原爆資料館でG7の首脳らと面会した被爆者の小倉桂子さん。どんな方なのでしょうか?
「ここなんですけどね…これは変わってない」
ちょうど1週間前、小倉さんは私たちをある場所へと案内してくれていました。
小倉桂子さん「これが亡くなった人たち、お参りなんかしてるかな…ここに来たらいつも父のことを思い出す。あまり来ないけど、ちょっとお参りしていい?」
小倉桂子さんは広島市在住の85歳。8歳の時、爆心地から2.4kmの場所で被爆しました。
慰霊碑はこの場所で犠牲になった人たちが眠っています。あの日見た光景は未だに忘れることができません。
小倉桂子さん「その時の音とかね、だってそれからというもの飛行機が怖くて、下から見る飛行機、上から来るものってどうしようもないでしょ」
トラウマや差別を恐れ長年、自らの被爆体験を話すことができなかった小倉さん。
転機は43年前、英語が堪能で“ヒロシマ”世界化の先駆者とも称される夫・馨さんが突然他界。
小倉さんは夫の意思を継ぐように“ヒロシマ”を発信し始めました。
小倉さん(英語で証言)「きょうはみなさんの表情を見ながら話すことができてとてもうれしいです」
被爆体験を英語で証言できる数少ない被爆者として年間およそ2000人に自らの体験を伝え続けています。
小倉桂子さん「私はここ(平和公園)に来たら夫のことを思い出すし、でも私やってるのよって時々空見て言いたい、聞いてるかい?とかいう感じでね記憶が途絶えていない、その当時のことを覚えているしね。それは幸せなことそれは上から夫が応援してくれているんだと思う」