初代神戸駅ができた場所、かつてキツネやタヌキが好き放題? 「広々とした草原」で期待された役割とは

駅ができる前の神戸を描いた図。旧湊川左岸に人家はあまりない(神戸市立中央図書館蔵「摂陽山海古覧」より)

 1874(明治7)年開業の初代神戸駅(神戸停車場)があった神戸市中央区の神戸ハーバーランド。現在、初代駅の面影はほとんどなく、商業施設が並び人波も絶えない。

 しかし、駅ができる以前、約150年前はそうではなかった。遊郭が存在し、その周囲に人家がぽつぽつとある程度。その他には豪商・北風家が所有する田んぼや荒れた野原が広がっていたという。1974年に発行された「神戸駅100年の歩み」は、この辺り一帯をこう表現している。

 「東西に走る一条の街道、それに沿うて広々とした草原も多く、夜には狐狸(こり)がほしいままにした」「楠公さんも木立ちの中に見えかくれ、まだ小さな御堂に過ぎなかった」

 なんでこんな寂しい場所に駅ができたのか。郷土史に詳しい姫路独協大副学長の道谷卓(たかし)さんは言う。

 「国内屈指の港町だった兵庫津(ひょうごのつ)(現在の兵庫区南部)と、開港して今後の発展を期す神戸港。明治政府はこの二つをつなぐ役割を期待したのでしょう」

 本シリーズで紹介した通り、畿内の西の入り口だった兵庫津は海陸の要衝地として大いに繁栄した。あまりに栄えて人口が密集していたため、条約上は「兵庫」だったが東の神戸が世界に開かれた。

 これらの港は「近代化を急ぐ国としても重要港湾だった」(道谷さん)。港の間には「キツネやタヌキが好き放題にしていた」などと表現される何もない場所。この地に鉄道の拠点駅や工場を設けるのは、ある意味で必然だったのだろうか。

 ちなみに、このとき退去を命じられた遊郭こそが、現歓楽街の「前身」だ。移転する前から平清盛の福原遷都にちなんで福原遊郭と呼ばれ、駅の設営に伴って現在地へ移り、そのまま今の地名になったそう。

 それはさておき、ほとんど何もない場所に設けられた神戸駅だが、日本の鉄道網建設に大きな役割を果たし、重要港湾とも接続していた。その結果、神戸のまちの姿を変えることにもなったという。

 「1868年の開港以降、神戸は『東へ東へ』と中心地を移していきます。駅の開業と前後して、官公庁や湊川神社などが近くにでき、駅を中心としたまちづくりが進みました」

 神戸の中心は兵庫津だったが、その後は東の神戸駅周辺へ。現在の神戸地方裁判所(中央区橘通2)辺りに県庁ができ、楠公さんには人が集まり、鉄道に起因する産業も興った。

 ただ、やがて都心部はさらに東へと移った。

 「県庁はすぐに元町へ移転し、国際港となった居留地周辺が栄えていきました。しかし、『神戸駅が神戸の中心』という時代が確かに存在しました」

 現在、神戸駅周辺の再整備を神戸市が計画している。にぎわう姿を見てみたい。(安福直剛)

© 株式会社神戸新聞社