「母の日」日本定着のきっかけの一つは森永製菓 全国のお母さん約20万人が集まり『大会』開催【みんなのハテナ】

視聴者からの疑問に答える「みんなのハテナ」。5月14日は「母の日」ということで、今回は「母の日」に関する疑問にお答えします。

「なぜカーネーションを贈るようになったのでしょうか?」(倉敷市 茶屋町の鬼 32歳)

200種類以上の花を扱う高松市の生花店「カタリ」の多田安祐美さんに聞いてみました。

(カタリ/多田安祐美さん)
「もともと外国から『母の日』というものが伝わった時に、もともとは白いカーネーションをお供えするところから始まったみたい」

諸説ありますが、『母の日』は100年以上前にアメリカの女性が亡くなった母親を思ってお墓に白いカーネーションを供えたことが始まりとされています。

ただし、「母の日」といえば「白」ではなく、「赤」のカーネーションを思い浮かべる方が多そうですが……。

(カタリ/多田安祐美さん)
「花言葉も母の愛とか、そういう花言葉が赤のカーネーションにあるんですけど、亡くなった方には白いカーネーション、生きている方には赤いカーネーションを贈るっていうのがメジャーになった」

多田さんによるとカーネーションの花言葉は「感謝」「無垢の愛」などです。さらに、赤いカーネーションには「母への愛」や「母の愛」という花言葉もあります。

このような歴史や花言葉から「母の日」には赤いカーネーションというイメージが定着したと考えられています。

現在では香川県オリジナル品種の「ミニティアラ」など、一口にカーネーションといってもいろいろな種類や色があります。

多田さんは「『母の日』だから……」とカーネーションにこだわらず、バラやガーベラなど好きな花を選んで贈ってほしいとしています。

(カタリ/多田安祐美さん)
「お母さんのことを思って選んでもらえればお母さんは喜ぶと思うのでいいと思います」

ちなみに少し早いですが、6月18日の「父の日」に贈る花の定番を聞いてみたところ……。

(カタリ/多田安祐美さん)
「昔はそのよく黄色のバラとかをあげるみたいな、今もあげる方もいらっしゃると思うんですけど最近はヒマワリ。花言葉が良くて「あなたは素晴らしい」とかがある。ボリュームもあって華やかなのであげる方は多いですね」

「母の日が日本に定着するきっかけは何だったのでしょうか?」(多度津町 やすごろ 62歳)

海外で始まったとされる「母の日」。日本に定着するきっかけの一つは、お菓子メーカー「森永製菓」の取り組みだと言われています。

(森永製菓 広報グループ/田村和世さん)
「もともと昭和の初期ごろに母の日自体は日本各地で細々と行われていたんですけれども、心温まる行事を知った森永製菓が、ぜひこれを全国的に日本に広げたいと」

森永製菓はまだ一般的ではなかった「母の日」を日本で広げようと、1937年に「森永母の日大会」を開催。

東京都の豊島園で開かれたこのイベントには全国のお母さん約20万人が集まったそうです。

(森永製菓 広報グループ/田村和世さん)
「母をたたえる歌の発表だったり、お母さんが喜んでいただけるような歌とか踊りのショーとか落語とかで、お母さんに楽しい一日をすごしていただくための内容を催しております」

その後も全国各地で「森永母の日大会」を開いたり、「私のお母さん」をテーマにした絵や作文を幼稚園などから募集したりと、母の日を広める活動を続けた森永製菓。

雑誌や新聞などの広告でも「母の日」という文化があるということをアピールしたことで、徐々に母の日は日本に広がっていきました。

ちなみに、この広告にも赤いカーネーションが描かれています。

(森永製菓 広報グループ/田村和世さん)
「母の日ってこういうものなんですよとか、お母さんに感謝する日なんですよ、カーネーションを送る日なんですよとか、そもそも母の日とはこういうものだっていうことを(広告に)書いてあるんですね」

今では「母の日」に合わせた商戦が各地で展開されるほど定着しました。

森永製菓も母の日に合わせたお菓子を展開しています。

(森永製菓 広報グループ/田村和世さん)
「森永製菓としては母の日を皆さんに知っていただくことで、家族と一緒に幸せな時間を過ごしていただきたい、お母さんに感謝の気持ちを伝えてほしい、そういったみんなで笑顔になれるような時間を過ごしていただきたいと考えています」

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