますよ、と。このように調理過程を丁寧に説明しています。

今から20年近く前。僕は小さなお店をやっていたんですが、あまりお客さんがやってこなくて、時間ができたんです。そんな時、モチーフが浮かんできて、小説を書いてみたんですよね。幸い、その小説が賞を取ったおかげで、作家としてデビューできました。

自分の料理人としての経験を素直に反映させたといえば、「スープの国のお姫様」という小説です。6種類のスープを選び、スープというものが作られる裏側にはどういう物語があるかを書きました。

この小説は文芸誌での連載が2011年に終わりました。でも、単行本が出たのは14年。3年の歳月をかけてほぼ全面的に書き直したんです。

というのも、11年に東日本大震災がありました。連載当時は「日常の連続は尊い」という視点で書いたのですが、震災が起きて、繰り返される日常が当たり前というわけではないと痛感させられたからです。

それともう一つ。僕は依頼を受けて、食材を作る現場のルポルタージュを書くことになったんです。それまで小説は書いてきましたが、ノンフィクションを書くのは初めての経験。最初に伺ったのは、茨城県石岡市にある農園でした。

畑に伺い、その畑で取れた作物で料理をするというテーマです。そこで、ニンジンを引っこ抜いて、輪切りにして、葉っぱを下にして蒸し焼きにしました。それを食べた時の衝撃たるや、ものすごくて。自分で作った料理なのに、自分で作った味じゃないんですね。農家の人が作ってくれた生命力が、味にそのまま反映されていたんです。

この経験が、料理や小説への考え方を変えてくれました。素材をどうおいしくするかではなく、その素材のおいしさをどう損なわないようにするか。それこそが大切なんだと思うようになりました。 聞き手・菊地武顕

ひぐち・なおや 1981年、東京都生まれ。服部栄養専門学校卒業後、フランス料理の出張料理人として活躍する。2005年、「さよならアメリカ」で群像新人賞を受賞し、作家デビュー。同作は芥川賞候補にもなる。「月とアルマジロ」「大人ドロップ」「スープの国のお姫様」などの小説の他、ルポ「おいしいものには理由がある」、料理本「ぼくのおいしいは3でつくる 新しい献立の手引き」など著書多数。

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