コロナ担当課長が振り返る激動の1163日 連日1万人超感染の「衝撃」 兵庫県にもオミクロンの猛威

山下輝夫さん(左)と西下重樹さん(右)

 新型コロナウイルス感染症対策は8日、法的な位置付けが季節性インフルエンザと同じ「5類」へ移行、大きな節目を迎えた。2020年3月、兵庫で陽性者が初確認されてからの1163日間(今月7日まで)を、県の歴代のコロナ担当課長2人が語る。後半は21年の夏から。 ### ■「ゴールの見えない24時間態勢」

(21年12月30日:670日目)

 21年7月、賛否が渦巻く中、1年延期になっていた東京五輪が開幕した。しかし、同時期、変異株「デルタ株」による流行「第5波」が到来。秋以降は「オミクロン株」が世界的に猛威を振るう。

 県内初のオミクロン株による感染者が確認された。「ゴールの見えない24時間態勢」。そう振り返るのは当時の県感染症対策室長、山下輝夫さん(59)。コロナ禍が始まった時は疾病対策課長として初動対応にあたった。

 「この波を乗り切っても、次はさらに大きな波が来る。その繰り返し」。言葉通り、オミクロン株による第6波の県内感染者は年が明けてから爆発的に増え、その数は第5波の10倍に及んだ。

 山下さんは、病院に入院患者の受け入れを求める部署の責任者だった。第6波は子どもの患者が多かったが、子ども向けの病床は限られていた。妊婦の受け入れも難しかった。

 「コロナ以外の病気で苦しむ子どももいる。どうバランスを取るか」。山下さんは悩み続けた。 ### ■発熱外来パンク自主療養へ転換

(22年8月11日:894日目)

 22年2月、ロシア軍がウクライナに侵攻。世界的な物価高が、コロナ禍にあえぐ人々の暮らしに追い打ちをかける。

 当時の県感染症対策課長、西下重樹さん(62)は「あまりの数に衝撃を受けた」。1日の感染者数が過去最多の1万2376人に達したのだ。第7波のピークだった。

 連日1万を超える新規感染者。「まだ増えるのか、それとも止まるのか」。数字をにらむ日々が続く。

 その頃、初期症状のある人を診断する発熱外来がパンクし始めた。コールセンターには苦情が相次いでいたが、医療機関からは「限界」との声が上がる。

 患者の多くは軽症者。医療機関が全て受け入れることは、もう難しいのではないか-。県のコロナ行政を担っていた山下さんと西下さんはある決断をする。軽症であれば、自宅で自ら検査キットを使い、療養してもらう「自主療養制度」の導入だ。幹部に進言し、斎藤元彦知事が全国2例目の実施に踏み切った。

 「思い切ったことができた」 ### ■兵庫県内では148万153人感染、死者は3908人

(23年5月7日:1163日目)

 22年秋に始まった第8波は、23年1月に峠を越す。3月13日にはマスクの着用が「個人の判断」に。5月5日、世界保健機関(WHO)が緊急事態の終了を宣言した。

 3年2カ月にわたって続いた新規感染者数の集約がこの日で終わった。県内では148万153人が感染し、死者は3908人に上った。

 ウイルスがもたらした災禍の大きさ。「私たちはそのことを心に留めなければならない」。山下さんは現在、県保健医療部長として5類移行後の感染拡大に備える。

 「最も怖いのは今年の冬だろう。まずは大型連休明けと夏ごろに見込まれる感染者の増加に対し、どう対応するか、だ」

 西下さんは3月末で課長を退き、今は県立健康科学研究所(加古川市)の衛生検査専門員。新たな感染症を想定し、検査体制の整備などに取り組む。

 「毎日の会見で現状をどう説明し、理解してもらえるか、感染対策をどう訴えるか。その役割に徹した」。そして、こうも自問している。「少しは役に立っただろうか」 (高田康夫、井川朋宏)

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