51人の霊慰める 江戸期の「一揆」で処刑 4年ぶりに「義民まつり」/岡山・真庭市

岡山県真庭市禾津の義民の丘で3日、「山中一揆義民まつり」(山中一揆義民顕彰会主催)が開かれ、地域住民らが江戸時代中期に美作地方で起こった一揆の犠牲者の霊を慰め、当時の農民に思いをはせた。

義民の名を記した護摩木を炎に投げ入れ、51人の農民の霊を慰める

同一揆は1726(享保11)年から翌年にかけて、山中地方(真庭市北部)を中心に起こった県内最大規模の百姓一揆。当時の津山藩の圧政に耐えかねた農民約3000〜4000人が蜂起し、適正な年貢の徴収などを藩に認めさせたが、後に武力制圧により指導者ら51人が処刑された。

コロナ禍を経て約4年ぶりに法要が行われ、浜子尊行会長(72)をはじめとする会員やゆかりのある人ら約50人が参列。本明寺・松尾祐圓副住職らの読経が響く中、慰霊碑や義堂の前で焼香を行い、静かに合掌した。浜子会長は「苦しむ民のため、命を懸けて権力に立ち向かった人たちがこの地にいたという事実を風化させてはいけない。次の世代にも語り継いでもらいたい」と話していた。

義民の丘は一揆の中心となった人物・牧ノ徳右衞門らが捕縛されたと伝わる「柿ノ木坂」付近を整備した場所。旧湯原町や真庭郡の住民らの寄付により1982(昭和57)年に犠牲者の名を記した碑や義民堂などが建立された。まつりは徳右衞門らが刑に処された日の翌日に合わせて実施している。

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