フィギュアスケート鍵山優真が描く、完全復活への道 疲労骨折、父との衝突、ミラノ五輪への思い… イタリアと日本で語った20歳の本音

イタリア合宿の練習中に、振付師のローリー・ニコルさん(右)と笑顔で話すフィギュアスケート男子の鍵山優真=2023年4月、バレーゼ

 羽生結弦のプロ転向に始まり、イリア・マリニン(米国)のクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)世界初成功、宇野昌磨のグランプリ(GP)ファイナル初制覇、世界選手権2連覇…。フィギュアスケートの男子は、今シーズンも話題が盛りだくさんだった。しかし、昨季最も飛躍したスケーターが国際舞台に立つことはなかった。2022年北京冬季五輪銀メダルの鍵山優真(オリエンタルバイオ・中京大)。左足首故障に苦しんだ20歳は、どんな思いで復帰を目指しているのか。3~4月に合宿を行ったイタリアと、帰国後の東京で本音を語ってくれた。(共同通信=吉田学史)

インタビューに応じるフィギュアスケート男子の鍵山優真=2023年4月、バレーゼ

 ▽「芸術の国」から再出発
 4月4日。鍵山はイタリア北部のバレーゼにいた。「(内容が)濃い合宿。とても楽しい。一日一日、成長しているとすごく感じている」。そう語る表情は、希望に満ちていた。
 3年後に冬季五輪開催を控えるミラノから車で約1時間。再出発の場所として選んだのは、スイスとの国境に近く、アルプスの山並みを望める静かな町だった。ミシェル・クワン(米国)や浅田真央ら、数々のトップ選手を担当してきた名振付師のローリー・ニコルさんの提案だったという。芸術に囲まれた環境で、感受性を豊かにしてほしいとの思いからだ。
 「今回の合宿は、ジャンプは4回転まで取り戻すのではなく(ペースは)ゆっくり。曲をかけて跳ぶ時は『4回転ならこれぐらいのスピードで、このタイミングで』とイメージしながらやっている。代わりに表現面やスケートの細かな部分を学んだ。実際に芸術に触れるという部分で、オペラを見に行ったりした」

イタリア合宿での練習を公開したフィギュアスケート男子の鍵山優真=2023年4月、バレーゼ

 来シーズンも引き続き滑る、荘厳な調べのフリー「Rain、In Your Black Eyes」を磨き上げる氷上練習では、ニコルさんや2014年ソチ冬季五輪女子銅メダルのカロリナ・コストナーさん(イタリア)と振り付けを細部まで確認した。
 「考え過ぎ。感じて!感じて!」
 「より大きく!」
 リンクサイドのニコルさんから、厳しい注文が飛ぶ。その一つ一つを受け止めて消化しようとする鍵山の愚直さが、目を見張るほどの表現面の進化につながっていた。

フィギュアスケート男子の鍵山優真=2023年4月、バレーゼ

 「『シアター』という演劇の練習をするクラスがあった。雨をどう表現するかとか、パントマイムもやって、陸上でいろんな表現をする練習をした。そこで表現を学んだ。練習が終わった後もローリーが表現について教えてくれて、いろいろ学ぶことが多い。それは全部、フリーを完成させるためのもの。滑っていて、フリーは表現が良くなっているなと確実に感じている。それはローリーやカロリナが細かく教えてくれるから。今までと違うのは、振り付けを教えてもらって僕が一人でやるのではなく、3人で一緒に作り上げている感じがしてすごく楽しい」

 ▽父との言い合い、何度となく
 昨年7月、以前から抱えていた左足首の違和感が激痛に変わった。左すね外側の腓骨は疲労骨折と診断され、左足首の距骨には炎症が出た。
 「僕自身、あんまり大きなけがをしたことがなかったので、最初は具体的にどれぐらい待てば完治するのかが全然分からなくて…。けがが発覚してから1カ月ぐらい休んだ後にMRI検査をしたら、全然治っていなくて、軽いけがではないんだと知った。そこからは時間がかかった」

北京五輪で得点を確認し、父の正和コーチ(左)と笑顔で喜ぶ鍵山優真=2022年2月、北京

 シーズン初戦に予定していた10月のジャパン・オープンに加え、GPシリーズも欠場。焦る鍵山を周囲は必死になだめた。回復を優先して全休すべきとの考えだった父の正和コーチは「シーズンに入ってから何回言い合いをしたか…。意見のすれ違いは本当にいっぱいあった」と明かす。激論の末に至った昨年12月の全日本選手権(大阪)への強行出場は、珍しく鍵山が我を通した結果だった。
 「全日本の時もめちゃくちゃ父と話した。父は僕の今後のことを思って『棄権した方がいいんじゃない?』と言ってくれたが、僕はどうしても全日本だけは出たい思いがあった。絶対に出たいという譲れない思いがあったから、その覚悟を認めてくれて出場する形になった」

全日本選手権で男子SPの演技を終えた鍵山優真=2022年12月、東和薬品ラクタブドーム

 一歩も引けなかった理由は、全日本選手権で日本代表が決まる世界選手権の会場にあった。今季と同じ、さいたまスーパーアリーナが舞台となった2019年の世界選手権。この大会で2連覇を果たしたネーサン・チェン(米国)と2位だった羽生の頂上決戦が、脳裏に深く刻まれていた。
 「いま考えると無理な話だったが(それでも)世界選手権に出たかった。さいたまでの世界選手権は僕にとってすごく強い思いがあった。(19年の)世界選手権を僕は現地で見ていた。すごいなと感動した覚えがある。いつか絶対に自分もこの場所で、と。日本なのですごく特別だし、滑りたい思いがあった」

全日本選手権で男子フリーの演技をする鍵山優真=2022年12月、東和薬品ラクタブドーム

 ただ、現実は甘くなかった。全日本はショートプログラム(SP)で6位と出遅れ、フリーも巻き返せずに最終結果は8位。正和氏によると、大会前の練習量は例年の3分の1と、万全には程遠かった。
 「僕自身も覚悟を決めて出ていた。後悔はしないように最低限、練習はしてきたつもり。その中で、足が治ってからどこを改善すればいいか(課題が見つかるなど)収穫もたくさんあった。だけど(次は)しっかりと完治させてベストな状態で出たい。元気になって、4回転をしっかりと(種類も)たくさん装備した上で、もう一回みんなと一緒に滑りたいと思った」

 ▽けがの功名
 けがの功名もあった。長期離脱は、自らに足りなかった部分を見つめ直すきっかけになった。
 「栄養、睡眠が足りていなかった。その二つだけでも大きな違いが出てくる。そこを改善してから、一気に自分の体の感覚が良くなった。今までは体の調子がいい日と悪い日があったが、そこが安定してくるようになって、調子がいい日が続くようになった」
 昨年11月から定期的に栄養士に相談し、体の状態を確かめている。「採血で、例えばビタミンDや亜鉛が足りないと分かった。何を食べればいいかや、日光を浴びればいいという話も(専門家から)教えてもらった。今はそういうところを意識しながら、時間があるときは(体づくりの)勉強もしながら過ごしている。もう絶対にけがをしない体になっていけたらいい」

「上月スポーツ賞」の表彰式に出席したフィギュアスケート男子の鍵山優真=2023年4月、東京都港区

 ▽全日本からの成長を
 代表入りがかなわなかった世界選手権では、複数種類の4回転ジャンプと表現力を両立させた宇野が日本男子初の2連覇に輝いた。世界の頂点を極めるには、総合力の重要性を再確認させられる大会だった。
 「フィギュアスケートは芸術性も求められる。4回転を入れるのも難しいので(技術と表現の)どちらかに偏りがちだが、そこを両立させた人が上に行く。(復帰後はジャッジや観客の目に)芸術作品のように映るプログラムを演じたい。来シーズンの最初から100%うまくいくわけではないと思うが、その時やれるレベルで100%を出して、どんどんレベルアップさせていけたらいい」

「上月スポーツ賞」の表彰式に出席したフィギュアスケート男子の鍵山優真(右)=2023年4月、東京都港区

 ジャンプで「いつでも4回転が跳べる状態になりつつある」と足首は順調に回復。今月にはSPを滑り込むため渡米し、新シーズンに備える。
 「今季のプログラムはお気に入り。次にお客さんの前で自分のプログラムを見せた時に(今季とは)全然違う、万全な時の鍵山優真の演技はこんなにすごいんだっていうのを見せたい。全日本からの成長を見せたい」
 フィギュアスケートの個人種目で、日本勢史上最年少メダリストとなった北京五輪の歓喜も、通過点に過ぎない。完全復活を予感させる、力強い宣言も飛び出した。
 「変わらず、ミラノ(・コルティナダンペッツォ五輪)に出たい思いはある。北京五輪で2位を取ったが、2位では終われない。その上をみんな目指している。金メダルを取るだけではなく、しっかりとプログラムを完成させて、ノーミスの演技をして優勝したい思いは強い」

北京五輪フィギュアスケート男子のメダル授与式で、銀メダルを胸に笑顔の鍵山優真=2022年2月、北京

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