ニューヨークで奮闘する 革新者たち

注目の起業家たちにインタビュー 〈続編〉

既存のビジネスの枠に収まらない彼らが新たに切り開く道こそが、未来を変える。その情熱とアイディアの根源を聞いた。これから起業したい人必見!(文・取材/菅礼子・伏見真理子)


この街で50年事業を手がける開拓者

世界一タフとも言われる街ニューヨークで今年、「Momotaro International Hairsalon」創業50周年を迎えたサミー宮本さん。ニューヨークでの成功の秘訣や渡米当時の苦労まで伺った。

50周年を記念したパーティーでの一枚

─ニューヨークで創業した経緯は?

島根県出身なのですが、手に職をつけたくて美容師になりました。大阪のMomotaroで修行をさせてもらい、創業者の谷さんと一緒にニューヨークで挑戦するために渡米しました。当時は20歳そこそこで70年代の危険なニューヨークに行くことは親からしたら戦地に送るようなものだったので、両親は反対していました。

70年代に日本から来てニューヨークで事業をすることは至難の業です。すでに進出していた理美容メーカーのタカラベルモントと谷さんが繋がっていたので、ここへ来ることができました。最初は1年で帰国するつもりでした。

─お店をオープンしてから一番苦労したことは?

最初は言葉もできないし、食べていくのに必死でした。でも、技術には絶対の自信があったので技術やサービスでカバーをして、無我夢中にコツコツと真面目にやってきただけです。日本人の丁寧さが徐々に広まって5年目ぐらいに軌道に乗り、谷さんからニューヨークを任せてもらうことになりました。お店を絶対に守りたいという気持ちと、運とチャンスもあって、みんなに支えられてここまで来たのですが、コツコツやってきただけでこれといった苦労はないかもしれません。

─50周年を迎えてどんな気持ちですか?

何か心がスーッとしました。50年ニューヨークでやることも目標だったし、これを機に日本からスタッフもたくさん来てくれました。みんなに支えられてここまで来ました。

─経営者として大変なこと、やりがいを感じることは?

ニューヨークは一流の人たちが集まる場所なので、日本ではなかなか会えないような企業の重役や国連の職員など、エリートのお客さんたちの髪を切ることが出来ることです。これはなかなか日本ではできない経験です。若い時からお偉いさんたちの髪を切っていたので、舐められたくなくて、当時はとにかく早く歳をとりたかったですね。

─日本人がニューヨークで活躍するためには?

ニューヨークは実力主義な街なので、頑張れば頑張った分認めてくれる場所です。やっぱり、他のアジアを見ても、中国系や韓国系は移民なのでハングリー精神が違う。日本人は数年で日本に帰ってしまう人が多いけど、もっとハングリー精神を持って努力することも必要かなと思います。

─今後のビジョンは?

最近は、昔からの米国人のお客さんの髪を切ったりする程度でお店には顔を出すことが多いのですが、お店は後任に任せてアドバイザーになりたいですね。ありがたいことに従業員には苦労していないんです。いつも素晴らしい子たちが来てくれる。なので、お店はきちんと存続させて行きたいです。

あと、自分のブランド「Sammy NYC Treatment」でシャンプーやトリートメントの開発をしているのですが、もっともっとブランド力を高めて今後はこちらの事業にも力を入れていきたいです。

自身が手がけるヘアケアプロダクト

サミー宮本さん
Momotaro International
Hairsalonオーナー

1972年に渡米、師匠とともに「Momotaro International Hairsalon」をオープン。
今年でニューヨーク創業50周年を迎える。
自身のヘアケアブランド「Sammy NYC Treatment」の販売にも力を入れる。

Momotaro International Hairsalon
22 E 49th St 2nd fl.
TEL: 212-759-2392
momotaro-manhattan.com

目指すは世界ナンバーワンの農業企業

自分の中の日本人スピリットを世界に広めたい

植物工場で作った日本のいちごが、ニューヨークのミシュランシェフの間で話題となった。その仕掛け人が「Oishii」ファウンダーの古賀大貴さんだ。

ニュージャージーの植物工場にて

「現在は完全閉鎖型の植物工場で日本の天候でしかできない日本のいちごを作っています」。植物工場に興味を持ったきっかけを尋ねた。「コンサル時代に色々なクライアントを抱えていた時、何が将来自分でビジネスとして出来るかも同時に考えていました。当時、植物工場のクライアントを持っていたので、ビジネスモデルについては理解していました。世界最先端の植物工場の技術が日本にはありますが、新鮮な食材が手に入る日本では需要がない。グリーンハウス農業が存在しない、また、国土の広い米国では新鮮な食材がすぐに手に入らないという現状もあり、都市部に近い場所で植物工場をやろうと決めました」。

サステナブルな植物工場は今後、電気自動車のように普及していくという。

「私たちは植物工場でテスラのポジションを取りたいと思っています。植物工場で作ったいちごが通常のいちごより美味しいという強いブランディングです。世界一の農業企業を作ろうと思った時に、米国で起業し、ニューヨークでやろうと決めていました」。

世界中の植物工場でレタスが作られているが、いちごを作れる技術は皆が持っていない。日本の甘いいちごでインパクトを残すべく、スタートした。

起業して苦労したことは? 「苦労は思い浮かびませんが、日本人として米国で起業したので、日本だったらもっと色々と簡単だったとは思います」。

幼少期を海外で過ごした古賀さんにとって、日本の強い技術力を海外に発信することも一つのミッションだという。

「日本独特の文化や技術を世界で証明したいです。我々は高品質なオンリーワンの商品を作っています。価格が高くても圧倒的な認知度とブランド力でここまできました。中間目標としては植物工場でナンバーワンの会社になること。足がかりとしていちごを作っているだけで、今後は他の食材も作っていきます。最終的には世界最大の素材ブランドを目指して『Oishii』という棚がどこにでもあって、そこに行けば美味しいものが手に入るようにしたい。それはサステナブルに作られた肉や魚かもしれません」。

古賀大貴さん
Oishii Farm, Co-Founder & CEO

慶應大学を卒業。
コンサルティングファームを経て、UCバークレーでMBAを取得。
持続可能な農業と、世界中に「Oishii」を広めるべく、在学中の2016年12月に「Oishii Farm」を創業、日本のイチゴを育てる植物工場を構え、2022年からは、ホールフーズでの展開も開始し、米ファスト・カンパニーが選ぶ「最もイノベーティブな企業」の一つに選出されている。
oishii.com


NASAと火星住宅開発に挑む建築事務所

環境の知覚体験を根幹に置く設計手法とは

2010年に曽野正之さんとオスタップ・ルダケヴィッチさんにより設立された建築事務所「クラウズ・アーキテクチャー・オフィス」。現在は、正之さんの奥様の祐子さんも建築家として加わり3人で、環境の知覚体験を根幹に置く設計手法により、多様なプロジェクトを提案している。住宅・公共施設から自然災害対策の建築、数々の宇宙建築に至る幅広い設計に携わっている。

15年にはNASAが開催した火星基地設計コンペで発表した「氷の家」が優勝し世界的に注目を集め、19年には日本で初めて3Dプリンターで住宅を創るプロジェクトを開始するなど、建築業界に革命を起こしている。

3Dプリント住宅

まずは正之さんに同建築事務所の魅力について聞いた。「実際に建てるプロジェクトと仮想の提案(スペキュラティブ)をボーダーレスに行う事で、現実性と自由な発想、先端的リサーチがクリエイティブな相互作用を起こす事を目指しています」と話す。

正之さんは、兵庫県出身で少年期をニューヨークで過ごす。幼少の頃から物作りや絵に興味があり、後に幾何学や物理への興味が加わっていったそうだ。奥様の祐子さんは京都府出身で、子供の頃に遊びに行った同級生の家が京都の町家つくりで、その空間の機能性と美の豊かさに感動し、建築に興味をもったという。

自然災害対策の建築、宇宙建築に多く取り組んでいる正之さんに、その二つに共通するものはあるか尋ねると「どちらも物理的・心理的に極限状態に置かれた建築であり、建設過程にも大きな制限が課せられる点で共通していると思います(最小限の素材での簡易な建設が必要となる等)。そうした意味でも宇宙建築で培われた技術や設計法を『逆輸入』することで地球でも貢献することが重要と考えています」と教えてくれた。

現在は、ニューヨーク市内や近郊の住宅、美術関連施設や、以前に設計したスタテンアイランド911メモリアル広場のアップグレードに携わっているという。また、日本では、火星で提案している3Dプリント住居ともコンセプト面で関連があるコンクリートの3Dプリンターを用いた新しいタイプの住宅設計に取り組んでいる他、昨年末には福岡の中心にシアター複合施設も竣工した。

今後のビジョンについては「私達は物質面だけではなく、環境の知覚による精神面や想像力という目には見えない部分も建物にとって重要な要素であると考えています。今後もそうした豊かさや人間性を感じられる体験を目指し、コンセプトと実施の両面で多様なプロジェクトに関わってゆきたいと思っています」と語った。

曽野正之さん
CLOUDS Architecture Office 共同創設者

神戸大学及びワシントン大学にて建築修士号取得。
都市スケールの文化施設からパブリック・アートのデザインに及ぶ多様なプロジェクトに携わる。
ニューヨーク・スタテン・アイランド9.11メモリアル国際コンペ優勝作品によるアメリカ建築家協会公共建築賞をはじめ受賞多数。
cloudsao.com

アイディアはお金を生み出すし人も幸せにする

僕のアイディアの原石は魚の骨でした

生鮮業の卸しの営業としてボストンで仕事をしていた雄次さんは、毎日大量に捨てられていく魚の骨を有効活用できないかと考え、Yuji Ramenの原形となる魚介ラーメンを生み出した。

いつか自分の店をもちたいと、イベントやポップアップに参加して少しずつ知名度を上げていったという。「昔は店舗をもちたくても、リースを契約するお金もありませんでした。しかし、ある時、ロウアーイーストにあるホールフーズで2カ月間だけポップアップをしないかと声をかけられ、その時、調理器具が十分になく、揃えるのに3000ドル必要だったんです。友達がクラウドファンディングを教えてくれて、やってみたらすごく反応がよく、目標金額の4倍くらい集まったんです。そのお金でリースを契約することができたんです。当時は綱渡りをしているような感覚でした」と当時を振り返る。

天然魚だけを使った一汁三菜の定食屋「Okonomi」。コンセプトは地産地消

雄次さんは繋がった客一人一人にメールを送り顧客管理を徹底したという。「インスタは今ほど盛り上がってはいなかったので、写真をアップして集客するという感じではありませんでした。うちは、10年前から来店してくれるお客さんもいるので、とにかく『お客様を大切に』の気持ちを忘れないよう徹底して社員にも伝えています」。

現在は、市内に鮮魚店の「OSAKANA」2店舗と、お寿司の「OKOZUSHI」などを運営。昨年オープンしたカフェ「As you like」については、「日本食という枠に囚われず、もっと色々な人に出会えるいい機会と思い、カフェ事業のパートナーと共に始めました。地域密着型を目指して、フリーマーケットや、寿司ナイト、子供連れで集まれる、お客さんにとって『3rdプレイス』になれたらと思います。他にも、地元アーティストによる陶芸の販売や、ファーマーズマーケットで出会った無農薬農家とコラボしてアイスクリームを作ったりもしています。とにかくお客さんに喜んでもらえたらいいなと思っています」。

原口雄次さん
Yuji Ramen/Okonomi、
Osakana、Okozushi創業者

栃木県生まれ。
2012年にブルックリン区にラーメンと、天然魚だけを使った一汁三菜の定食屋「Yuji Ramen/Okonomi」をオープン。
続いて鮮魚店「OSAKANA」や寿司屋「OKOZUSHI」、カフェ「As you like」などを手がける。
yujiharaguchi.com


多角度から驚きや、楽しさ、感動を提供できる

食ビジネスとは何かを常に意識

飲食店激戦区ミッドタウンに店を構える東京豚骨ラーメンの「TONCHIN」は、ミシュランのビブグルマンに連続選出され、昨年はブルックリン店を、そして今年はロサンゼルス店をオープンし、今もっとも勢いのある日系レストランとして注目を浴びている。

その魅力についてCEOの菅野亜南さんは「東京で30年間守り抜いてきたブランドとして、全ての素材を自家製にしていますが、ただ美味しいだけではなく全ての角度に驚きや、楽しさ、感動を提供するために一つ一つの物事に対してデザインから追求して、スタッフとともに『TONCHIN体験』とは何かを日々考えながら体現しています」と話す。

昨年オープンしたブルックリン店は洗練されたモダンな雰囲気

海外進出にあたり様々な困難もあったようで、一店舗目を開店するまでに2年以上もかかり、資金面やビザ、パーミッションなど苦労したようだ。またロサンゼルス店では、オープンして3日目で嵐による洪水被害を受けたという。

「レストランビジネスなので、最も大変なことも最も嬉しいことも、人のマネジメントだと感じています。様々なバックグラウンドを持つ人たちが集まる現場なので、そこには『当たり前』という言葉が通用しません。いかに、明確に仲間に対して、今私たちは何をしなければいけないのかを伝えるのは常に私の役割です。チームで掲げたビジョンに対して、同じ方向性を向いて実現するために日々楽しみながらプロジェクトを動かせるメンバーを一人でも多く作るということは大変なことでもあり、同時にやりがいでもあります。 そして、お店のコンセプト、デザイン、場所選び全て一から作っている立場としては、やはり描いていた景色にスタッフやお客様が集まり楽しそうに食事をしている光景を見たり、『美味しかったよ』と一言いただく瞬間は涙が出そうになるぐらい嬉しいです」と語る。

今後は、米国内で他のエリアへの出店を加速したり、他のジャンルの日本食に挑戦していくことも視野に入れているという。

菅野亜南さん
TONCHIN 代表

東京都出身。
幼い頃から家業であるラーメン店、食堂、居酒屋などを通して、人々の日常に寄り添う町の飲食店に触れる機会が多く、自らもその道を選びレストランでの仕事に携わる。
24歳でニューヨーク、ロサンゼルスへ行った際に、海外での豚骨ラーメンの可能性を目の当たりにし渡米することを決意する。
tonchinnewyork.com


日本のプロダクトを

世界へ広める企業家たち

米国人が作るプレミアム日本酒
「SOTO」

日本酒「SOTO」は各アワードを受賞するなど高い評価を受けている。「今までさまざまな飲料のマーケティングに携わっていたこと、日本食への情熱もあり、日本酒に惹かれていきました。私たちは新しい消費者に日本酒を届けるというビジョンをもち、アプローチを行ったことで反響があり、再注文が増えました。米国は世界で最も影響力のある市場ですが、新しい国での販売もしていきます」。コラボレーションで限定商品の開発も行っている。「『SOTO X YAMAGATA MASAMUNE 雄町 きもと 純米大吟醸』は、グラン・クリュと称される酒蔵と提携し、最古の酒米、雄町を使った純米大吟醸を造りました」。さまざまな事業を手がけてきただけに、起業の厳しさも知る。「すぐになくなるブランドも見てきたので息の長いブランドに育てていきたい」。

Billy Melnyk
SOTO Founder&CEO


世界100カ国以上で展開する
サブスクスナック

「Bokksu」は、日本の伝統的な菓子を届けるサブスクリプション。「日本で働いた後、米国に戻り、すぐに日本文化が恋しくなりました。2016年に日本から買ってきた菓子を元に『Bokksu』のベータ版を立ち上げました」。5年後、同社は1億ドルの価値を持ち、世界中に出荷している。競合他社と比べて「Bokksu」の強みは?「重要なのは日本のスナックメーカーとの関係です。市場に出回っている製品は安価で大量生産された商品の詰め合わせだと気づきました。私がやりたいことは、日本の小さな家族経営メーカーを支援することです。その関係に投資し、彼らのビジネスを長期的に発展させることで、伝統的なスナックメーカーが何世代にもわたって繁栄し、その技術を共有し続けることをしたいです」。現在では50人のダイバーシティーで優秀な人材を抱え、事業を進めている。

Danny Taing
Bokksu Founder & CEO

© Trend Pot NY,LLC