70年代アスレチックス黄金期のエース バイダ・ブルーが73歳で死去

1971年に史上最年少でMVPを受賞し、1972~74年にアスレチックスのワールドシリーズ3連覇に貢献したバイダ・ブルーが73歳で死去したことが明らかになった。球団の黄金期を支えた名選手の死去を受け、アスレチックスは「バイダ・ブルーほど輝かしい経歴を持つ選手はほとんどいません」との声明を発表。「彼は世界一3度、MVP1度、球宴選出6度、サイ・ヤング賞1度の実績を持ち、球団殿堂入りも果たしています。常に球団のレジェンドであり、友人でもあります」とメジャー通算209勝を挙げた名選手の死を悼んだ。

ブルーは1967年のドラフトで当時カンザスシティを本拠地としていたアスレチックスから2巡目指名を受けてプロ入り。1969年7月に19歳でメジャーデビューを果たした。1970年は9月に昇格して6試合に先発したが、その2試合目で1安打完封、さらに4試合目にはノーヒッターを達成した。21歳55日でのノーヒッターは、ライブボール時代以降(1920年以降)では史上最年少記録となっている。

1971年は飛躍のシーズンとなり、いずれもキャリアハイの24勝、防御率1.82、301奪三振をマークしてMVPとサイ・ヤング賞をダブル受賞。そこから1977年までアスレチックスのエース格として活躍し、1972~74年のワールドシリーズ3連覇にも貢献した。1978年3月にジャイアンツへトレードされ、4年間で54勝を記録。1982年にはロイヤルズで13勝を挙げたが、翌年は大不振でシーズン途中に解雇され、1985年にジャイアンツでメジャー復帰を果たして2年間で18勝を積み上げ、通算200勝のマイルストーンに到達した。

ブルーはアスレチックス時代に2度、ジャイアンツ時代に1度、オールスター・ゲームの先発投手を務めており、両リーグでオールスター・ゲームに先発した史上初の投手となった。コカイン購入未遂で球界から追放され、1984年シーズンの全休を強いられたこともあったが、メジャー17年間で通算502試合(うち473先発)に登板して3343回1/3を投げ、209勝161敗2セーブ、防御率3.27、2175奪三振を記録。アメリカ野球殿堂入りの記者投票では、最高で得票率8.7%にとどまり、当選することはできなかったが、2019年にはアスレチックスの球団殿堂入りを果たしている。

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