メイプル超合金・安藤なつ アンラッキー後藤の相方になりたかった中学時代

「ポケベルは欠かせないコミュニケーションツールでした」と語るメイプル超合金・安藤なつ

住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、大流行したアイテムの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょう――。

「ポケベルを使っていたのは、中学3年生くらいから、ほんの2~3年だけ。そのあとはPHSに切り替えてしまいました。でも、その短い期間は、交友関係がどんどん広がっていった時期。ポケベルは欠かせないコミュニケーションツールでした」

こう語るのは、お笑いコンビ、メイプル超合金の安藤なつさん(42)。音楽やお笑いへの興味が広がっていった’90年代、いつも手にしていたのはポケットベル(ポケベル)だったと振り返る。

「’90年代に入ったころに魅了されたバンドといえば、たま。『三宅裕司のいかすバンド天国』(’89~’90年・TBS系)出身ですが、私は小学生だったので、深夜に放送されていた番組は見ていませんでした。たまのことは、CMや音楽番組で知ったのだと思います。『さよなら人類』(’90年)は、特に気になった曲でした。小学生の私には意味のわからない歌詞も多かったのですが、なんだか懐かしい気持ちにさせてくれます。それに、ビートルズのようにメンバー全員が歌うんですけど、4人それぞれが個性的な声やイントネーションで、心を引きつけられました」

電気グルーヴ、たまと同じくイカ天出身バンドの人間椅子にものめり込んだ。

「人間椅子は3ピースのバンド。素人の私に演奏の技術的なことはわかりませんでしたが、音の厚みや、小説を読んでいるかのような歌詞の重厚さが、めちゃくちゃかっこよく感じられて。今でもファンで、’19年にはデビュー30周年のライブに行きました」

テレビ番組に関しては、小学校高学年から中学生にかけて見ていた『ウゴウゴ・ルーガ』(’92~’94年・フジテレビ系)が印象に残っているという。

「好きすぎて、毎日ビデオに録画していたくらい。トマトちゃんというCGのキャラクターが、子どものウゴウゴくんとルーガちゃんの2人に『結婚している人を好きになった』みたいな相談をするんです。“朝の子ども番組なのに、大丈夫!?”と心配になるほど斬新」

お笑いに興味を持ち始めたのもこのころ。

「深夜番組を見られるようになってからは、ウッチャンナンチャンさんの『UN FACTORY カボスケ』(’95年・フジテレビ系)や、ナイナイさんや雨上がり決死隊さんが出ていた『急性吉本炎』(’95年)、『慢性吉本炎』(’95年~’97年・ともにTBS系)は欠かしませんでした。中学2年生のとき、アンラッキー後藤さんという女性ピン芸人のファンになりました。あるあるネタを怒りながら叫ぶというネタなんですけど、それがめちゃくちゃ面白くて。『相方に逃げられたー!』というのがツカミで、足元には『相方募集中』と書かれたフリップが。真に受けた私は相方になりたいと手紙を書いたほどです。そんな手紙にもアンラッキー後藤さんは『じつは大学を卒業したらほかのお仕事につくので、お気持ちありがたいですけど』と、真面目な返答をくださいました」

■10円で済むように“ベル打ち”の速さを練習

中学から高校にかけては、音楽やお笑いなど、自分の好きなことを追いかけていたという。

「ビジュアル系バンドの犬神サーカス団(現・犬神サアカス團)にハマり、はじめてのオールナイトライブを体験。中学生だったので、『このライブだけは行かせてください』と親に頼み込んだんです。定時制高校に入学してからは、あるバンドのローディー(アーティストの楽器を管理するスタッフ)として働いていました」

ライブではお笑い芸人とつながることもできた。そして、自身もお笑いライブに参加するように。そんな時代に、仲間との連絡に使っていたのがポケベルだった。

「ドコモのセンティーという人気機種を持っていました。数字だけしか受信できず『14106(アイシテル)』みたいな語呂合わせがはやったのは私たちより少し上の世代で、文字メッセージを受信できるタイプでした。でも、入力の仕方が独特で、五十音に対応した2桁の数字で文字を送るんです。1行目の1文字目の『あ』は『11』、2行目の5文字目である『こ』だったら『25』というように」

こうした“ベル打ち”の速さも競い合っていた。

「家の電話がダイヤル式だったので、公衆電話を使わないとダメ。お気に入りのテレカに穴を開けるのは嫌だったけど、使わなきゃベルが打てないという葛藤がありました。でも、チェッカーズのテレカは、どうしても使えなくて……。時間がかかるとテレフォンカードの残高が減ってしまうので、10円で済むように気合を入れて早打ちの練習をしました。それに、当時は公衆電話がめちゃくちゃ混んでいたんです。後ろに行列ができていると、焦って打ち間違えたりすることも。一文字打ち間違えただけでも、電話を切って最初からやり直すしかない。すぐに打ち終わったときは、“速いっしょ”とドヤ顔で電話ボックスから出ていました」

そこまでの努力をしながら、送るメッセージといえば『イマナニシテル?』というようなたわいもないことばかり。でも、どんな用件でもベルが鳴るとうれしいし、誰からだろうと期待して画面を見てしまった。

「遊ぶときやライブの待ち合わせなど、人と人がつながれる手段。ポケベルのおかげで、行動範囲が広がりました」

お笑い芸人と知り合い、自身も芸人の道へ。

「流れ流れて現在のサンミュージックに所属しました。うまくいかずにやめようと思ったときも、カンニング竹山さんが『やめることはないと思うよ』と言ってくれて、今に至るんです」

ポケベルは、安藤さんの世界を一気に広げてくれた魔法の道具だったのだ。

【PROFILE】
安藤なつ
’81年、東京都生まれ。’12年にカズレーザーとのお笑いコンビ、メイプル超合金を結成。’15年のM-1グランプリで決勝に進出するとテレビ出演が急増、多くのバラエティ番組で活躍する。20代のころから介護職の経験があり、’23年には介護福祉士の資格を取得した

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