ミラン&インテル、両方でプレーした選手の「ベストイレブン」選ぶとこうなった

UEFAチャンピオンズリーグで対戦中のACミランとインテル。イタリア屈指の名門であり、同じ街の同じスタジアムを本拠地としているライバルだ。

ただ、この両チームの間ではかなり多くの選手が取引されており、どちらにも所属した名プレーヤーは数多い。

今回は「ミランとインテルでプレーした選手のベストイレブン」を選んでみた。

GK:ロレンツォ・ブッフォン

ミラン所属:1949~1959

インテル所属:1960~1983

ミランとインテル両方でプレーした選手は本当に数多いのだが、ゴールキーパーに関してのみで言えばそれほど豊富ではない。40年代から50年代に活躍したジョルジョ・ゲッツィ、あるいはミランのユースにいたフランチェスコ・トルドくらいだ。

その中で今回はロレンツォ・ブッフォンを選んだ。名前を見てわかる通り、ジャンルイジ・ブッフォンの祖父のいとこにあたる人物で、1929年生まれの選手。イタリアの歴史上屈指のゴールキーパーだったが、レフ・ヤシンと同世代だったために影が薄くなってしまったようだ。

CB:フルヴィオ・コロヴァーティ

ミラン所属:1976~1982

インテル所属:1982~1986

1970年代から80年代にかけてのイタリアの名ディフェンダー。この時代では世界でも屈指のセンターバックとして知られた選手であり、1982年のワールドカップで優勝を収めた経験を持つ。フィジカルが強く、技術や予測力に長け、空中戦にも強かったパ^フェクトな選手だったという。

ミランとインテルで長く所属し、イタリア代表でも50試合に出場するなど活躍。キャリアのすべてをセリエAで過ごし、1993年に引退してからはRAIのアナリストとして活動した。

CB:セルジオ・バティスティーニ

ミラン所属:1980~1985

インテル所属:1990~1994

サイドバックやスイーパー、そして中盤でもプレーできた多才な選手であったセルジオ・バティスティーニ。ミランの下部組織から1980年にトップチームへと昇格し、ミランが2部へと降格した時期に最終ラインの絶対的な選手として活躍を見せた。

ミランで162試合に出場して29ゴールを決め、セリエBでの2回の優勝に貢献。そして1985年に退団し、フィオレンティーナでプレーしたあとにインテルへと移籍。ここでも2回UEFAカップに優勝するという栄冠を経験している。

CB:レオナルド・ボヌッチ

インテル所属:2005~2009

ミラン所属:2017~2018

実はインテルにも長く所属したボヌッチ。クリスティアン・パヌッチやクリスティアン・ブロッキ、ジュゼッペ・ファヴァッリなど様々な選手はいるが、選手としての実績を考えれば彼を選出せざるをえない。

イタリア代表でも多くのタイトルを獲得した彼は、インテルの下部組織からトップチームへと昇格してデビューしたものの、ローン移籍を経て退団。バーリでブレイクしてユヴェントスへ。その後ちょっとした気まぐれでミランに移籍し、1年でユヴェントスへ復帰した。

MF:アンドレア・ピルロ

インテル所属:1998~2001

ミラン所属:2001~2011

イタリアに「レジスタ」の流行りをもたらしたアンドレア・ピルロ。世界最高クラスのプレーメーカーとして活躍し、ミランで数多くのタイトル獲得に貢献した。だが、実は1998年にブレシアからインテルへと引き抜かれた経験を持っている。

【関連記事】バイエルンの「下部組織出身ベストイレブン」。ベッケンバウアー、ラーム、アラバ…

インテルではなかなか出場機会を得られなかったものの、レッジーナとブレシアへのローン移籍を経て評価を高め、2001年からミランへ。カルロ・アンチェロッティ監督の下で大ブレイクした。

MF:クラレンス・セードルフ

インテル所属:2000~2002

ミラン所属:2002~2012

いまなお歴史上唯一となる「3つのクラブでUEFAチャンピオンズリーグを制覇した」選手。アヤックス、レアル・マドリー、そしてミランで欧州王者に輝き、オランダの歴史上最もタイトルを獲得した名ミッドフィルダーである。

レアル・マドリーからインテルへ移籍し、そこで2年半を過ごしたあと、ライバルのミランへと直接移籍。フランチェスコ・ココとのトレードで加入し、それから10年にわたって所属した。また2013年にはまだ現役を続けていたにもかかわらずミランからの監督就任要請を受け、引退を決断している。

MF:ハカン・チャルハノール

ミラン所属:2017~2021

インテル所属:2021~

「ライバル」とは言われながらも、実はそれほどクラブ感では激しい対立がない両チーム。かなり多くの選手が取引されており、バルセロナとレアル・マドリーのように憎み合うほどではない。ただチャルハノールだけはそれを超えてきた。

ミランと給与などの条件で揉めたことによって契約が満了になり、2021年にインテルへと移籍。その後ミランのサポーターに「4年間名前を呼ばれなかった」と不満を述べるなど、対立関係を煽るような存在となっている。もちろんピッチ内でも両クラブでレギュラーを務めている。

MF:ロベルト・バッジョ

ミラン所属:1995~1997

インテル所属:1998~2000

この両クラブでプレーした選手として絶対に無視できない存在、ロベルト・バッジョ。ユヴェントスでファンタジスタとして活躍したものの、若きアレッサンドロ・デル・ピエロにポジションを奪われる形で退団。そしてミランへとやってきた。

2シーズンをミランで過ごしたが負傷や監督との対立もあってあまり輝かしいパフォーマンスは見せられなかったが、その後移籍したボローニャで22ゴールを奪い復活。1998年にはバッジョ自身がファンであったというインテルへと移籍している。ただ、ここでもユヴェントス時代に対立があったマルチェロ・リッピ監督と再会することになり、あまりいい二年間を過ごせなかった。

FW:ズラタン・イブラヒモヴィッチ

インテル所属:2006~2009

ミラン所属:2010~2012、2020~

この両クラブで絶対的なエースになった選手といえばズラタン・イブラヒモヴィッチに他ならない。ユヴェントスがカルチョ・スキャンダルで2部に降格させられてしまったこともあり、インテルへと移籍。そこで3シーズン連続のスクデットに貢献した。

バルセロナへの移籍が失敗に終わった後、2010年にはACミランへ移籍。2年後にはチアゴ・シウヴァとともにパリ・サンジェルマンへと売却されるが、8年後に復帰。クラブに久しぶりのスクデットをもたらしている。

FW:ロナウド

インテル所属:1997~2002

ミラン所属:2007~2008

そしてもちろん「怪物ロナウド」もインテルとミランの両方でプレーした選手だ。PSVアイントホーフェンでブレイクし、その後バルセロナで更に大活躍。当時の世界最高額でインテルへと移籍し、最強リーグであったセリエAに進出した。

すぐに適応を見せてバロンドールを獲得するなど世界最高のストライカーとして評価を固めるも、その後度重なる大怪我で離脱を繰り返すようになった。その後レアル・マドリーを経て2007年にミランへと加入したが、このシーズンにも左膝の靭帯を断裂。ミラノの両クラブでのキャリアは彼にとって怪我との戦いにもなってしまった。

FW:ジュゼッペ・メアッツァ

インテル所属:1924~1940、1946~1947

ミラン所属:1940~1942

サンシーロの愛称にその名を残す名ストライカー。インテルの歴史上最も偉大なレジェンドであり、1920年代から40年まで409試合に出場して284ゴールを決めた。

そして退団後はミラン、ユヴェントス、ヴァレーゼなどでプレーしたが、1946年には降格の危機にあったインテルに選手兼監督として呼び戻され、チームを残留に導いた直後に引退を表明した。

© 株式会社ファッションニュース通信社