「ブヤ・ハムカ」 イスラム指導者の生涯をたどる大河ドラマ、見ておいて損はなし 【インドネシア映画倶楽部】第53回

Buya Hamka

イスラム指導者であり政治家であったブヤ・ハムカの生涯をたどる大河ドラマ。制作に9年、インドネシア映画では破格の部類に入る総制作費600億ルピア(約5億7000万円)をかけた3部作の大作として構成されていて、今回がその第1弾。日本占領期も含むインドネシアの現代史をたどる上で、特に日本人は見ておいて損はない。

文と写真・横山裕一

イスラム指導者であり、作家であり、スカルノ政権時代の政治家でもあったブヤ・ハムカの通称で知られる、アブドゥル・マリック・カリム・アムルラー(1908〜1981)の伝記。

ハムカはオランダ植民地時代にミナンカバウ民族で有名な西スマトラ州で生まれ、新聞記者、雑誌編集者、作家として活躍する傍ら、イスラム団体ムハマディアの幹部、教育者として活動し、インドネシア独立後は政治家としても活躍し、イスラム教徒を中心に大衆に大きな影響を与えた人物である。ジャカルタ・スナヤン地区の南にあり、白く美しいモスクで知られるアル・アザール大モスクの建設を提唱した人でもあり、食品などのハラル(イスラム教義上許される物、行為)判断などを行うMUI(イスラム指導者評議会)の初代総裁も務めている。2011年、国家英雄にも認定されている。

MRTの車窓からも見えるアル・アザール大モスク

映画はオランダ植民地時代から独立まもないインドネシア、そして1980年代までのハムカの多難な人生を丹念に辿るため、3部作の大作として構成されていて、今回がその第1弾である。

物語は南スラウェシ州マカッサルでムハマディア幹部として、また作家として活動するシーンから始まる。その後、タブロイド版雑誌の編集長就任の要請を受けて北スマトラ州のメダンに移り、イスラム教関連の記事や小説執筆に取り組む。オランダ植民地政府批判から活動停止処分を受けながらも書き続けることをやめず、彼の仕事にかける真摯な姿が描かれている。

さらに日本軍政に移ってからも編集活動が停止される一方で、ハムカがイスラム団体ムハマディアの幹部であることを重視され、彼は日本軍政下の地元住民代表の組織に組み入れられる。日本がインドネシア独立を約束していることからハムカは参加に同意したが、住民からは日本軍政に従ったとみなされ批判を受け、ムハマディア幹部の辞任に追いやられてしまう。そんな中、日本の敗戦、インドネシア独立宣言と、ハムカを取り巻く環境は動乱期へと移行していく。

ハムカが所属するイスラム団体ムハマディアとは、インドネシアでイスラム教本来の姿への回帰としてのイスラム近代改革運動の中で組織された団体で、1912年ジョグジャカルタで発足している。ジャワの伝統風習など世俗的なイスラム団体ナフダトゥール・ウラマがジャワ島に多くの会員を抱えるのに対して、ムハマディアはジャワ島以外に多くの会員を持つ。このため近年では大統領選挙で、両団体の各系列政党が支持する候補者に対する票の棲み分けにも反映されている。次回の大統領選挙では前回とは異なる政党連携も生まれていて、この行方が次回の結果にも大きく影響を及ぼすとみられている。

作品に戻ると、幾多の困難に遭いながらも記事や小説を通してイスラム教の教えを広めようと執筆に励み続けるハムカの信念が描かれているが、そのハムカを精神面で支え続けてきた妻の存在がいかに大きかったかも丹念に描かれている。

ハムカを演じているのは、昨年公開された「7番房の奇跡」(Miracle in Cell No.7、2022年作品)や「イカした仕立て屋」(Tampan Tailor、2013年作品)などで主演を演じた人気俳優のフィノ・G・バスティアンで、記者、作家としての姿、イスラム指導者としての姿、そして夫・父親としての姿を巧みに演じ分けている。夫を支える妻シティ役のラウディア・シンティア・ベルも大らかで夫に的確なアドバイスをする姿を好演していて、両俳優による夫婦の好演は次回作へも期待を窺わせている。

監督はイスラム教を交えた恋愛作品などを数多く手掛けてきたグントゥル・スハルジャント監督で、今作品では3部作の制作に9年間、インドネシア映画では破格の部類に入る総制作費600億ルピア(約5億7000万円)をかけた大作に取り組んでいる。セットや衣装、小道具の時代考証も入念に行われたという。また、名だたる俳優陣がキャスティングされていて、次々と登場するのも見どころのひとつだ。

伝記映画でありがちな、多少物語が駆け足で進みがちに思える部分もあるが、現代社会はもちろん、インドネシア史で重要な役割を担うイスラム指導者の歴史的人物を知る上では教科書的作品でもある。特に日本人は見ておいて損はない。

次回作の第2部はインドネシア独立宣言後の動乱期において、ハムカがマシュミ党の政治家として、イスラム指導者としての活躍と試練が、第3部では幼少期から青年期に遡って、ハムカの人物形成の所以が描かれる。また3作品を通して、ハムカと妻シティの物語、ハムカと父親の確執から相互理解へと至る物語もあり、大河ドラマとして見応えある作品である。

個人的な言い訳ながら一時帰国のため、本作品公開4週目に鑑賞したことにより紹介が遅くなってしまったが、ジャカルタではまだ数館で上映されている。また、第2部からの鑑賞でも内容は把握できるかと思うので、是非インドネシアの大河ドラマ映画の醍醐味を味わっていただきたい。(一部インドネシア語字幕。英語字幕なし)

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