大谷翔平 偉業達成も常に謙虚…受け継いだ“自慢は恥”激似祖父の教え

(写真:AP/アフロ)

5月4日(日本時間)、対カージナルス戦で先発を務めたエンゼルス・大谷翔平選手(28)は、メジャー自己最多タイとなる13奪三振を記録した。

「メジャー通算奪三振数は500となり、500奪三振&100本塁打以上を記録した選手はあの“野球の神様”ベーブ・ルース以来の快挙なのです」(スポーツ紙記者)

日本がWBCで世界一に輝いて以降、日米の野球界は盛り上がり続けている。そこへ、さらに拍車をかける新たなニュースがーー。

「今回のWBCでの侍ジャパンの快進撃を描いたドキュメンタリー映画が6月上旬に公開されるのです。強化合宿から決勝戦まで、侍ジャパン専属カメラマンが大会MVPに選ばれた大谷選手はじめ、メンバーたちをベンチ裏まで撮った迫真の映像になっています。まさに“主演・大谷”といった白熱の映画なので、全国で話題になるでしょう」(野球関係者)

打者と投手の“二刀流”で数々の偉業を成し遂げた大谷は世界的なスターとして注目を集めている。だが、彼がここまで世界から愛されるのは実績だけでなく優れた人柄によるものも大きいだろう。

「パフォーマンス心理学の国内第一人者でハリウッド大学院大学の佐藤綾子教授は、スポーツ紙の連載記事で大谷選手の大きな魅力のひとつとして《絶対、自慢しない》ことを挙げています。世界の頂点に立っても天狗になるようなことはなく、派手な言動もありません。むしろ紳士的な一面がたびたび話題になるほどですからね」(前出・スポーツ紙記者)

大谷の母・加代子さんはかつて大谷の心身に大きく影響を与えたのは、祖父(加代子さんの父)だったと『文藝春秋』’14年11月号のインタビューで語っている。

《父は1934年(昭和九年)生まれの80歳。以前から「若い頃は、運動神経が良かった。だから翔平は自分に似たのかもしれない」と話すことがあった。(略)「中学時代は野球部でエース兼四番だった」とも言っていました》

加代子さんによれば、祖父の身長は昭和一桁生まれでは珍しい175cm。少年時代は運動能力では負けなしだったようで、走り幅跳びの記録は何年も塗り替えられずに残っていたという。類いまれな身体能力と“二刀流”は、まさに大谷そのものだ。神奈川県内にある加代子さんの実家の近所住人はこう語る。

「Aさん(加代子さんの父)の一家とは家族ぐるみの付き合いでした。3姉妹の次女・加代子さんは国体にも出る有名なバドミントン選手になりました。その影響で町内会にもバドミントン教室ができてAさんと私も参加したんです。Aさんは大手企業に入社して管理職まで勤め上げた、とても厳格な人でした。それでいて世話焼きでね、町内会で役員も務めるほど信頼の厚い人でした。娘さんたちが自分でやり始めたことはすべて応援していた感じで、怒ることはほとんどなかったです」

■祖父は大谷がエンゼルス入りする直前に他界

加代子さんは結婚後、神奈川から夫・徹さんの地元・岩手に転居した。大谷が生まれたのは転居後だが、里帰りで子供たちを連れてくることはたびたびあったという。

「翔平くんが小学生くらいのころですかね。加代子さんが“うちの主人と同じように野球やってるんですよ”って、そこの道できょうだいでキャッチボールをしていた翔平くんの姿をよく覚えています。

翔平くんがアメリカに行った年に新人王を取りましたよね。そのとき加代子さんは“これまでいろいろとお世話になりました”と、彼のサインを届けてくれたんですよ。息子があれだけ有名人になっても私たちへの接し方は昔と何一つ変わらず、それが本当にうれしくてね。サインも家宝のように大事にしています」

大谷の祖父について、加代子さんは前出のインタビューでこうも語っていた。

《自分が野球をやっていただけに、男の子がほしかったのでしょう。二番目のわたしも女の子だったので、気がついたら、野球帽と半ズボンという格好で、野球場に足を運んでいました》

だからこそ、祖父は野球を始めた孫・翔平を誰よりもかわいがり目をかけてきたのだろう。大谷はそんな祖父の期待を背負い、同時にその精神も受け継いでいた。前出の近所住人は言う。

「翔平くんはプロ野球選手になって大活躍したから、Aさんの奥さんも近所の世間話で孫自慢くらいしたいはずだったと思うんです。でもAさんは奥さんに“聞かれてもないのに、そんなことペラペラ他人に自慢するもんじゃないですよ。軽はずみなことはよしなさい”と言っていたんです。だからこのあたりに加代子さんの実家があるって、今でもあまり知られていないんですよ」

祖父の“自慢は恥”という教えを守っているからこそ大谷は世界から愛される人柄に育ったようだ。

しかし、そんな大谷のメジャーでの大躍進を見る前に、祖父はこの世を去ってしまった。

「翔平くんがプロ野球選手として日本で活躍したころは元気でしたが、彼がエンゼルスに行く直前に亡くなってしまったんです……。告別式には翔平くんも参列していました。久しぶりに間近で見た翔平くんは見上げるような大きな体になって、若かりしころのAさんにとてもよく似ていました。翔平くんも今の活躍をお祖父さんに見せてあげたかったでしょうね」(前出・近所の住人)

大谷は天国の祖父のためにも、全力で二刀流に挑み続けるーー。

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