案内板も間違い!?「愛染さん」実は「役小角」? 江戸後期建立の石仏、いつしか誤って伝承か 丹波篠山

愛染明王像とされていた愛染窟の石仏=丹波篠山市栗柄

 兵庫県丹波篠山市にそびえる西ケ嶽中腹の岩窟「愛染窟(あいぜんくつ)」に祭られた石仏は、長年地元で「愛染明王(みょうおう)像」と伝えられてきたが、神戸新聞社の取材で「修験道の祖」として名高い「役小角(えんのおづぬ)像」の可能性が高いことが分かった。愛染明王も役小角も、修験道と縁が深く、当初は岩窟内に2体ともあったが、愛染明王像が失われ、役小角像が愛染明王像と誤って伝承されたと推測される。(堀井正純)

 岩窟横にある県製作の案内板にも「愛染明王」の像と記されている。ふもとの栗柄集落の西澤和也自治会長は「地元では『愛染さん』と親しまれ、幼少時から愛染明王と信じてきた。違うのか?」と驚きを隠さない。

 愛染明王は密教の神で、顔は常に怒りの相を表す。全身が赤く、目は三つ。6本の手に弓などの武器を持ち、頭部に獅子の冠をいただく。一方、役小角は「役行者(えんのぎょうじゃ)」とも呼ばれる奈良時代の山岳修行者。大峰山(奈良県)などの霊場を開き、足跡を伝える説話は全国各地に残る。

 西ケ嶽のある多紀連山一帯は古来、修験道が盛んで、愛染窟もその歴史を示す場所。安置された石仏は、極めて素朴な造形で高さ約36センチ。台座に刻まれた「天保五年春」「栗柄村中」などの文字から、江戸後期の1834年の建立と分かる。だが、石仏は腕2本で目は二つ、穏やかな表情でひげをたくわえ、三目六臂(さんもくろっぴ)の愛染明王とは明らかに姿形が異なる。

 県立歴史博物館(姫路市)の山田加奈子学芸員は「写真で見る限り、明王ではない」と話す。岩座に座る像で、頭巾、あごひげ、法衣、みの(マントのような服)のひもと思われる結び目、高げたに見える履物などが「役行者像の典型的な図像と合致する」という。通常は右手に錫杖(しゃくじょう)を持つことが多いが、愛染窟の像では失われている。

 さらに「愛染窟には、元は愛染明王像と役行者像が一緒に祭られていたとしてもおかしくない」とし、時期は不明だが、愛染明王像が失われ、役行者像と愛染窟という名のみが残って、「いつしか役行者像が愛染明王像と考えられるようになった可能性はある」と指摘する。

 愛染窟は、市内の最高峰・御嶽(793メートル)への登山ルートの途中にある。1997~98年に放映されたNHKの朝の連続ドラマ「甘辛しゃん」のロケ地で、丹波篠山出身のヒロインが少女時代、秘密の場所としていた設定だった。

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