企業は自社のビジョンの中で、消費者の夢について語るべきだ――デジタル印刷技術と社会課題解決を結びつけることの意義

サステナブル・オフィサーズ 第58回

[Interviewee] ホセ・ゴルベア:・HP Inc. Marketing Global Head of Brands & Sustainability Innovation

[Interviewer] 青木 茂樹・SB国際会議 アカデミックプロデューサー/駒澤大学 経営学部 教授

企業にとって、モノを売る時代から社会に問いかける時代へと変わろうとしている今、人が必要とするもの、そして地球・社会が必要とするものの両方に訴求する商品やサービスをブランドとしてどう独自に設計していくかは大きな命題だ。そのヒントは、「SB国際会議2023東京・丸の内」のさまざまなセッションで示唆されたが、中でも、デジタル印刷パッケージ技術を用いてブランドのESGへの取り組みを加速させ、消費者とのコミュニケーションを戦略的に推進するグローバル企業、HP Inc.から初登壇した、ホセ・ゴルベア氏の言葉が、企業の具体的なアクションを考える上で大いに参考になったのではないだろうか。

実は今回のゴルベア氏の登壇は、昨年10月に米サンディアゴで開催されたSBのフラグシップ・カンファレンスに参加した青木茂樹・SB国際会議アカデミックプロデューサーが現地で同氏の話に心動かされ、「ぜひ日本のSBでも話してほしい」とアプローチして実現したものだった。そこで、会議の期間中、スケジュールの合間を縫って、青木氏がゴルベア氏にインタビュー。プレナリ―では語りきれなかったHP社のマーケティング・サステナビリティ戦略やゴルベア氏自身の思いを語ってもらった。

マーケティングやパーパスへの情熱とリジェネレーションの思想がSBでつながった

青木:サンディエゴでのSB国際会議でお聞きした話はとても印象的でした。日本でも多くのIT企業がサステナビリティに関心を持っていますが、御社のように社会課題を解決するための戦略を立てているのはまだまだ少数です。

ゴルベア:最初に断っておきますが、私は根っからのマーケティング人間です。マーケティングが大好きで、ネスレやクラフトフーズといった企業で経験を積んできました。そんな私にHPは新しいストーリーを語る機会を与えてくれました。それは、テクノロジーと地球上の人々を結びつけることです。HPという企業は長年にわたって培ってきた多くの知識から、自社がサステナブルな企業になるということだけでなく、デジタル印刷技術を通じて、HP社以外の企業についてもより早くサステナブルな企業にしたいと考えているのです。

青木:やはり御社の場合、高度なデジタル印刷技術を持っていることが大きいですね。しかし、そうした技術と社会課題を結びつけていく戦略はどこから生まれたのでしょうか?

ゴルベア:それにはサステナブル・ブランドのグローバルコミュニティとパートナーシップを組んだことも大きいです。それによって私自身のマーケティングやパーパスへの情熱と、HPのDNAとしても刻み込まれているリジェネレーション(再生)の思想がすべてつながったのです。そして私は、われわれのクライアントにリジェネレーションの思想をどう浸透させ、どうマーケティングに落とし込んでいくかということを自問自答し始めました。

というのも、おっしゃるように、HP はすでにパッケージや印刷全般において、パーソナライゼーション(個別最適化=企業側が顧客にあわせて商品やサービスを提案するマーケティング手法をいう)ができるデジタル印刷技術を持っていました。これはもちろんわれわれの強みです。なぜなら最小ロットという概念がなく、サプライチェーンから在庫を26%削減できます。グローバルな大企業が軒並みこの技術を導入すれば、5000万トンの包装が不要になり、アナログ印刷と比較してCO2排出量を最大8割削減できます。ですから、その技術だけで、マーケティングサイドからもサステナビリティと紐づけてわれわれの技術の利点を主張するところまではできていたのです。

しかしながら、サステナビリティとマーケティングをどのように企業の戦略として結びつけるのか、というところまでは到達していませんでした。HPに入社した2017年、私はそうした点をまとめようとしていたのですが、その最後のヒントをサステナブル・ブランドが与えてくれたのです。それが、いま、私たちがサステナブル・ブランドの国際会議で「デジタルプリント導入の旅」と呼んで皆さまにお伝えしている、われわれ独自の、非常に重要なコミュニケーションの方法になります。

パーソナライゼーション(個別最適化)は「何かの一部になりたい」人間の欲求を満たす手段

青木:「デジタルプリント導入の旅」では、パーソナライゼーションがキーワードのようですね。そこに行きついたのには、何かきっかけがあったのでしょうか。

ゴルベア:はい。私はまず、パーソナライゼーションの研究をすることから始めました。9カ月以上にわたって世界の約5000万件のSNS投稿を通じて、人々がネット上で共有している個人的な事柄を分析したのです。その結果、一人ひとりに焦点を当てたパーソナライゼーションは2000億ドルの市場に近づいており、特にパンデミックの後、急激に成長していることを発見しました。

青木:そんなにもですか。つまり、人々はそれだけ、個別最適化された、一人ひとりに合った商品やサービスを求めているわけですね。それはなぜだとお考えですか。

ゴルベア:その大きな理由は私たち人間の最も主要な欲求の一つが、社会的に何かに属したいというものだからです。私たちは何かの一部になりたいのです。パーソナライゼーションはその欲求を満たす大きな手段になり得ます。一人ひとりの存在を個別に受け入れ、世に知らしめるコミュニケーションの方法がパーソナライゼーションであり、企業はそれを行うことによって、すべての人間をあらゆる活動の参加者にすることができます。

多くの企業は広告・宣伝において自社のビジョンについて語りがちですが、それだけではなく、その中で、自社が提供するサービスや技術を使う人、つまり消費者・生活者の夢について語るべきです。「あなたの夢は何ですか?」と聞き、それぞれの夢を大きなムーブメントの一つとして取り上げる。「うちはこんな夢を掲げた大企業だ」と言うのでなく、「あなたの、その夢を叶えるための企業です」と言うことが大事なのです。

中南米の女性に力を与えたハーシーチョコレートの「Her She」キャンペーン

青木:例えばその一つが、ブラジルのハーシーチョコレートが行ったキャンペーンですね。女性たち一人ひとりのストーリーをパッケージに印刷して販売し、大きな反響を呼んでいると聞いています。

(「SB国際会議2023東京・丸の内」の 資料より)

ゴルベア:はい。女性のエンパワーメントを目的に、2019年の国際女性デーにスタートさせた「Her She」キャンペーンですね。中南米では男女平等ではなく、女性は低くみられてきました。そうした状況に対して、ハーシーは、SNS上で女性アーティストたちの声を集め、それらの声を端的にパッケージに印字して社会に届けることで、彼女たち自身によって声を上げさせました。ハーシーは、彼女たちが、中南米に存在するマッチョな文化をどのように克服してきたかについて語るためのプラットフォームをつくり、女性に力を与えたのです。

そして、数年にわたるこのキャンペーンの最も重要な指標は、SNSにおける人々のリアクションです。どんな理由であれ、SNSにはネガティブな反応を見せる人が必ずいますが、このキャンペーンに限っては、誰もが「ハーシー、あなたは正しいことをしている」と100%ポジティブな反応をくれました。それ以来、彼らのビジネスは急成長を遂げ、売上は6倍になりました。

デジタル印刷とパーソナライゼーションの融合は成功の鍵

青木:「Her She」キャンペーンは、デジタル印刷技術による個別最適化が、マーケティングやサステナビリティの戦略としても重要な意味を持つことを示したわけですね。御社のデジタル印刷技術を活用した共創プロジェクトにはほかにどのような事例が挙げられるでしょうか?

ゴルベア:たくさんの例があります。毎年6月のプライド月間には、スミノフ・ウォッカとのコラボで、ハッシュタグ「Love Wins(愛は何にも勝つ)」というキャンペーンを行い、人種、国、宗教、趣味を問わずに多様性を受け入れ、団結することを目指しています。ここでも重要なことは、スミノフという企業が「Love Wins」と声を上げたのではなく、そのハッシュタグを通して、スミノフが自社のストーリーではなく、消費者のストーリーにフォーカスをしたことです。そして、私たちは、それらのストーリーを、デジタル印刷技術を使ってボトル1本1本、個々にプリントしました。

(「SB国際会議2023東京・丸の内」の資料より)

企業としてのスミノフにとって、人々が多様性を受け入れるためのイベントに注目させることは、戦略的に非常に重要なことです。彼らのDNAは常に包括的なマーケティングを行っており、デジタル印刷とパーソナライゼーションの融合は成功への鍵でした。このキャンペーンを開始して既に3年が経っていますが、彼らは毎年のように前年同期比で二桁成長を遂げています。このようなキャンペーンは明らかに売上にプラスの影響を与えるのです。

マーケティングとサステナビリティはひとつのアジェンダに

青木:世界中に広がるパートナーをどうやって探し、どのようにして社会課題の解決につながる企画を実行に導いているのでしょう?とても難しいことのように思いますが。

ゴルベア:それはとても良い質問です。この「デジタルプリント導入の旅」を始めた当初、取引の多くは、デジタルプリントを活用する印刷業者であり、機械部品の調達や研究開発といった技術的なことに対するコスト面での話題が中心でした。しかし、現在は、マーケティングについての会話から始まるようになっています。というのも第一に、マーケティングとサステナビリティは、別々のものではなく、ひとつのアジェンダになりつつあるからです。

そして、企業からプロジェクトの依頼を受けると、私たちは、その企業がどのようにデジタル印刷を戦略として採用する必要があるのか、戦略的ロードマップを作り始めます。その上で、企業のクリエイティブエージェンシーと印刷業者、そしてわれわれのチームとがパートナーを組み、2日間のワークショップを行ってアイデアを生み出します。「Her She」キャンペーンもそうやって始まりました。この素晴らしいアイデアを思いついたのは、実はクリエイティブエージェンシーのメンバーです。

青木:「Her She」キャンペーンはカンヌ・ライオンズでも国際賞を2つも獲得されていますね。

ゴルベア:はい。カンヌ・ライオンズ委員会は、非常にポジティブな社会的インパクトを生み出すこの種のキャンペーンは、消費者の持続可能な行動の変化を促すものであり、受賞する価値があると認識しているからです。チョコレートの包装を通じて、より多くの人がそこに描かれた一人ひとりの女性アーティストのストーリーを知るとき、彼らもまた、その芸術の中にいます。歌でもダンスでも絵でもいいのですが、それは、それぞれが美しい物語です。そしてそうした考え方はすべて『Co-creation(共創)』という言葉に帰結します。いちばん大事なのはこの、共創のマインドセットを持つことなのです。

消費者に『車のキー』を渡す勇気のある企業が市場で勝利をおさめる

青木:なるほど。スミノフもハーシーも、御社のデジタル印刷と個別最適化を融合させたキャンペーンを展開している企業は、個々のキャンペーンや商品を通じて消費者や生産者の側のストーリーを伝え、それに参加する、または商品を買う人々の行動変容を促し、社会課題の解決に向けた共創を進めているというわけですね。

ゴルベア:そうです。消費者のストーリーは、企業のストーリーよりもはるかに重要であり、ブランドはそれを語ってもらうための枠組みをつくることが大切です。共創の旅において、車を運転するのはブランドのマネージャーではなく消費者です。消費者に『車のキー』を渡すだけでいいのです。難しいことかもしれませんが、それを実行する勇気ある企業は、市場で勝利をおさめることができます。

青木:消費者に『車のキー』を渡すだけでいい、というのは非常にシンプルで分かりやすい例えですね。日本でも今、サステナブル・ブランド ジャパンが「Brands for Good」のイニシアチブを立ち上げ、ブランドの規模と影響力を活用し、生活者と共に真の変化を生み出すための取り組みを加速しています。最後に日本企業に対してアドバイスをいただけますか?

ゴルベア:日本の企業は、広告や宣伝において自社のビジョンについて話すのが大好きだという印象があります。もし彼らがもっと人間中心の方法で共創を大切にするのであれば、日本の消費者に「あなたの夢は何ですか?」と聞いた方がいいでしょう。そして、それぞれの夢を、より大きなムーブメントの一部として賞賛し、あなたの夢こそが、私たちの企業の夢の原動力なのだと言うのです。それこそが、私が変えようとしているマインドセットです。

共創とはマインドセットであり、問題解決のためにコミュニティを活性化させる方法です。私たちは考え方を共有することで、深くつながることができるのです。私たちは、サステナブル・マーケティングを仕掛ける上で、実際の小売店舗等におけるフィジカル市場と、デジタル市場の両方がよりバランスよく発展するための手助けをしています。ですから日本企業の皆さんにも共創のマインドセットを持っていただき、ぜひご一緒に「デジタルプリント導入の旅」を進めていければ嬉しいです。

インタビューを終えて

青木茂樹

Pepe(Joseの通称)さんにお会いしたのは、2022年10月に米国サンディエゴで開催されたサステナブル・ブランド国際会議だった。HPというPCやプリンター会社が、女性や農夫の自立といったサステナビリティの課題解決を創造し、購買による生活者のアクションを引き出すマーケティングの仕掛けをクライアントのメーカーと共に行っているという、ワクワクする話であった。そこでは、モノ売りからコト売りへ、モノ販売から体験提供へと事業ドメインの一部を変化させていた。今回のインタビューを通じて、Pepeさんの興味や人柄をより深く知ることとなったが、彼は根っからのマーケティング・マインドに溢れる人物であった。

日本のSBが実施したJSBI(生活者のSDGsに対する企業ブランド調査、Japan Sustainable Brands Index)の調査において、日本のIT業界の評価は必ずしも高くない。サステナビリティにデジタル化が重要だとわかっていても、なかなか生活者の目の届くところに位置付けられてこなかった。HPはデジタル・プリントの技術を使って、無駄な印刷を省くことに成功するとともに、クライアント企業に対する生活者のエンゲージメントを高める仕掛けを行っている。PepeさんはPhysital(物+デジタル)とおっしゃっていたが、その融合にはまだまだ余地があるのだという。デジタル・プリンティングのパーソナライゼーションによって、一人ひとりの人々の夢をドライブし、これによりSNSをバズらせ、小売店頭を賑やかにするという仕掛けである。しかもクライアント企業の売上の成長をもたらせている。

それまでHPの営業は印刷技術とコストの話がメインであったそうだが、今は先方のサステナビリティとマーケティング担当者とのワークショップによるアイデア出しから始めるようになった。

彼らの実践から得られる示唆はとても大きい。サステナブル・ブランドとHPを含むコーポレートメンバー企業の有志で共同にて開発された『SB Pull Factor ワークショップ』は、今年から日本でも、具体的なアクションを生み出すための入り口として提供されることとなっている。日本においてもコラボレーションやワークショップからの開発によって、サステナビリティとマーケティングの融合が積極的に図られることを期待したい。

(文・井上美羽、写真・星屋宏道(PATRONEFILM) )

参考記事
共創の時代に生きるためのマーケティング戦略―We are the Co-Creation Generation ―

ブランドの力を活用し、生活者と共に真の変化を生み出そう:SB国際会議特別企画「BRANDS FOR GOOD+ SUMMIT」(4)

© 株式会社博展