ハンセン病 治療名目で青酸カリ 光明園の前身、人権侵害の恐れ

 国立ハンセン病療養所・邑久光明園(瀬戸内市)の前身で、大阪府にあった公立療養所・外島保養院で1915(大正4)~21(同10)年ごろ、治療名目で多くの患者に猛毒の青酸カリを投与していたことが17日、分かった。園関係者が当時の医師らの記録から確認した。ハンセン病の根治療法がない時代に試験的に始めたとみられるが、有効性が十分証明されないまま長期間続けられており、光明園人権擁護委員会は「生命の危険を前提とした人体実験。人権侵害の恐れがある」として検証する。

 同園の元園長で同委員会委員の石田裕医師(70)=熊本県=が、国立国会図書館にある保養院の初代男性医長(故人)の論文などを調べ、判明した。

 石田医師によると、投与時期は男性医長の論文や報告から15~21年ごろとみられ、16(大正5)年に医学誌で発表された論文には、青酸カリを主成分とした水溶液をハンセン病患者50人に投与したとの記述があった。500~千倍に希釈した上で、1人につき1~3回、静脈に注射したとした。

 論文では、このうち36人についてはハンセン病特有の症状である結節(しこり)の縮小や消失といった効果も含めて経過が書かれているが、残る14人の状況は記されていなかった。石田医師は「青酸カリがハンセン病治療に直接効果があったというのは信じ難い。14人については重大な副作用が生じていた可能性がある」と指摘する。

 青酸カリをはじめとした青酸化合物は、金属のメッキや冶金(やきん)などに使われている。人が摂取すると低酸素状態となり、目まいや頭痛など全身に中毒症状が現れ、ごく少量で死に至ることもある。

 石田医師の説明では、青酸カリは当時、ハンセン病を引き起こすらい菌と同じ抗酸菌の結核菌にも有効だとして患者に投与された。ただ、「患者に危害を与える恐れがある」と主張する別の研究者の論文も発表されており、効果や安全性に関する議論はあったという。石田医師は男性医長らの他の報告などから「ハンセン病患者への投与は結核患者よりも長く続けられた」とみており、偏見・差別が背景になかったかなど詳しい状況を調べる。

 石田医師は18、19日に北海道大で開かれる「第96回日本ハンセン病学会」で調査内容を発表する。邑久光明園の人権擁護委員会も石田医師の報告を既に受けており、詳しく調査する。

生命危険にさらす恐れ

 邑久光明園人権擁護委員会委員長の近藤剛弁護士(岡山弁護士会)の話 当時の医療の状況からしても倫理的に問題があったのではないかとの疑念があり、同意の有無も含めて詳しく調べなくてはならない。患者の生命を危険にさらす恐れがある実験であり、人権侵害の疑いが強い。

 外島保養院 近畿や北陸などの2府10県が1909年、現在の大阪市西淀川区の大阪湾に面した地区に開設(定員300人)し、ハンセン病患者を収容した。34年の室戸台風で壊滅的な被害を受け、入所者や職員ら計196人が死亡。大阪府内での再建は地元の反対運動で断念し、38年に瀬戸内市の長島に「光明園」(現・邑久光明園)として再建された。

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