<金口木舌>地域の歴史を知る旅

 「赤か黒か」。首里城を巡る議論は龍柱の向きだけでない。瓦の色も議論の的となった

▼1992年の首里城復元で屋根に葺(ふ)かれた瓦は赤。与那原町産である。この町は大正時代、那覇、糸満と並ぶ三大窯業地として知られた。瓦だけでなく壺や茶碗、雨がめなどの日用品も作った

▼連休後半の初日、町の歴史に詳しい方と町内の文化財を訪ねた。古くから交通・交易の要衝となり、国頭への物資輸送と集積の拠点として栄えた。出入りする船は大正初年には年間4千隻以上に達したという

▼与那原駅舎跡には復元された軽便与那原駅舎展示資料館が立つ。戦災で傷ついた駅舎は戦後の補修や増築を経て役場などとして使われた。1931年の建設当時は県営鉄道唯一のコンクリート造。資材がない時代は貴重な建造物だった

▼沖縄戦で米軍の猛爆撃を受け灰燼(かいじん)に帰した町は与那原んちゅの懸命な努力と協力で息を吹き返した。この時代、町の復興を願い、瓦を焼いた職人たちの営みに思いをはせる。休日、身近な所に眠る歴史の旅に出てみるのもまた楽しい。

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